第9話 どうしよう……

 薔子が美味しくないと嫌だと我儘を通したお陰で、皆の評判も良かった精進上げも終わり、岡山から来ている結城の一族や年をとった保科の両親、そして先代の酒井の分家の老人などは、それぞれ自分の車やタクシーで帰った。

 仏壇とは別に満中陰までは新仏としてお祀りしてある小さな祭壇の前に、智章、薔子、百合、賢治だけが座って改めて手を合わせる。

「叔母さん、叔父さん、お世話になりました。お陰様で、無事に祖母の葬儀を終えることができました」

 葬儀の費用を立て替えて貰っただけでなく、本当に百合がいなければ真っ当な葬式などできなかったのは明らかなので、喪主として智章は頭を下げる。

「智くん……それは良いのよ。お母さんの葬式なんだから。それより、賢治さんも居るうちに今後の事を話し合っておきたいのだけど……」

 もしかして自分の特殊な体質について、夫の賢治に話しているのかとドキッとするが、どうやら違うようだ。

「酒井の家の跡取りは、智章くんだ。それに関しては、百合は保科に嫁に出た立場としてわきまえている」

 跡取りだと認めてくれるのは嬉しいが、ズシンと古い家が肩に乗った気分に智章はなった。

「まぁ、この家は智章のものだから、後は好きにしたら良いわ」

 母の発言に智章は驚く。

「えっ?」

 寝耳に水の話に驚く智章に、百合は怒りだす。

「もう、お姉さん! そんな事も言ってなかったの? お父さんは、この家を智章にと残したのよ。お母さんも、どうせ相続しても、すぐまた相続しなおさなきゃいけないからと同意して名義も変えていたはず。だから、この家は智くんの物なのよ」

 祖父の自分への愛には感謝するが、なら大学二年生の時に叱りに出て来なくても良かったのでは無いかと内心で愚痴る。あの時のショックで五年も家に帰ることができなかったのだ。

「しかし、智章くんは東京で立派な会社に就職しているし……えっ? 何なんだ?」

 妻に脇腹を肘で突かれて、賢治は戸惑う。フンと鼻で笑って、薔子が我が子の要領の悪さを曝露する。

「この子は貧乏籤を引かされて、耐震偽装マンションの後始末をさせらているのよ。鈍臭いんやから! どうも会社は辞めるみたいですわ」

 保科の両親ほどでは無いが、賢治も医者以外の職業は少し軽く見る傾向にある。それでも大手ゼネコンに勤めている甥は少し自慢に感じていたので、辞めると聞いて驚く。

「えっ、それは本当なのか? なかなか就職出来ない会社だと聞いていたが……でも、まぁ良いのかもしれないな。この家に帰って来られるし」

 これが医者を辞めるとかだったら頭から火を出して叱られるのではと智章は肩を竦める。

「会社を辞めるのは決めていますが、ここに住むかは、どうしようか悩んでいます。仕事が見つからないのではと……」

 正直なところ、福山に帰るまで『こんな会社なんか辞めてやる!』と口にしたものの、まだ未練もあった。しかし、東京を離れて自分を見つめ直してみて、辞める決意は固まった智章だ。

「兎に角、満中陰までは誰かが新仏様の世話をしなくちゃいけないんだから、智章は家に居とかなきゃ駄目よ」

 そういう母がしたらどうなのか? 智章は無駄だから口にはしなかったが、内心で罵る。

「そうねぇ……私もなるべく来るようにはするけど、毎日は来られないわ。それに、七日参りがあるからねぇ」

 家を貰った途端に、智章にはご先祖様の供養もついてきた。

「七日参り……初七日はもう終わったんじゃないのかな……」

 親戚の負担を減らす為に初七日の法要は終えた筈だと、智章は首を捻る。

「智章、もしかして七日参りを知らないの? 今日は初七日をしたけど、二七日、三七日……七回目で四十九日なのよ。だから、早く満中陰をした方が楽だと言っていたのに……本当に身体だけは大きくなっても子どもなんだから」

『七七、四十九! なるほどね!』なんて呑気に感心している場合ではない。

「ええっ! もしかして、毎週なの? 嘘でしょう?」

 人づきあいの苦手な智章は、お通夜と葬式でぐったりしていたので、これを毎週するのかと驚く。

「七日参りには、全員は来ないから……多分」

 百合の慰めにも智章は溜息しか出ない。

「ちなみに聞くけど、二七日はいつなの」

 百合がカレンダーを持ってきて、丸をつけていく。

「初七日は終えたから、本来の二七日は再来週の月曜だけど……その前の日の日曜にして欲しいのよ。月曜は忙しいから」

 会社を辞めるつもりの智章はいざ知らず、他の人は平日より日曜の方がお参りに来やすいだろう。前の日曜にするのは構わないが、なぜ月曜なのか? 智章には理解できない。

「おばあちゃんが亡くなったのは火曜じゃないの?」

「アホやねぇ! 七日参りは一日前にすんものなのよ」

 いつもは非常識な行動ばかりしている母親に頭を叩かれて、智章はムッとする。

「お姉さん、お母さんが見ているわよ。智くんの頭なんか叩いたら、駄目よ」

 初七日のお経で、亡くなった人が極楽へ行く道のりを説いているのがあった。

「あのお経通りなら、おばあちゃんは天井辺りにいるんだね」

 智章は、懐かしいおばあちゃんに会いたいと天井を見上げるが、船の底のように編み上げた細工しか目に入らなかった。

「見事な細工だよね……こんなの今作ったら大変だよ。って言うか、そんな我儘な施主に会いたくないな」

 建築士らしい言葉に、全員が笑う。

「昔は酒井の家はここら辺では名家で通っていたから……」

 いつも関西弁でぽんぽん切って捨てるように発言する薔子が口籠ったので、その名家の恥さらしと呼ばれ、母にも迷惑をかけたのを反省したのかと、他の人は解釈していたが……違った。

「智章、しっかしないと駄目よ。ひとまずは引っ越して来なさい! もう、眠いわ」

 賢治の前だから手だけは口に当てて、大欠伸をする。涙が目に滲んでいるのは、欠伸のせいなのか? それとも、薔子なりに母の死を悼んでいるのか? それは誰にも分からなかった。

 母の言葉に従うわけではないが、ずっと鞆に住むかどうかは保留にしたまま、智章は東京のアパートを引き払うことにした。

『今更だけど……四十九日まではここに住むよ』

 祖母が年をとっているのは頭では分かっていたのに、幼い時のままのイメージを持ち続け、祖父を怖れて、この家を避けていた智章は、最後の祖母孝行をする決意を固めた。

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