第14話 行方不明

 智章は家まで急いで帰ると、ベッドサイドに置いていたスマホで母に電話したが、通じなかった。


『この電話は電源が切られているか、電波の届かない場所にあります』


 機械音の応答に苛立ち、思わずスマホをベッドに投げつける。


「何処にいるんだよ! 小松原さんが亡くなったんだぞ!」


 怒鳴って少し冷静になった智章は、スマホを慌てて拾い上げ、壊れてないか確認する。


「良かった大丈夫そうだ」


 苛立っていても、柔らかなベッドに投げる自分の小市民的な行動を少し自嘲するが、そもそも物に当たっても仕方が無いのだ。


「お母さんなら充電切れもあり得るな……また連絡するとして……蓮かぁ」


 八年前に小松原の家を出て行く時に蓮の携帯番号は消去してしまった。


「同じ家に住んでいるのなら、電話番号は変わっていないかも……だけど覚えてないや」


 小松原の家の電話番号も当然だが消去してしまっている。


 それに二十三歳の蓮が親と同居しているとは限らないのだ。普通に進学していたら、大学を卒業して社会人になっている年なのだ。


「小松原さんの後を継ぐなら法科大学院に通っているかも? 学生なら家にいるかもしれない」


 祖父の葬儀には小松原も来たぐらいなので、ある程度の親戚付き合いもしていた。


「おばあちゃんは携帯なんか持っていなかったよな。なら、家電か!」


 酒井家には診療所と主屋との切り替えができるだけの旧式な電話しかない。だからこそ、何か電話番号を控えてある筈だと智章は電話機が置いてある一階まで駆け下りる。


「何か……あった! 電話帳だ」


 玄関脇の電話台の下には福山市の電話帳の横に厚紙でできた電話帳が置いてあった。それもかなり年季が入っているので、智章は期待しながら『コ』のページを開く。


「あった! 小松原俊明!」


 これで電話番号は分かったが、そこに蓮がいるのかは不明のままだ。


「掛けて誰も出なかったら、それまでだ。でも、蓮が出たら何と言えば良いのだろう」


 父親の死を何年も音信普通の男から聞かされた方が良いのか? 警察から聞かされた方が良いのか? 智章には判断がつかなかった。


「小松原さんに頼まれたのだから、蓮に連絡を取る努力だけはしよう!」


 出て欲しいのか? 出て欲しくないのか? 自分でもわからないまま電話帳に書いてある番号に電話する。


 プルルルル……と呼び出している電子音に、心臓がドキドキしてくる。


「あの家に住んで居ないのか?」


 受話器を置こうとした瞬間、眠たそうな声が聞こえた。


「はい……小松原ですが?」


 そう言えば蓮は寝起きは機嫌が悪かった。などと少し懐かしく感じたが、今はそれどころではないのだ。


「もしもし……智章だけど……」


「えっ? 智章? もしかして智章兄さんなのか?」


 言い出しにくいが、小松原から頼まれたのだと勇気を絞る。


「今朝、鞆の浦で小松原さんが亡くなったんだ」


 電話の向こうで蓮の息をのむ音がする。


「何の冗談なんや? ほんま悪い冗談やで」


「冗談なら良かったんだけど……」


「まじかよ! 事故にでも遭ったのか? それとも若い女の腹の上で? 彼奴は女好きだったから、腹上死なら本望だろう」


 嘲笑的な言葉に耳を塞ぎたくなる。


「まだ詳しくはわからないけど、どうやら事件らしい。そのうち福山署から連絡が来るだろうけど、先に伝えておきたくて……」


 これで義理は果たしたと、智章は電話を切ろうとした。


「ちょっと待てよ! 本当に親父が死んだのか?」


 寝起きの頭に段々と現実が押し寄せ、動揺しているのが手に取るようにわかる。


「残念だけど……本当なんだ」


「……事件って言ったよな? それは殺されたって事なのか? 自殺はあり得ないだろう!」


 確かに小松原の性格で自殺は無いと智章も思ったが、それは警察が調査すべき事だ。


「俺には分からないよ。警察に尋ねてくれ」


 蓮が押し黙ったので、智章はソッと受話器を置いた。後味の悪さに今日すべき事をこなす元気も無くなる。


「お母さん……」


 もう起きているかもしれないと、スマホでリダイヤルするが電子音の応答だけが繰り返される。


 何度しても連絡が取れない。徐々に智章は焦りだしていた。


『まさか……小松原さんの事件に関係しているから身を隠しているのか?』


 母が小松原を殺したとは思えないが、その犯人を見たとか、事件に巻き込まれたとか、どんどん不安が膨らんでくる。


 あんなに嫌いだった母なのに、行方が不明だと心配で居ても立ってもいられない。


「こんなの百合叔母さんに相談できないし……」


 新仏である祖母に線香を立てて『お母さんが無事でありますように』と手を合わせる。


 遺影の中の祖母が眉を下げたような気がして、亡くなった後まで心配掛けてごめんと謝る。


「どうしよう……麻衣子はお母さんの顔を知っているかな?」


 小松原が女連れだったとバレても、母だと分からなければ良いのだがと智章は気が気でない。


 普通の母親なら同級生の麻衣子も覚えているかもしれないが、薔子はたまに鞆に帰ってくるだけだった。授業参観なども来たことがない。


 しかし、華やかな容姿は鞆で目立っていた。麻衣子が薔子を知っている確率は高い。


「口止めとかできるのだろうか? バレた時に麻衣子に迷惑を掛けるし、第一疑ってくれと言うようなものだ」


 何回もリダイヤルしながら、苛々と午前中を智章は無為に過ごした。


「日曜は二七日だから、土曜には来ると思う!」


 これ以上リダイヤルしていても無駄だ。週末までに転居届けを出しておいた方が良いと、着替えて市役所まで行こうと外に出たら、信高が駆け込んで来た。


「知っているか? 常夜灯で殺人事件が起きたんだぞ!」


 自分の情報通振りを自慢する信高に溜息しか出ない智章だ。


「ああ……」


 この件はなるべく関わりたくないなどと、首までどっぷり浸かっているのに素っ気なく応える。


「東京みたいな大都会ならいざ知らず、鞆で殺人事件が起こったんだぞ!」


 何も知らない信高の興奮した声が勘に触る。


「まだ殺人事件だとは分かっていないだろ? 変死というだけだ」


 信高は自分の軽はずみな態度を恥じる。


「そうだな……少し軽率だった。僧侶としてあるまじき態度だ。俺は……退屈していたのかもしれないな。修行が足りない!」


 そう苦笑して信高は、バシン! と両手で自分の頬を叩く。


「しかし……お前、何か怪しいぞ」


 目敏い信高が鬱陶しく感じる智章だ。今回は見逃して欲しかったと内心で愚痴る。


「これから市役所まで転入届けを出しに行くんだ」


 じゃあな! と通用口から出て行こうとするが、にやにや笑いながら「乗せて行ってやる」と言い出した。


「いや、いいよ」遠慮しているのではなく、心から拒否する。目敏い信高と一緒に居たくなかった。


「おい、あの変死体と何か関わりがあるのか?」


 智章は深い溜息をつく。どうせ狭い鞆の町で噂が広がるのはあっという間なのだ。


「まぁ……母の元旦那なんだ」


「えっ? お前のお父さんなのか?」


 驚く信高に「違う!」と首を横に振る。


「あっ、再婚相手の方なのか……確か大阪の人だったよな」


 よく覚えているなぁと感心する智章に、信高は厳しい目を向けた。


「鞆中から大阪の高校に進学したのはお前だけだから。少しは周りの事も気にしないと、上手く生きていけないぞ」


 言われた言葉通り、智章は幼い頃に母親のスキャンダルを面白おかしく噂する人々から距離を置く習慣が身に付き、人付き合いを嫌う傾向にある。


 それに退職しなくてはいけなくなったのも、会社での立ち位置の確認を怠り、耐震偽装の後始末という酷い部署に飛ばされたのが原因だ。


「まぁ……こればかりは性分だから仕方ないが……それでお前の所に警察から連絡でも入ったのか?」


「いや、朝の散歩に出たら野次馬が集まっていて………」


「それで?」続きを促すように信高の目が光る。


「それでって……だから、母の再婚相手だとわかったんだよ」


 端折った説明に信高の眉が上がる。


「ちょっと待て! 朝の散歩に出て、野次馬が居たまでは理解できる。そこからが問題だ。警察はもう来ていたのか? 来ていたんだな。なら、何故、現場を確保していなかったんだ? あっ、していたんだな?」


 問い詰められた智章の顔を見ながら、どんどん斬り込んでいく。


「では何故、あの変死体がおばさんの元旦那だとわかったんだ?」


 鋭い目に耐えきれなくなる。それに信高に相談したい事がある智章は、覚悟を決める。


 家の中で話そうかとも思ったが、気味が悪く感じたなら立ち去り易い庭での方が良いかもしれないと重い口を開く。


「なぁ、こんな話をして俺の気が狂ったと思うかもしれないが……」


『もしかして!』と信高は期待に満ちた目をして、先を促す。


「小松原さんが夢枕に立ったんだ。それで常夜灯まで駆けつけたら……」


「詳しく聞かせろ! あっ、市役所に送ってやるから、車の中で話せ」


 意外なことだがドライブしながらの方が智章は話しやすく感じた。顔と顔を合わせて話すより楽だった。


「ふうん、智章は結城の血を引いているんだな……それにしても小松原さんは、何故お前の夢枕に立ったんだ?」


「それはこっちが聞きたいよ。ただ蓮のことをよろしくと言われたから……電話して知らせたけど、あれで良かったのかな?」


 信高は義理の弟とは面識が無い。


「よろしくったって、何歳なんだよ? 未成年なのか?」


「いや、俺より三歳年下だから二十三歳だ」


「なら、もう大人だな……何をよろしくなんだ?」


 もしかして未成年で他に親戚とかいないのかと心配していた信高は、少しホッとする。この人付き合いの苦手な智章が保護者に向いているとはとても思えなかったからだ。


「さぁ……俺には理解できないよ」


『凄腕の弁護士でした』と刑事に言ったのを褒めるぐらいなら、犯人の名前を教えてくれたら良いのにと肩を竦める。


「あっ……」


 青海波の若女将として麻衣子が現場に来ていたことを信高に教えるか、智章は悩む。結城一族について前から知っていた信高に自分の特殊な体質を話すのはまだしも、母に疑いが掛かるかもしれない件なので躊躇いを感じる。しかし、この件を一番誰かに相談したいのだ。


「なんだ?」


 信高は運転中なので、智章の顔が見られない。でも、何かピンとくる。


「何でも無い……」


「何でも無いわけがないだろう! どうせバレるのだから、話せよ」


「込み入った話だから……後にするわ」


 ちょうど市役所に着いたので、逃げるように車から走り去る。


「何だろう?」


 智章が転居届を提出してくるまで、信高が車の中で腕を組んで考えていると、プルルルル……スマホが揺れる。


「おや? 麻衣子だ……おう、若女将、元気にしているか?」


「信高さん、今何処にいるの? 少し相談に乗って貰いたい事があるのよ。お義母さんも道隆さんも今日に限って居ないのから」


 いつもは軽口に応じてくれる麻衣子が困っている様子に信高は変死体の件だとピンときた。


「もしかして青海波の客やったんか?」


「えっ、もう噂になっているの? それで警官が沢山来て困っているのよ。道隆さんに連絡したけど、東京だから、すぐには帰って来られないし。お義母さんは女将会の旅行で九州なんだもん。他の女将さんの手前、抜けて来られないわ」


 若女将一人で心細くなり、同級生でありお寺の住職の信高に付き添って欲しくなったのだ。


「わかった。今は智章と市役所だけど、すぐに行くわ」


「えっ、智章さんと一緒なの? あのう、もう知っているかもしれないけれど……」


「わかってるよ。おばさんの元旦那さんなんだろ」


 それだけでは無いのか? 麻衣子の口調といい、さっきの智章の態度を思い出して考える。


「兎も角、早く来て欲しいのよ……相談に乗って貰わないと心細いのよ」


「わかった。智章も連れて行って良いか?」


 麻衣子は少し考えて「その方が良いかも」と答えた。


 通話を切ってから、信高は『厄介ごとに巻き込まれないように』と忠告した結城真斗の言葉を思い出していた。


「智章はあの母親のせいで厄介ごとに巻き込まれてばかりじゃ……」


 今回は母親の元旦那が実家の町で死んだのだ。直接関係が無くても、事情を聞かれるに決まっている。


「お待たせ……」転居届を出した智章が車に帰って来た。


「今、麻衣子から電話があったぞ。警察が沢山来て困っているらしい。これから行くけど、お前も行った方が良いだろう。それとは別だが、おばさんには連絡したのか?」


 やはり青海波に警察が調査に来ているのだと、智章は顔色を変える。


「何かあったのか? おばさんには連絡がとれたのか?」


 義理の弟には連絡したと言っていたが、母親のことには触れていなかったと信高は質問する。


「それが……電話が繋がらないんだ。電波が届かない場所にいるか、電源が入ってないのかは分からないけど……」


「それって……まさか?」


 母親が犯人なのか? と目で問われ「違う!」と即答する。


「夢枕で見た鞆の浦まで行った時に、警察が来ていたらか、何と説明したら良いか分からなくて、知らん振りをしようとしたんだ。そしたら小松原さんに手招きされて、それで警察に知っている人ですと言う羽目になった。母が犯人なら、その息子に自分の息子をよろしくとか言わないだろ? それに凄腕の弁護士でしたと警察に言ったら、よく言った! と褒めてくれたし……でも、まずいよなぁ。連絡が取れないだなんて……」


「警察もおばさんと連絡を取りたいだろう。元妻だし、その妻の実家の町で死んだのだからな。で、麻衣子が少し相談したいと言っていた件は心当たりがあるんか?」


 やはり青海波で見た後ろ姿は母だったのだと、智章は深い溜息をつく。麻衣子が母を知らなくても、中居さんなどで気づいた人もいたのだろう。


「お前とランチを食べた後、ロビーで母と似た女の人を見た気がしたんだ。前の日に大阪に帰った筈だし、見間違えだと思おうとしていたけど……きっと小松原さんと会っていたんだと思う」


「それはまずいなぁ」


 信高も警察は元妻が一緒だったと知ったら、事情を聞きたがるだろうと眉を顰める。


「小松原さんに犯人とか聞けないのか?」


「そんな風に上手くはいかないのさ……本当に夢枕に立つだなんて、迷惑だよ」


 ぶつぶつ文句を言っているうちに、車は青海波の駐車場に着いた。パトカーが何台も停まっているのを見て、智章は「俺はやめとく……」と尻込みをする。


「麻衣子はきっとおばさんの不利になる事を警察に言っても良いものかどうか悩んでいるんだと思う。お前は鞆中のプリンスじゃったから嫌われたくないのさ」


 智章は麻衣子に口止めしようか悩んだのを思い出して、頷く。そんな事をしても無駄だし、バレた時に余計に面倒な事になるだけだ。


「麻衣子が黙っていても、他の従業員やお客が言うと思う。だから言ってくれて構わない」


「そうだな。第一、小松原さんがお前に息子をよろしくなんて言ったのだから、おばさんが犯人じゃないのは明らかだ。だから、警察が色々な情報を手に入れた方が真犯人が見つかりやいと思う」


 黙っていてくれなどと強要して麻衣子に迷惑をかけないで済みそうだと智章はホッとする。この件を信高に相談したかったのだ。


「でも小松原さんの話は警察にはできないし……やはり母が疑われるのでは無いか?」


「美人の元妻と会っていたなんて、怪しいからな。警察は疑うかもしれないけど、真犯人は別にいるんだ。あっ、まだ事故の可能性もあるのか?」


「小松原さんは自殺なんか絶対にしないさ」


 この点は息子の蓮と同意見だ。二人はパトカーを横目で見て青海波に入っていった。

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