第12話 引越しは済んだけど……あの子は?

 突然、母が大阪に帰ったのを智章はあまり深く考えなかった。気儘な性格だし、引越しを手伝いたくなかったのだろうと思ったのだ。それに、気の合わない母と同居期間は少ない方が良い。


 今更、子どもの頃に放置されたこと、高校二年の冬に男と逃げ出した件、そして祖父の遺産をどうやらかなり使い込んだことなどに文句を言っても仕方ないが、やはり親としてどうなのだ! と顔を見るとムカムカと腹が立ってくるのだ。


 昨日、百合に無理やり診療所だった洋館に連れていかれ、確かに設計事務所としてなら主屋より向いていそうだと感じた。


 医者にならなかった引け目から、洋館には寄り付かなかった智章だが、医療器具なども全く無くなり、何処からか漂っていた消毒薬の匂いも消え、祖父は祖母がしっかりと言い聞かせてくれるとなると、こちらを使った方が良いのは明らかだ。


 ザッと拭き掃除をしてあったので、窓を開け開け放ちながら、何処に設計机を置くか見て回る。


 巨大な松が枯れて、母屋からも海が見えるようになったが、洋館からの方が見晴らしが良い。


「今日も海が綺麗だなぁ」


 応接間が広さ的には丁度良いのだが、ピアノが鎮座している。何とはなく、趣味と仕事を同じ部屋でするのは如何なものかと考えあぐねていると、プルプルとスマホが智章のパンツのポケットで鳴る。


「引越し業者かな?」


 番地とスマホの番号は教えたが、港からこの家までの地図を調べて戸惑っているのだろう。


「なんだ……きっちょむか……」


 本当に車が入らないのか? 確認の電話かと思って急いで取り出したので、少し気が抜けてしまう。


「おはよう! 今日は引越しなんだろ? 手伝ってやるわ」


 手伝いはありがたいが、何故なのか? 智章は首を傾げる。幼い頃は祖母がお寺に花を持って行くのについて行ったりして、遊んだこともあるが、中学生になる頃には疎遠になっていた。


「坊主ってそんなに暇なのかな?」などと失礼な事を考えていると、今度こそは引越し業者からの電話がかかってきた。


「本当にトラックは入らないのですか?」


「途中までは軽トラなら入れます。そこからは無理でしょうね。事前に言っていた筈ですが……」


 大きな荷物は机と椅子ぐらいで、あとは本が入った段ボールと衣類ぐらいだ。引越し業者は行ける所まではバックで登るつもりみたいなので、智章は迎えに出る。


「おい、もう着いたのか? それにしても、その門を開けるのは大変そうだな」


 洋館には通用口の方が近いが、主屋にも衣類や生活雑貨などを運んでもらう為に門を開けておこうと、ガタビシと押していると、信高に笑われる。


「かなりこの門は歪んでいるなぁ」


「おはよう! 良いのか? 手伝って貰っても?」


 ケタケタと笑いながら「引越し蕎麦をご馳走して貰いに来た」と信高に言われ、考えてもいなかった智章は困る。


「引越し蕎麦かぁ……鞆に蕎麦屋なんてあったかなぁ?」


「鞆でも蕎麦屋ぐらいはあるが、配達はしてくれんなぁ。でも寿司なら配達してくれるぞ」


 寿司だと高くつくなどとケチなことを考えながら、二人で引越し業者を迎えに坂道を降りる。


「えっ、こんなに上まで登って来ているのか?」


 バックで細い坂道を登る運転技術に驚く。


「おはようございます! 酒井智章様ですね。ここからは台車で運ぶしかありませんねぇ」


 何か手伝おうかと思うが、テキパキと働く引越し業者達を見るとかえって邪魔になりそうだ。


「荷物を置く場所は決めているのか?」


 信高も運ぶのは専門家に任せて、配置を指示した方が捗ると考える。


「ああ、設計机と椅子と本は洋館の元診療室に、衣類は主屋の二階の俺の部屋に、雑貨は……まぁ、控えの間に置いて置こうかな?」


 信高は洋館で、智章は主屋で荷物を受け取り、置く場所を指示して引越し業者は帰って行った。


「本はこの棚に並べるのか?」


 建築関係の本を後で並べ換えるにしても、ザッと段ボール箱から出して置いていく。


「なんか建築事務所らしくなったなぁ。智章はここで開業するんか?」


「いやぁ、まだ決めていない。それに仕事があるかもわからんし……」


 元々少ない衣類はぼちぼち後から出すことにして、信高に蕎麦を食べさせることにする。


「ありがとう。蕎麦を食べに行こう!」


 寿司をとるより、蕎麦屋に行った方が安くつくと、失業中の智章は節約にはしる。


 しかし、鞆の港まで降りた時、信高が別の提案をした。


「なぁ、佐藤麻衣子って覚えているか?」


「ええっと、髪の長い女の子だろ?」


 突然、昔の同級生の話をし出したのを怪訝な顔で眺める。


「そうそう、ポニーテールの可愛子ちゃんだ。あの麻衣子が青海波の若女将になっている。ランチを食べに行ってやろう」


 青海波とは鞆でも一二の老舗旅館だ。そんな高そうなランチを奢るのかと渋る智章だったが「俺は朝早く起きて、ミカエル女子高校生の写真を撮って来たんだ」と恩着せがましく言われ、渋々ついて行く。


「お前、女子高校生の写真なんか撮って、不審に思われなかったか?」


 自分なら絶対にできないと呆れるが「風景を撮っている振りをした」と簡単に答える信高に、信じられない気分になる。


『前からこんな奴だったかな?』とか思っていると、信高は「よっ、若女将!」などと着物姿の美人に馴れ馴れしく声をかけている。


「まぁ、光龍寺様」


 どうやらこの高級旅館の常連のようだ。


「若女将、こいつを覚えているか?」


「ええ覚えておりますよ。鞆中のプリンスですもの。この度はお祖母様ご愁傷様でした」


 鞆中のプリンス! とんでもない言葉に呆然としていた智章は、お悔みに慌てて頭を下げる。


「今日はこいつの引越し祝いだ。良い景色の個室を用意できるかな?」


「まぁ、引越して来られたんですか? 同級生にラインで知らせなきゃ! そうですわねぇ、瑠璃の間なら仙酔島も綺麗に見えますわ。ご案内致します」


 ラインで報せるのは勘弁して欲しいが、同級生としてのこと親しみと若女将としての丁寧さが相まって魅力的に感じる。


 瑠璃の間からは、仙酔島が綺麗に見えた。


「おお、良い景色だ」


 などと喜んでいる信高は置いといて、智章はランチの値段のチェックする。


『どうにかなりそうだ……蕎麦屋に行くつもりだったから、現金はあまり持っていない』


「ランチは安いだろ」などと笑っている信高に、自分の小心さがバレて気恥ずかしい。


 麻衣子がオーダーを受けて下がってから「あんなに美人だとは思っていなかった」と本音を言う。


「お前は中学の頃、氷のプリンスと呼ばれていたからなぁ。鞆中の女の子の心を独り占めにして、素知らぬ顔で本を読んでいた馬鹿な男だ!」


 氷のプリンス! メニューを見ているうちに出されたお茶をプッと吹き出しそうになる。


「馬鹿なことを!」


「馬鹿なことじゃない! これから鞆に住むなら、人とも付き合わないと駄目だぞ」


 人付き合いの苦手な智章は、グッと押し黙る。


「まぁ、それは置いといて……ほら、これがミカエル女子高校生だ。あんまり大きくは撮れなかった。分からなかったら、明日の朝に待ち伏せだ」


 差し出されたスマホの写真をじっと見るが、あの女子高校生ではない。


「違うなぁ……鞆の子では無いのか?」


「違うのか? おかしな話だなぁ?」


 鞆の子なら偶々通りかかるとか、前から八重と知り合いだから庭に居てたとか理解できるのだが、違うとなると一から考えなおさないといけない。


「ミカエル女子高校の校門で待ち伏せするしか無いかなぁ。あそこの尼さんは怖いぞ!」


 仏教系ならいざ知らず、キリスト教系は苦手だと信高も及び腰だ。


「女子高校の前で男が二人立っていたら、警察に通報される」


 とはいえ、やはりもやもやが消えない。


「誰かミカエル女子高校にツテが無いかなぁ」


「あっ、百合叔母さんなら……真里ちゃんはもう卒業しているから無理か……それに、おばあちゃんの死因について詮索しているのを、自分がもっと面倒をみるべきだったと責められているように感じているみたいだから……」


「そうだ! 麻衣子はミカエル女子高校卒だ」


「卒業生だからといって……」


「アホか、こんな立派な旅館の若女将だぞ。きっと同窓会の役員かなんか押し付けられているわ」


 同窓会の役員だなんて、なかなか厄介そうだと智章は眉を顰める。


「あっ、因みに俺は鞆中の同窓会の幹事だ! 今年の同窓会にはお前も来るんだぞ! お前が来ると聞いたら、女どもの出席率が上がる。女が来るなら、男も来る! 今年の同窓会は盛況だな」


 ガハハと笑う信高に「出席するとは言っていない。それに喪中だし……」と逃げを打つ智章だった。


「何? 喪中? 同窓会はお盆にするから、満中陰は終わっとる。大丈夫!」


 これは『行きたくない!』とハッキリ言わないと伝わらないのではと、智章が口を開きかけた時、麻衣子が先付けとビールを持って現れた。


「おお、良いところに……今年の同窓会はこいつも来るから、大成功間違えなしだ。麻衣子は来られるか?」


 ビールを注ぎながら、麻衣子は小首を傾げる。


「お盆は忙しいから……でも二次会には参加できると思うから、智章さんを残しといてね」


 旅館がお盆は忙しいのは当然だろう。もう結婚しているのに、夜遅くの二次会に出て来れるのかと智章は心配する。


「任せとけ! それより、若女将はミカエル女子高校卒だったよな? 同窓会の役員を引き受けてないか?」


「そうだけど……なんで?」


 怪訝な顔をする麻衣子に「此奴がミカエル女子高校生に一目惚れしたんだ」などと、とんでもない暴言を吐く。


「違う!」


 智章は真っ赤になって否定する。


「信高さんならいざ知らず、智章さんは違うわよね。何か事情が有るのでしょう。先ずはお召し上がれ」


 ランチタイムは忙しいのだろう。麻衣子は後で話を聞くと立ち去った。


 信高と青い瀬戸内海に浮かぶ仙酔島を眺めながら、黙って美味しいランチを食べる。


「全く冗談も通じないのだから」


 無口な智章が怒っているのかと信高が機嫌をとるようにビールを注ぐ。


「別に……麻衣子さんにどうやってあの女子高校生を探して貰えば良いのか考えていたんだ」


「そうだなぁ。名前も分からないし……顔はお前しか見ていないとなると、やはりミカエル女子高校に突撃しかないな」


「だからそんなことをしたら、警察に捕まるぞ」


「冗談だ! 髪の毛の長いミカエル女子高校生なんて、山ほどいるだろうし……まぁ、それは麻衣子と相談してみよう。美味しい物を食べる時は、集中してやらんと! 命ある物を頂いているのだから」


 智章は、何となく坊主の説教くさいと思い、そう言えば坊主だったと吹き出す。


「確かにな……」


 こんな綺麗な景色を眺めながら美味しい物を食べる贅沢をしているのだ。二人は暫し食べるのに集中する。


 食事が終わり、コーヒーを飲んでいると、ランチタイムの忙しい時間が終わったのか麻衣子が顔を出す。


 若女将の顔で「お口にあいましたでしょうか?」と頭を下げた麻衣子に「ご馳走様でした。美味しかったです」と智章は真面目に答える。


「人の奢りとなると、倍美味しく感じたわ」


 すぐに冗談を言う信高に、こんな奴だったかな? と智章は不思議な気がする。目敏くて、すばっこしい感じは同じだが、もっと真面目な正義漢だった印象がある。


『教師になりたい!』と公言し、誰もが相応しいと感じる信高だったが、その真っ直ぐさがその当時の智章には眩しくて距離を自然と置いていたのだ。


「もう、冗談ばかり……で、ミカエル女子高校生って何なの? 気になって、お盆を落としそうになったわ」


 同級生の顔になり、智章の横に「失礼します」などと言って腰掛ける。着物から香がほのかに漂い、智章は少し頬を染める。


「おい、人妻なんだぞ」


 相変わらず目敏い信高がこんな時は気にさわる。


「わかっている!」


 二人のやりとりをクスクスと麻衣子は笑っていたが、そんなに長い時間は居られない。大女将の目が光っているのだ。


「手短に説明すると、酒井のお祖母さんが倒れた時にミカエル女子高校生が居たか、それか通り掛ったみたいなんだ。その後、通夜の前に智章に『お祖母さんが亡くなったのは私のせいなの……』とか謝ったり、葬儀には来なかったが、港で霊柩車を見送ったり。鞆の子かと思ったけど、違うし……何か変だろ?」


 黙って話を聞いていた麻衣子だが「変にきまっているわ!」と怒りだす。


「私の後輩が何か変なことをしているなら、それを正してあげないと……でも、智章さんしか顔を見ていないのよね」


 和服なのに腕を組んで考え込む。


「その女の子は中学生じゃなくて、高校生なのよね? 私は高校からミカエル女子高校に通ったけど、近頃は中学から入学する方が多いいの」


 智章は女の子を思い出し、確かではないが中学生とは思えなかったと頷く。


「高校から入学した子は分からないけど、中学からなら調べられるかもよ。近頃は中高一貫が売りになっているけど、やはり女子校は嫌だとか、もっと勉強したいとかで、高校は他に進学する生徒もいるの。だから、中学を卒業する時に簡単なアルバムを作るのよ。私はアルバムの製作委員だから、過去のアルバムも借りられるわ」


 変な使い方はしないで! と特に信高に向かってクギを刺しながら、次の例会で借りてきてあげると確約してくれた。


「ほら、持つべきものは友だろ?」


 智章は、得意げな信高と青海波から出ながら、あの女の子は誰なのか知りたいような? 知りたくないような? 不思議な感覚に陥っていた。


「あれ?」


「どうしたんだ? まだ片付けは終わっていないんだろ?」


 急に立ち止まった智章の肩を信高が軽く叩いて帰宅をうながす。


「いや、見間違えだ。さぁ、帰ろう!」


 ロビーから出ようとしていた智章は、客室へと続く廊下へと母に似た女性が男と二人で歩いていたような気がしたのだ。

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