第15話 何故?

「信高さん、来てくれたのね。ありがとう」


 青海波のロビーに入った途端、麻衣子が二人を見つけて側に来た。


「麻衣子さん、今回は迷惑をお掛けしました」


 元とはいえ義理の父親だった小松原がこの旅館に泊まっていたせいで警察が沢山押しかけているのだ。老舗旅館にパトカーは相応しくない。


「それは良いのよ。うちに泊まって下さったお客様が被害に遭われたのだから……それより……」


 警察官が旅館をうろついているのは、雰囲気をこわす事になるが、部屋で心中事件があった訳では無いので、その点は然程迷惑では無いらしい。


 麻衣子が口籠ったのは、きっと母の件だと智章は察した。


「警察に全部話してくれて構わない。実は俺もランチを食べに来た時にロビーで母らしい人を見たんだ。後ろ姿だったし、前の日に大阪に帰った筈だから見間違えだと思ったけど……きっと他の人も見ていると思う」


「そうだぞ。警察に下手に隠したら、余計に怪しく思われる」


 麻衣子がホッとした顔で微笑む。


「今は警察は小松原様が宿泊した夕霧の間を調べているわ。それから私に詳しく話を聞くとか、あの目つきが鋭い刑事さんが言っていたから何となく怖くて……兎も角、こんな場所で立ち話も何やから……」


 麻衣子に案内されて事務所で話し合う。智章も母の行動をおさえておきたかったので、好都合だ。


 麻衣子が淹れてくれたお茶を飲みながら話し合う。


「あの小松原さんは弁護士さんなんだってねぇ」


 色々な客を見ている麻衣子だが、やはり真っ当な職業の人では無いと感じていたのかと智章は肩を竦める。


「あの服装のセンスは酷いけど、凄腕の弁護士なんだ。だからこそ鞆の浦に来ていたのが理解できない。一緒に暮らしている時も忙しそうだった……あっ、でも料理はよくしてくれていたなぁ」


 掃除や洗濯などは通いの家政婦任せだったが、小松原はマメな性格で外食をしない時は夕食は自分で作っていた。


「へぇ、良え人だったのねぇ」


「そう、良い人だった……」


 あのまま夢枕になど立ってくれなかったら、本当に良い人だったのにと内心で愚痴る智章だ。


「あの部屋の捜索が終わったら、刑事さんと話をしないといけないのだけど……こんな時に道隆さんも大女将もいないのだから。道隆さんが東京から帰ってくるのは昼過ぎになるし、大女将は女将会の旅行で北海道だから無理なのよ」


 心細そうな麻衣子を信高は励ます。


「麻衣子は知っとることを素直に言えば良いんだ。智章のお母さんは小松原さんを殺したりはしていないから、安心しろ」


「そんなことは考えてもいなかったわよ。ちょっと迷惑をかけるかなぁと心配していただけだもの。前の日に会っていたとなったら、警察が事情を聞きに行くかもと思って……でも、良かったわ」


 智章が母親と連絡を取って、昨日のうちに大阪に帰ったのを確認したのだと麻衣子は誤解しているのに二人は気づいたが、それはそのままにしておこうと信高は目配せする。


「なぁ、信高さん。刑事さんと話す時に一緒にいてくれる? 何となく心細くて……」


 勿論、心臓に毛の生えていそうな信高は「ええよ」と二つ返事をする。


「じゃぁ、俺は……」


 智章はいずれ警察から何か聞かれるかもしれないと覚悟していたが、母親と連絡がつくまでは会いたくなかった。


「お前は……まぁ、ええわ。後で話に行くけど、居るよな?」


 本来なら一番関係がある智章だが、母親の件もあるので出来るだけ距離を置きたいのだろうと信高は立ち去るままにした。



 智章は家に帰って、もう一度リダイヤルしてみたが、まだ電源は入っていなかった。


「いくら何でも起きているだろう」


 十時を回っているのに寝ているのか? でも、あの母親なら有り得るかもと、また昼過ぎにリダイヤルすることにして、するべき事をする。


「今日は転居届けを出す事と、草引きだな。その前に何か腹に入れよう」


 早朝からバタバタしていたので、朝ごはんも食べていない。昨夜のご飯と味噌汁があるので、卵焼きを作ってブランチにする。


 智章は裏庭の草を引いているうちに心が静まって来た。


「こういう単純作業は良いなぁ」


 草を引いた地面が綺麗な茶色になっていくのを見ると達成感がある。


 このまま邪魔が入らなければ、裏庭の除草作業は終了できたのだが「おおい」と信高の大声が聞こえる。


「チェッ! あと少しなのに……イテテ」


 立ち上がると、腰が曲がっていた。ううんと背伸びしてから「こっちだ! 裏庭にいる」と呼びつける。あともう少しなので、終わらせてしまいたかった。


「お客さんも一緒なんだ」


 あの鋭い目付きの安田刑事を連れて来たのかと、智章はうんざりしながら表へ回る。


 だが、そこには意外な人が立っていた。


「蓮くん……」


 八年ぶりに会う蓮は、すっかり青年の顔つきになっていた。


「智章さん、お久しぶりです」


 どうやら服装の趣味は似ているみたいで、白シャツと黒のパンツ姿なのだが、どこかホスト風な蓮だ。しかし、挨拶はきちんとする。


「この度は、大変なことに……あのう、警察とかは良いのか?」


「おい、こんな所で立ち話をしなくても良いだろう。それに腹が減ったし、何か食べに行くか? 何か取るか?」


 図々しい信高に今回は救われた気がする。八年ぶりに会う蓮と二人っきりだなんて、智章にはキツすぎる。


「ごめん、兎に角上がって」


 そう言った途端、何処に通すか迷う。普通なら座敷だが、新仏様が飾ってある。今朝、父親を亡くした蓮にとって仏壇とかは見るのが嫌かもしれないと智章は悩む。


「おっ、じゃぁ八重ばあちゃんに手を合わせとこうか」


「えっ?」と驚く蓮に「先週、祖母が亡くなったんだ」と簡単に説明する。


「じゃあ、俺も線香を供えさせて貰うわ」


 ツンツン尖った髪型の蓮だが、玄関の上り方なども礼儀正しい。


 信高が手を合わせているのを後ろで座って見ていた蓮は「ここは南無阿弥陀なんや……」と呟き、新仏の前で線香を供えると手を合わせて「南無阿弥陀」と真面目に拝む。



「良い子だなぁ」


 蓮の正座姿もシャンとしている。智章は背が高いのに少し猫背なので暗い印象になる自分を反省する。


「中の間で話そう」


 仏様の前では落ち着かないだろうと、中の間に移動しようとしたが「台所でいい」と信高は勝手知ったる他人の家で台所へ向かう。


「俺も台所でええわ」


 他所から来た人にと遠慮する智章だが「先ずはお茶をくれ」と信高に言われて、慌ててお湯を沸かす。


「ええ雰囲気の家やねぇ。落ち着くわ」


「古い家だから……」


 小松原の家はガラスと大理石が多く使われていて、智章は引っ越した時に落ち着かなかったのを思い出す。


「それで、警察はもう良いのか?」


 お茶を出しながら、智章はこんな所に居て良いのかと心配する。


「もう遺体の確認はしたし、俺が昨日は大阪に居たのは確認できたから用事は無いみたいや。でも、まだ検死とかあるみたいやから、葬式も挙げられんのんや」


 お茶を美味しそうに飲みながら、蓮は淡々と話す。


 どうして父親が殺されたのか? 犯人は誰なのか? 胸の内では嵐が吹き荒れているだろうに、顔には余り出ていない。


 そんな所も父親に似ていると感じる智章だ。母が男と出て行った後も、智章に普通に接してくれていたのを思い出して感謝する。


「まぁ、事件の場合はなかなか遺体を返してくれないと聞くぞ。ところで、小松原家の宗派は?」


 光龍寺と同じ宗派で無いのは「南無阿弥陀なんだ」とチェックしていたので明らかだ。


「うちは高野山なんです。だから南無大師遍照金剛……親父が死ぬとは思ってもみなかったわ」


 平然としているように見えるが、やはりショックを受けているのだと、智章はどうしようか狼狽える。


「こちらで葬儀をするなら、同じ宗派のお寺を紹介するぞ」


「おおきに……まぁ考えておきます。大阪に親父の知り合いも多いけど、こちらで葬儀をしてから別れの会とかでも良いし」


 父親の死でショックを受けていても、蓮はやはり自分よりしっかりしていると智章は感じる。


「それで昼飯はどうする? 何か取るなら電話せんといけんぞ」


 信高のいつもよりガサツな態度は、ショックを受けている蓮は食欲など無いだろうが、何か腹に入れた方が良いと思っているからだ。


「何か作ろうか?」


 店屋物を取るより、こんな時は質素な物でも普通のご飯の方が胃に優しい気がする。


「なら、早く頼むわ」


 図々しい信高に蓮が呆れているが、智章はさっさと米をとぎ、炊飯器をセットする。


「野菜炒めと卵焼き、それと味噌汁ぐらいしかできないけど……」


「それで十分です」


「まぁ、いいだろう」


 二人も智章の料理の腕に然程期待していないようだ。今回は高速炊飯にしたので、二十分で炊き上がる。


「二十分あるなら、高野豆腐も炊けるな……」


 祖母の葬儀の時の余りの乾物があるので、高野豆腐と干し椎茸を水で戻している間に、鞆の浦で取れた煮干しで出汁をとり、昨夜の残りの春キャベツをざっくりと切る。


「へぇ、意外と手早いな。酒井の坊っちゃま育ちだから、何もできないと思っていた。やばい、鞆中のプリンスが料理もできると知れたら、俺の嫁さん来なくなる」


「鞆中のプリンス? 智章兄さんは、そう言われてたんですか?」


 智章には大阪弁丸出しで話すが、信高には丁寧な言葉遣いをしようとしている蓮が成長しているのに気づくが、段々と話が変な方向に向かっている。


 料理をしながら「変な事を蓮に教えるな!」と怒鳴る。


「いやぁ、知りたいです」


「こいつは氷のプリンスとも呼ばれていたんだ。女の子はみんなこいつに夢中なのに、つれない素振りでなぁ。勿体無い」


「高校でもモテてたみたいですよ。バレンタインデーには郵便受けからチョコがはみ出てたから」


「おお、凄い!」


 二人の軽口に智章は頭を抱えたくなるが、蓮が少しずつリラックスしてきたのに安心する。なにせ小松原に頼まれたので、ショックが和らいでいるのが嬉しい。


「ところで、蓮くんは何をしているの? 学生さんか?」


 調理の手を止めて、智章も興味を示す。


「俺は智章兄さんと一緒の建築士になったんです。デザイナーデザインのマンションを設計販売する会社を知り合いとやっています」


「弁護士にはならなくて良かったのか?」


 かなり大勢の顧客も持っていた小松原事務所なら、蓮が弁護士になっても良かったのにと、自分のことはさて置き勿体無いと感じる。


「俺には法律は無味乾燥なもんに思えたんや。それより、何かを創り上げる方が面白いから」


 確かにスタイリッシュな蓮なら格好の良いデザインのマンションを設計しそうだ。


 ピピピ……とご飯が炊き上がり、高野豆腐と干し椎茸を小鉢に盛り付けると、春キャベツをサッと炒め、煮干し出汁の味噌汁をよそう。


「美味しそうや」


「お前、嫁にいけるぞ」


 目の前に並んだ昼食に「頂きます」と二人が手を合わせるのを見て、焙じ茶を淹れてやる。


「美味しい!」


 父親が亡くなり、食欲など無かった蓮だったが、ごく普通の食事に箸が進む。


 智章は炊きたてのご飯を仏壇と新仏様にお供えしてから、軽くついだご飯を食べ始める。


「お代わり!」図々しい信高の声で、蓮にもお盆を差し出す。


「俺も」とお盆の上に空っぽのお茶碗を乗せるのを見て、これで少しは面倒を見たことになるのかなと、胸を撫で下ろす。


 ご飯を食べ終わると蓮がボソッと呟いた。


「何故、親父は鞆へ来たんやろ?」


 それは智章も知りたいと思った。


「本当だな……」


 まだ小松原さんは母に未練があったのか? それとも何か事情があったのか? 犯人や鞆に来た理由などを教えてくれたら良かったのにと内心で愚痴る智章だった。


 何故なら、八年ぶりに会った蓮は失業中の自分とは違いしっかりと働いている。それも自分の好きな事をして稼いでいるのだ。


『俺もシャンとしないといけないな……』


 食器を洗いながら、智章は溜息を一つついた。

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