第11話 不審者と間違えられないか

 すったもんだの退職とは違い、本以外は持ち物が少ない智章の引越しはスムーズに運んだ。


 ベッドや家電などはサークルの後輩が引き取ってくれたのもあり、引越し作業は楽だったのだ。


 唯一、プロの手で注意深く梱包して貰ったのは、設計図を書くデスクと椅子だ。これは大学時代のバイト代をかなり注ぎ込んだ思い出の品で、サークルの後輩も欲しがったが断って鞆に持って帰ることにしたのだ。


 スーツケースの中には引越しの荷物が届くまでの僅かな着替えと身の回り品、そしてパソコンが入っている。


 荷物がなくなった部屋はガランとして、ここに七年も住んでいたのかと不思議な気分がする程よそよそしい。


 鍵を管理会社に返し、区役所に行って転居届けを出し、やっと新幹線に乗った智章は、品川駅に着くまでに眠りに落ちていた。


 ハッと目覚めた時は新大阪駅だった。乗降客が多く、隣席の客が荷物を棚に上げている音で深い眠りから浮上した。


『東京から新大阪まで爆睡していたな……』


 新大阪から福山までは一時間半ぐらいなので、寝過ごして広島まで行かないように車内販売のコーヒーを買って飲む。


 ホッと一息していると、スマホがブルブルと震える。


『もしかして……江藤課長?』


 金曜の揉め事を思い出し、智章はうんざりするが、退職手続きの書類に何か不備でも有ったのかと、ポケットから取り出す。


「きっちょむ……もしかして、あの女の子の名前がわかったのか?」


 デッキに行って、通話をクリックする。


「おお、やっと出たな! 酒井の家に行ったら、叔母さんから今日帰ると聞いてなぁ。福山駅まで迎えに行ってやるわ」


 福山駅からバスで帰る予定だったが、大型のスーツケースを持っているので出迎えは大歓迎だ。


「それは有難い。三時半に福山に着くから……ところで、あの件は?」


「お前も女子高生が好きなんだなぁ。それは会ってから話すわ。ほんなら、地下の駐車場で待っているからな」


 座席に帰りながら、どうやら地元の人は送って行く時は裏側につけ、出迎えの時は表の地下の駐車場に止まって待つようだと新しい知識を得る。


『ああ、でも住んでいる場所によるのかも? 鞆からだと裏の方が行きやすいからかな? いや、一緒なのか?』


 運転免許は持っているが、地元では殆ど運転したことがない智章は、これから鞆で暮らすとしたら車が無いと不便だと腕を組む。


『しかし、それは鞆にずっと住む場合だよな……満中陰までは居ると決めたけど……職がないと生活ができないし……』


 自己都合の退職なので、失業手当も三ヶ月は支給されない。一応は、職業安定所に通ってみるつもりだが、自分が納得できる仕事をしたいという我儘が通せるか不安な智章だった。


 あれこれ考えているうちに福山駅に着き、スーツケースをガラガラ引っ張って地下の駐車場に向かう。


「何処に止めているんだ?」


 キョロキョロしていると、プップーとクラクションが鳴る。


「嘘だろ! 坊主があんな車に乗って良いのか?」


 偏見かも知れないが、僧侶は白の国産車に乗っているイメージを持っていた智章は、信高の黒のポルシェに眉を顰める。


「時間通りだな」


 迎えに来てくれたのは嬉しいが、車高が低くて背の高い智章は乗り込むのさえ難儀する。


「ありがとう……でも、こんな車に乗っているのか?」


 ブルルルルとエンジン音を地下の駐車場に響かせ外に出ながら、信高はからからと笑う。


「これは、個人の趣味の車だ。檀家まわりの時は親父ので行くさ」


 お寺とはそんなに儲かるのか? とつい失礼な事を考えていると「違うぞ」と信高に笑われる。


「これは中古車だ。ほら、同級生の桑田を覚えているか? 彼奴は勉強はイマイチだったが、商売は上手くて中古車や新古車を安く売り、福山では一番のディラーになっている。ぼろ儲けしているのだから安くしてくれと値切ったんだ」


 どうやら友達価格で車を購入したようだ。ふと、鞆に住むなら車がいると考えていたのを思い出す智章だったが、桑田との諍いを思い出して頭を横に振る。


「おやぁ? まだ桑田の事を怒っているのか? まぁ、あの頃の桑田はちょっと悪ぶってみたい年頃だったからなぁ」


 他人事だと思って! の気持ちを込めて、運転している信高を睨みつける。


『淫乱の息子!』と思春期の智章には耐え難い言葉を投げつけられたのだ。許せる訳が無い。


「彼奴もあの頃は色々と大変だったのさ。まぁ、それでも言ってはいけない言葉もあるけど……」


 この件は後にしようと、信高は話を変える。


「そうじゃ! ミカエル女子高生の件だけど、かなり絞りこんだぞ」


 信高によると、鞆からミカエル女子高に通っているのは四人いるが、その中の二人は違うようだ。


「一人は背が高いし、もう一人は……まぁ違うかな? 好みにもよるけど、可愛いとは普通は言わないだろう。残った二人はなかなか良い感じの女子高生で、俺にはどちらが可愛いかなんて決められないなぁ」


 にやけている信高に、呆れる智章だ。


「可愛さで探しているんじゃ無いぞ! 祖母が倒れた時の事を聞きたくて探しているんだ」


「わかっている」


 本当かな? と横顔を見るが、坊主の面の皮は厚い。


「お前、明日は早起きだぞ! 二人ともバス通学だから、七時十五分に港のバス停で 待ち伏せだ」


 女子高生を待ち伏せ! 凄く怪しい気がする。


「しかし、いきなり話しかけるのはまずいだろ? 不審者に間違えられるのは嫌だし……それに話はしたいけど、学校をサボらせたく無い」


 信高は「当たり前だ」と笑う。


「俺は一年だけだが、教師だったんだぞ! 親父が倒れたから、辞めてしまったが……どちらか分かれば、後は調べるのも簡単だ」


 朝のバス停で、女子高生に詰問する不審者にならなくて良さそうだと、智章はホッとする。


「あっ! 明日は引越しの荷物が届くんだ!」


「なんじゃ、そりゃ! うっかりにも程があるだろう。それなら、明後日にしよう」


 祖母の最後がどうだったのか? 知らないとスッキリしないし、あの女の子が妙に引っかかってもやもやしていたので、信高の調査に感謝する。




 鞆の浦へ向かっていた筈なのに、ポルシェは山道を走りだす。


「おい、道を間違っているんじゃ無いのか?」


「間違って無いさ! ここから寺に行けるのさ」


 地元の人間に任せるしか無い。程なく、眼下に鞆の浦が見えて来た。


「ほら、ここからならお寺はすぐだろう」


 光龍寺の前には広い道がついていた。


「へぇ、いつからこんな道が?」


「数年前かな? ほら、ここに駐車場もあるし、友だちだから安くしとくぞ」


 お寺の横には参拝者の為だけでなく、貸駐車場もかなり広く整備してあった。祖母について来ていた時より、墓地も綺麗に整備され、なおかつ拡大しているように思う。


 お寺だけでなく、お墓の分譲や駐車場で儲けているらしいと、智章は呆れる。


『坊主丸儲けだ!』などと内心で悪口を言っていたが、スーツケースを持ち、正門まで行ってから坂道を降りようとして、ふと目の前の斜面が自分の家の裏庭に通じているのに気がついた。


「そうか! ここに階段があれば便利だよな」


 酒井の家の前の道は狭くて、軽四でもぎりぎりだ。霊柩車も途中までしか入れなかったのだ。


「おっ、良い考えだな! 階段があれば、ぐるっと回らなくてもお前の家にすぐに行ける」


 幼馴染が来るのが便利になる為に階段をつけるわけじゃ無いし、第一、ずっと鞆に住むと決めた訳でもない。


 しかし、港の付近に駐車場を借りるより、お寺の駐車場を借りた方が便利なのは確かだ。


『なんだが、段々と鞆に住む方向に向かっているな……でも、食べていくには働かないと……』


 迎えに来てくれた礼をして、智章は坂道をガラガラとスーツケースを引っ張りながら下る。


「ああ、智章くん! 帰って来られたのねぇ」


 お隣の山名さんとバッタリと出くわした。


「先日は祖母の葬式に来て頂き、ありがとうございました」


 近所付き合いは最低限にしたい智章だが、救急車を呼んだ人が誰か聞いて貰う約束だったので、精一杯の丁寧さで頭を下げる。


「いえいえ、八重さんにはよくして貰ったから。子どもらが小さい時は、夜中に熱を出したりして往診して貰ったり……先生にもお世話になったけど、本当は八重さんが口添えしてくれたのよ。先生は子どもの熱ぐらい朝になってからでも良いと思っていらしたけど、親は不安に思っているだろうと……優しい人だったわ」


 老婦人の思い出話しに延々と付き合わされるのは困るので、此方から尋ねる事にする。


「あのう、前に頼んでいたのですが……祖母が倒れた時に救急車を呼んで下さったのは誰でしょう。一言、お礼を言いたくて」


 山名のおばさんの顔が曇った。


「それが変なのよ。八重さんのお葬式でここら辺の人に聞いてみたんじゃけど、誰も救急車は呼んでないみたいで……でも、この道は住んでいる人ぐらしか通らんし」


 どうやら近所の人では無いらしいが、では誰なのか? と考えると、やはりあの女子高生が怪しくなる。なら、救急車を呼ばなかったのを後悔して、大袈裟に『私のせいで……』なんて言った訳ではないのか?


「いえ、わからないのなら仕方ありません。色々とありがとうございました」


 このままだと夕方まで思い出話に付き合わされそうなので、ペコリと頭を下げて通用口へ向かう。立派な門は通夜や葬式が終わったので、薔子や百合も門を開けていなかったのだ。


「あの門は傾いているから、余計に開けにくいんだな。なんとかしないといけない」


 元々は立派な門だったのだが、年月により少し傾いている。


「白壁も修理が必要だし……腕の良い左官さんが前は居たけど、まだ現役かな? できれば、お金を節約したいから、遣り方を教えて貰って自分でなおしたい」


 古民家の再生は大学のサークルで何回かした事があるし、無職になったから時間は十分にあるなどと、ぶつぶつ言いながら通用口から家に入る。


「なるほど、通用口からでも前庭は見えるな。松が無くなったから、見通しも良い。でも、倒れていた祖母まで気がつくかな? 倒れる瞬間でもなければわからないと思うけど……」


 スーツケースを通用口の中に置き、家の前の道を登ったり、降りたしながら、どの角度なら見えるのか調べる。


「やはり、よっぽどの偶然で倒れるのを見たのでなければ、気づかないな。じゃあ、庭に居たのか?」


 松が植えてあった庭には、祖母が薔薇を植えていたが、まだ花など咲いていない。薔薇が満開なら『綺麗ですね』とか覗く人もいるかもしれないが、女子高生がそんなおばさんみたいに図々しい事をするとも思えない。


「何なんだろ……このもやもや感は?」


 あの女の子が祖母を殴ったりはしないだろうと思うが、祖母が倒れた時に庭に居た可能性が高い。


『あれこれ考えても仕方ない! 明後日、見つけてからだ!』


 自分がこの家に寄り付かなくなってから五年も経つのだ。もしかしたら、祖母の知り合いの孫娘と普段から仲良くしていたのかもしれない。


 考えても仕方ないと思いつつ、あれこれ想像してしまう。


 智章は、それ程あの女子高生の事が気になるのは、可愛かったからか? それとも何故か親近感を持ったからか? 少し悩みながら、スーツケースを持ち上げて玄関の框を跨ぐ。


「ただいま~」


 声を掛けると「あっ、お帰り」と百合の声が奥から聞こえる。相変わらず薔子は出てこようともしないし、声もかけてこない。


 智章はこれから何日か母と同居するのかと気が重たくなるが、百合から意外な事を聞く。


「よう帰って来てくれたねぇ。ちょっと前に、お姉さんは大阪に帰ったのよ。何か用事が出来たとか……これで家に帰れるわ。あんまり、鞆にばかりいたら姑の機嫌が悪くなるのよ」


 祖母の遺品を整理していた筈の母が、何で大阪に急いで帰ったのか? 智章は首を捻る。


「引越しは明日なんでしょう? 何か手伝おうか?」


「いえ、大丈夫です。大きな家具は設計机と椅子ぐらいですから」


「それなら……またお姉さんが帰って来てから、お母さんの物を片付ける事にするわ。どうせ日曜には二七日だから、来ないといけないのにねぇ」


 どうやら前から大阪に帰る予定では無かったようで、百合は怪訝な顔をして、智章に「何か聞いている?」と質問してくる。


「いやぁ、俺が今日帰ると連絡した時は何にも言ってなかったけど……もしかして引越しを手伝うのが嫌で逃げ出したのかなぁ? 初めから当てにはしてないけどさぁ」


 百合もあの姉なら面倒な引越しから逃げ出すかもしれないと肩を竦める。


「そうだ! 智くんは設計とかできるのよねぇ。なら、ここで建築士をやれば良いじゃない」


 叔母はこの家にどうあっても住ませたいようだと苦笑する。


「叔母さん、設計士だけで食べていけるのは少ないよ」などと抗議する智章を強引に診療所だった洋館へと連れて行く。


 医者にならなかった智章は、この洋館は鬼門めいた場所になっているので嫌がったが、こんな所は薔子に似ていて強引だ。


「ほら、ここなら事務所にしても良いんじゃない? 本棚も十分にあるし」


 診療所だった部屋、待合室、そして応接室などを百合はドアを開けてはアピールする。確かに消毒液の匂いも消え、医療器具も全て処分されている洋館は、なかなか良い感じだ。


「おばあちゃん、ピアノは処分しなかったんだな」


 日本家屋の母屋にではなく、洋館の応接室にピアノは前から置いてあり、薔子や百合もだが智章も子どもの頃はここでピアノの練習をしたのだ。


「このピアノのお母さんの嫁入り道具だったからね。あの当時、ピアノを持って嫁入りするのはお金持ちだけだったのよ」


 和服を着ている印象しかない祖母だが、嫁入り前はピアノを習ったり、結構洋風が好きだったのかと目から鱗の智章だ。


「へぇ、お母さんや叔母さんのピアノだと思っていた」


 塵よけのビロードのカバーを跳ね上げ、黒い蓋を開ける。ポロンポロンと弾いてみる。


「ちゃんと調音してあるみたいね。もしかして、お母さんが時々弾いていたのかな?」


 クッスンと涙ぐんだ百合だが「あっ、お義父さん達の夕食に間に合わなくなるわ。智章くんのは冷蔵庫に置いてあるから、食べといてね」とバタバタと帰っていった。


 久しぶりに足を踏み入れた洋館を智章は、建築士として眺める。


「ここも少し漆喰が剥げているな……飾り漆喰なんて、俺の手にはあまるから、修理はできないし」


 腰までは木材が打ちつけてあるが、そこから上は壁紙ではなく白い漆喰仕立てになっている。壁と天井の境目は数段の飾り、そして角には見事な酒井家の家紋でもある下り藤が施してある。


「これもあの左官さんが……いや、左官さんの親の世代かな?」


 ここにずっと住むか決めていないと言いつつも、あれこれ改善点が目についてしまう智章だった。

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