第13話 まさか!

 智章はあの女子高校生が誰なのか分かったら、このもやもやとも決別できると、荷物を片付けていた。しかし、新たなもやもやが智章の心に湧いていた。


「まさかなぁ……」


 ふと手を止めて、青海波のロビーで見た女の人の後姿が母に似ているような気がしたのを思い出す。


「いくら何でも、引越しを手伝いたくないからと青海波に泊まらないだろう……気のせいさ!」


 大阪で一緒に暮らしている上野翔平とは違う感じの男と二人連れだった。だからこそ怪しく感じるのだ。


「翔平さんと暮らしだして何年かな? まさか、また?」


 高校二年の冬に男と逃げ出し、再婚相手である小松原の家に置き去りにされた智章は、凄く居心地の悪い目に遭った。その男とは直ぐに別れ、上野翔平と暮らしだしてから離婚の手続きをしたのだ。


 一年にも満たない大阪のマンションでの暮らしは、あまり思い出したくない。思春期の智章にとって耐え難く、勉強して東京の大学に合格するのだけを目標に生きていた。


「翔平さんって、今から思うと悪い人じゃないんだよなぁ……賢い人かどうかは分からないけど……」


 あの当時は美容院を経営している金髪の母の愛人に反発しか感じなかったが、あの母と八年も暮らしてくれているのだ。かなり我慢強いのだろうとまで考えて、そういえば祖母の葬式に連れて来なかったなと眉を顰める。


「おじいちゃんの葬式には小松原さんも来たんだよな。まぁ、正式に結婚していたんだから当然かぁ」


 単に籍を入れてないから上野翔平を連れて来なかったのか? それとも別の相手が出来たからか? 母の女としての部分には息子として目を背けたくなる。


「あの年頃の女の人なんて大勢いるさ! 見間違えだよな」


 智章は首を横に振って、嫌な想像を拭い去り、片付け作業に戻る。


「スーツ……どうしようかなぁ? 処分しても良いけど、また就職する時にいるし。まぁ、当分は喪服以外は着ないし、クリーニングしておきたいな」


 確か港から少し離れた場所にクリーニング屋があった筈だと、大きな紙袋に数着のスーツを入れて持って行く。


「やっぱり、ここに住むなら自動車が欲しい……重い! おばあちゃん、不自由していなかったのかな?」


 クリーニング屋にスーツを出した帰りに、食料品を買った智章は、荷物の重さに祖母の苦労を思った。


 冷蔵庫に食料品を入れてから、智章は裏庭へ出た。もし本当に車を買うなら、お寺の駐車場へは階段があると便利だと思ったからだ。


「ウッ……雑草が……おばあちゃんが亡くなってから一週間なのに……これからは雑草との戦いだ!」


 前庭は祖母がこまめに掃除をしていたが、裏庭の花畑までは手が回らなかったのか、これから夏の花を植えようとしていたのか、手をつけていなかった。


 一面に生えた小さな雑草を明日には引っこ抜いてやると睨みつけて、裏庭の奥へと進む。斜面の手前にはドウダンツツジの垣根があり、そこで裏庭と斜面を分けていた。


「この斜面はうちの土地なのかな? 他の家のだと階段なんかつけても使えないし……」


 コンクリートの階段の方が安全面を考えると良いのだが、智章の頭には長野で古民家を再生した時の丸太と土で作った段々が浮かんだ。そこに花やハーブなどを植えて、なかなか良い雰囲気に作り上げたのだ。


「手すりとか付ける必要はあるけど、風情のある裏庭になりそうだな」


 祖母ほど花をたくさん植える気は智章には無いが、管理の簡単な植物とかはあった方が気が休まる。


 その夜、買ってきた春キャベツを炒めて、炊いたご飯と味噌汁で夕食を食べる。


 智章は、子どもの頃祖母の側で料理を見ていたし、大学、社会人の間にかなり料理はできるようになったが、今日は引越しで疲れたのと、昼は豪華なランチだったので簡単に済ませたのだ。


「明日は……転入届けを市役所に出す。失業保険の方は、会社から離職証明が届いてからだな……後は、草引きだぁ!」


 実際に引越してきてみると、立派に見える酒井の家もあちこち修理が必要な箇所が目に付いた。


「壁と門はどうにかしないといけない。他には洋館の漆喰もかなり燻んでいるし……そういえば畳も……」


 一気にはできないし、資金も無いが、祖父母の大切にしていた家を大事にしていきたいと思いながら眠りについた。




『智章くん……蓮をよろしく!』


 夢枕に母の再婚相手だった小松原俊明が立っている。


『小松原さん……』


 ハッと目覚め、ベッドの上に座った智章は、ゾクゾクッと嫌な予感がした。


「まさか小松原さんが亡くなったのか?」


 一緒に住んだのは二年に過ぎない自分の夢枕に立つだなんて、智章には迷惑極りない。


「蓮をよろしくったって……もう八年も会って無いし……どうしたら良いんだよ」


 白々と明ける部屋で、一時期弟として生活した蓮を思い出したが、今どこで何をしているのかも知らないのだ。


「第一、蓮は俺なんかよりしっかりしていたじゃないか?」


 人付き合いの苦手な智章と違い、少しヤクザっぽい父親に育てられた蓮は、良い意味でも悪い意味でも立ち回りが上手かった。


「今日からお兄ちゃんと呼んでもええ?」などと甘えてきたりしたかと思えば、「ほな、さいなら」と別れる時は非情に思えるほどあっさりとしていた。


 母親が男と逃げたのだから仕方ないが、初めてできた弟と良い関係を作ろうと頑張っていた智章は手の平を返された態度に傷つけられた。


「それにしても小松原さん、何で死んだんだろ? まだ死ぬような年じゃないよなぁ」


 夢枕に立った小松原からは病に窶れた感じは受けなかった。


「あっ! 小松原さんの後ろにあったのは……まさか鞆で亡くなったのか?」


 夢枕に立たれた事で動揺していた智章だったが、鞆の浦の象徴ともいえる常夜灯が後ろにあったのを思い出す。


「まさか!」


 智章はスエットのままスニーカーを引っ掛けて、鞆の浦の常夜灯まで走った。


 いつもは漁に出た船が帰って来たりして賑やかな鞆の浦の朝だが、今朝はパトカーが何台も来ているし、野次馬が集まり、異常なざわめきに包まれていた。


「何があったのですか?」


 智章は野次馬の男に尋ねる。


「変死体が見つかったみたいだ」


 小松原が死んだのは夢枕に立った時点で悟っていたが、変死体と聞くと膝がガクガクしてくる。


「事故なのですか?」


「さぁ? 儂が来た時は、もう警察が到着しとったから死体も見てないよ。ほら、そこの漁師が見つけたみたいだ」


 発見者とおぼしき漁師は、警察官に色々と質問されているようなので、智章が話を聞くどころではない。


「ヤクザ者かなぁ? 派手な服を着ていたそうだ」


 野次馬達の噂を聞いて、やはり小松原だと確信する。弁護士のくせにヤクザの様な派手なスーツやネクタイを好んで着ていたのだ。


『もしかして……あの時の後姿は、お母さんと小松原さんだったのか?』


 ハッと閃いた途端、二人が自分から遠ざかる映像が目に浮かぶ。智章の心臓がドキドキと波打った。


『小松原さんが事故ではなく殺されたとしたら、お母さんが疑われるのでは? もしかして、お母さんが? 違う! いくら何でもそんな事はしない……そう信じたい』


 智章は立っていられないほど動揺してしまった。


「兄ちゃん、顔色が悪いで……」


 フラフラになった智章は、その場から少し離れようとしたが、その異常な行動が警察官の目についた。


 寝起きのスエット姿で、スニーカーを素足に引っ掛けている若い男が、不審な行動を事件現場でしているのだ。怪しいに決まっている。


「ちょっと、そこの……大丈夫か?」


 警察官に声を掛けられただけでフラッと倒れかけた智章に皆は呆れたが、敏感になっていた目には小松原俊明が胸から血を流しながら此方に手招きしている姿が写っていたのだ。


「大丈夫です……あのう、もしかしたら知り合いかも……」


 母を巻き込みたく無いと智章は無意識のうちに逃げようとしたのだが、小松原に手招きされて無理だと諦めた。


 それに母に殺されたのなら、息子の自分を手招きなんかしないだろうと腹をくくる。何故なら、血を流している以外は生前の小松原と同様に強引で陽気な感じがしたからだ。


「何だって!」


「いえ、周りの人から聞いただけですから、わかりませんが……」


 野次馬から関係者に格上げされた智章は、警察官にガードされて黄色いテープの内側へと向かう。


 常夜灯の前の石畳の上に小松原俊明は静かに横たわっていた。胸の染み以外は穏やかで、智章はホッとする。


「君は、この人を知っているのか?」


 遺体の側に膝をついていた刑事が立ち上がり、智章に厳しい目を向ける。


「はい、この人は小松原俊明さんです。大阪に住んでいる弁護士です」


 弁護士と聞いて、刑事のメモが止まった。ヤクザにしか見えなかったのだろうと智章は少し腹を立てる。


「派手なスーツを着ていますが、凄腕の弁護士でした」


 小松原が『よく言ってくれた! 蓮をよろしくな!』と手を振って消えた。そんな事より、犯人の名前でも教えてくれたら良かったのにと智章は内心で愚痴る。


 弁護士という職業で現場の雰囲気がキーンと張り詰めた。

殺人事件だけでも緊張感があったのだが、地元民では無いヤクザ者だろうと思っていたのだ。


「詳しく話して貰いたいのですが……」


 智章は警察とはあまり関係を持ちたく無い。何故、此処に居るのか? なんて説明などしたく無いからだ。


「大阪の弁護士協会に問い合わせれば、詳しい情報がわかりますよ」


 詳しく知りたいのは、被害者だけでなく、その情報提供者についてもらしい。


「私は福山署の安田と申します。貴方のお名前、年齢、住所、職業をお聞かせ願いませんか? それと、貴方とこの小松原さんとの関係は何でしょう」


 安田刑事の質問に最低限に答えていく。名前、年齢、電話番号は問題ないが、まだ転居届けは出していないと断ってから住所を告げ、職業は無職と答えた。


「小松原俊明さんは母の再婚相手だった人です。八年前に離婚が成立してから、今まで音信不通でした」


 夢枕に立つまで音信不通だったのにと、智章は溜息をおし殺す。


「小松原俊明さんの親近者をご存知ですか?」


「小松原蓮という息子がいます。何処に住んで居るのかはわかりませんが、年齢は二十三歳です」


 安田刑事は、何かがおかしいと感じていた。


『このひょろっとした青年は何故ここに来たのだろう?』


 普通なら犯人では? と疑ってみるのだが、どうも調子が狂う。


「何故、大阪在住の弁護士である小松原さんが鞆の浦に来られたのですか?」


「何故? そんなの知りません」


 母と会っていたと確信していたが、何故かはわからないので嘘ではないと智章は撥ね付ける。


「お母さんはどちらに?」


「大阪に住んでいます」


 他の男と住んでいることは話さなくても良いだろうと智章は勝手に判断する。


「あのう、昨日引っ越して来たばかりなので、もういいでしょうか?」


 小松原が「何処に泊まっていたのか?」「何かトラブルに巻き込まれていたのか?」などと質問されても答えようがない。もしかして青海波に泊まっていたのではないかとは推察したが、教える義務は感じなかった。


「ほう、昨日引っ越して来られたのですか? これは誰にでもお聞きするのですが、昨夜から今朝は何処で誰と何をしておられましたか?」


 智章は溜息しか出なかった。夢枕に立った小松原に内心で『酷いじゃないですか!』と苦情を申し立てながら、何もアリバイが無い過ごし方を素直に伝えた。


「一人で料理して夕食を食べ、引っ越しの作業で疲れていたので十時には寝ました」


「誰も一緒ではなかったのですね」


 確認する安田刑事に「一人暮しなので……もう良いですか?」とうんざりした様子で、これ以上は答える必要がないでしょうと態度で示す。


「あのう最後に一つだけ……何故、ここに来られたのですか?」


 まだ朝早い鞆の浦に寝起きのスエット姿でやって来た智章に不審感を持ったのだろう。


「朝の散歩です」


 言った本人も『嘘臭い!』と思うのだから、安田刑事も同様に感じる。


「朝の散歩にしては寝起きのままに思われますが」


「退職して実家に帰って来たので、当分はのんびりしようと考えているのです。スーツも全部クリーニングに出してしまったし。スエットで一日中過ごしても問題ないでしょ?」


 公序良俗に反しているわけでも無いし、スエット姿で散歩しようと警察に文句を言われる筋合いは無い。これで用事は無いだろうと立ち去ろうとしたが、厄介な人物が現れた。


「こちらが青海波の若女将です」


 警察官に伴われて麻衣子がやって来たのだ。


「あのう……昨夜、連泊予定だったお客様が帰って来られないのですが……まぁ、智章さん! 何で此処にいるん?」


 朝早くから出立するお客様を見送る為に着物姿だった麻衣子が、若女将の仮面を剥がして、同級生の顔になる。


「朝の散歩に出かけたら、こんな事になっちゃったんだ」


 安田刑事は「お二人の関係は?」と尋ねる。


「鞆中の同級生なんです。まさか、智章さんが犯人だと疑われているの? この人は虫も殺せませんよ」


 智章は「疑われていない!」と即座に否定した。何を同級生にラインで広められるかわからないのだ。きっちりしておかないと、話が膨らんでしまう。


「若女将、この方がお客様でしょうか?」


 同級生の話の腰を折って、麻衣子を死体の近くまで誘導する。


「はい……一昨日、チェックインされた小松原様です。二泊される予定でしたのに、昨夜はお泊りになった様子がありませんでした」


 安田刑事は、青海波に着いてからの小松原の行動を知りたいようだ。智章は母と会っていたのがバレるのは時間の問題だと冷や汗をかく。


「ではこれで……」


 縋りつくような麻衣子の怯えた目を振り切って、智章はその場を離れた。


『母と連絡を取らなければ……そして、蓮とも……』


 蓮には警察から連絡が来るかもしれないが、小松原から頼まれた義務がある。家へと急いで帰る智章だった。

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