第2話 第一章 陰陽師って美味しいの(二)
他の団体も受けようかと思ったが、輝いていた先輩の凋落を目の当たりにすると躊躇った。
格闘技の世界は趣味に留めておいて、眺めるだけにしたほうが幸せのような気がした。
就職活動をしてみたが、完全にプロの格闘技の世界に入るつもりだったので、準備はまるでしていなかった。完全に出遅れた。
結果、不採用通知の山だけが部屋に残った。
大学卒業式まであと二週間となったところで、一本の電話が掛かってきた。
「郷田さんのお宅でしょうか。わたくし、《カツの新影》人事部の春日という者ですが、交通費と日当を支給しますので、面接を受けに来ませんか」
《カツの新影》は知っている。東日本を基盤として、六十店舗ほど展開している豚カツ屋チェーンだ。ただ、《カツの新影》は面接を受けるどころか、エントリー・シートも提出していない。
今の苦境なら渡りに船だが、どこから情報が行ったのだろうか気になった。
しかも、一次面接すら受かっていないのに、交通費支給はおかしい。交通費支給ですらおかしいのに、日当まで出す条件だから、待遇が良過ぎる。
「すいません、どこから情報が行ったんでしょうか?」
春日が「とある格闘技団体からです」とだけ短く答えた。
不憫に思った先輩が伝を頼って就職先を紹介してくれたと、勝手に早合点した。
「わかりました。すぐに伺います」
カツの新影の本社ビルに着くと、いきなり社長室に通された。社長室は入ってすぐに履物を脱ぐ場所があり、一段高くなった場所に、畳が敷かれていた。
広さは五十畳ほどだが、左が襖で仕切られているので、襖を開ければ、まだ広いのかもしれない。
正面の奥には板の間になっており、大きな黒檀の机がある。机にはパソコンが一台だけ置かれていた。
机の上の壁には、書家が書いたと思われる謎の掛け軸が飾ってあった。部屋には資料を入れる棚もあるが、どこかの匠が製作したと思われる檜の書類棚だった。
社長室には和服姿の険しい顔の老人がいた。眉間に刻まれた深い皴と、口鬚が、とてもさまになっていた。老人はカツの新影の創業者にして、現役の社長である鴨川義勝、六十八歳。
鴨川は部屋の中央で座椅子に座って待っていた。鴨川のすぐ横には刀置きがあり、日本刀があった。
離れた場所には鎧兜もある。とても、豚カツ屋チェーンの社長には見えない。日本刀の存在が気になるが、いきなり質問は失礼だ。
郷田は面接時に和室に通された時を思い出しながら、自己紹介をしようとした。
鴨川が厳しい表情をし、貫禄のこもった声で先に口を開いた。
「挨拶はいい。君の現状は知っている。まず、ここに来て座りたまえ」
鴨川が座椅子の前にある、座布団を手で軽く指し示した。
郷田は靴を脱いで、鴨川の正面にある座布団に「失礼します」と座った。
座って頭を下げた直後に、鴨川が動く気配がした。
突如、鴨川が「キエイ」と気勢を上げて、いきなり日本刀を抜いて、振り下ろしてきた。
眼前に日本刀の鈍い光が迫ってきた。死ぬと思うと、体が咄嗟に動いた。
『真剣白刃取り』武術系の動画サイトでよく見るが、まさか演武とは無関係な場所でやるとは、思わなかった。
親戚の柔術家に教えられた経験がなければ、できなかっただろう。小さい時から、嫌で嫌で、どうしようもなかった道場通い。大学に入ってレスリングを始めた理由も柔術から離れたかったからだ。でも、まさか嫌っていた柔術に命を助けられるとは、人生はわからないものだ。
刀を目前で止めると、鴨川が「ほう」と感心したように呟いた。刀が持ち上がる気配がしたので、用心しながら力を緩めると、鴨川は刀を納めた。
鴨川が満足気に言葉を漏らした。
「加減をしたとはいえ、ワシの一撃を止めるとは、まずは見込みありかな」
大きな会社の入社試験で、いきなり社長面接もおかしいが、社長の振り下ろす日本刀の一撃を止められたら合格という入社試験は聞いた覚えがない。
郷田は心臓に手を当てた。すると、心臓が脈打っていた。
鴨川が眉を顰め、いささか残念の顔をした。懐から懐紙を取り出して、普通に話し出した。
「気の小さい男だな。これは模造刀だ。よくみろ、ほれ、この通り紙は切れ――」
鴨川が折った懐紙を日本刀の刃に当てて引いた。
懐紙は綺麗に切れた。
鴨川が目を細めて日本刀を見て首を傾げた。
「ちょっと待て」と鴨川が発言して、脇に置いてあった巾着から、眼鏡ケースを取り出した。
眼鏡を掛けてから、じっくりと鴨川は日本刀を観察し、平然と発言した。
「これ、模造刀ではないな」
膝を叩いて、思い出したように鴨川が口にした。
「先日、刃物市で買った新作だ。確かに、抜いた時に、ちょっと、重いかなーとは、思ったんだよな」
刀で頭をかち割られて死ぬところだった。
目が悪い人間で、しかも予想より重い刀の一撃なら、寸止めにするつもりで放っても、寸止めになる保証は、どこにもない。
郷田は抗議しようと思ったが、先に鴨川が何事もなかったかのように、刀を脇に置いて口を開いた。
「ときに、郷田くんは陰陽師を知っているかな」
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