第8話 死ぬなら桜の季節が良いな……
「達雄さんの葬式から何年経つのかなぁ? 前はこんなんじゃなかったよなぁ」などと福山市に住んでいない親戚は新しい火葬場に驚いていた。
智明も近代的な火葬場に驚き、明るい雰囲気で良かったと見回した。
「きれいになっているのね」
「三年前に建て替えたのよ。お父さんの時はまだ古かったから暗かったけど……」
がやがやと棺と共に火葬場に入る。ぴかぴかのタイルと開放的な大きな窓があるので、前みたいな暗いイメージはない。
しかし、ここで祖母とは本当にお別れなのだ。信高の読経と共に、棺が焼却炉の中に消えていくのを、智章は手を合わせて見送った。
母と叔母の泣き声に、智章も涙を堪えるのが辛くなる。
「酒井家の皆様、こちらになっております」
祖父の時は、一旦、家に帰ってから骨を拾いに来たが、今度の焼却炉は高速だとかで、控え室で待っている間に焼けるそうだ。
智章は、親戚と狭い控え室 で待つ気にならず、外に出た。
一陣の風が吹き、名残の桜を散らしていく。
「死ぬなら桜の季節が良いな……」
智章の独り言に「そうだな」と相づちが二つ。
「きっちょむ? お寺に帰ったと思ったのに……ええっと、お布施に何か問題でもあったのか? 百合叔母さんが入れるのを忘れたとか?」
子供の頃、信高からお寺で一番困るのはたまにお布施が入っていない事だと聞いたので、心配になる。
「まさか! 酒井のおばあちゃんには本当に世話になったから、骨上げまで残っておこうと思ったんだよ。それと、久しぶりに会ったから、話もしたかったし」
「俺は後でと言われたから……でも、今はダメかな?」
ハトコの真斗は、僧侶の前で憑座の話は微妙だろうと、親戚の控え室に戻ろうとした。お経で成仏していないとか難癖をつけているように誤解されたら厄介だ。
「こちらは、もしかしたら結城の?」
昔から信高は渾名の通り、目端が効く。民話のきっちょむさんは、とんちで有名なのだ。智章は、自分が特殊な体質について何か信高に話しただろうかと、小学生の頃を思い返す。
突然、ぶぁっと冷や汗が背中に流れる。
『きっちょむはお寺で住んでいて、怖くない? 何か変な物を見たりしない?』
幼い自分が信高に変な質問をしているのがフラッシュバックしてきた。信高の上に過去の映像が被り、どちらが現実かわからないほど混乱する。
「今はだめだ!」
智章は必死に正気を保とうとする。こんなに酷いのは大学二年生の時以来だ。この数ヶ月のストレスに加えて、寝不足と祖母の死のショックで、自分の精神状態がかなりやばいのに気づく。
「智くん!」「智章さん」
ふらつく身体を両側から幼馴染とハトコに支えられ、庭のベンチに座らせて貰う。
「水を貰って来るわ」
腰の軽い真斗が建物の中に消え、心配そうな信高だけが側に残った。
「顔、真っ青だぞ……無理するなよ」
過敏になっている智章は、信高の持つ穏やかで温かな雰囲気で癒された気がする。
「お前、意外と僧侶に向いているのかもしれないな」
「当たり前だ! 俺はもう立派な住職だからな」
信高の父親はどうしたのかと、遅まきながら不思議に思う。
「お前は顔に思っている事が出るなぁ。それで会社勤めをやってられるのか? 親父は二年前に脳梗塞で倒れて、左半身を持っていかれてしまったんだ。まぁ、リハビリしてぼちぼち歩けるようにはなったけど、住職は代替わりしないといけなかったわけさ」
同じ年なのに住職なのかと、智章は驚く。他にも葬式が重なるかして、身内だけの葬式なので若い信高が来たのだと思っていたのだ。
「それは大変だったね……」
「そんな青い顔した人に言われるほど、大変じゃないさ」
からからと笑い飛ばされ、真斗が建物の中の自動販売機で買って来てくれたペットボトルの水を飲んでいるうちに、智章も落ち着いてきた。
「うちのおばあちゃんは倉敷出身だったんだ。だから結城のことは知っている。二人は同じ女子校に通っていたみたいだから」
八重の実家である結城は岡山県の倉敷市の沙美という小さな町にある。
「それだから、おばあちゃんはお寺の大奥さんと仲が良かったんだな」
祖母はお寺に裏庭で育てた花をそれこそ山ほど持って行き長話を始め、お伴した智章は信高とその兄に遊んで貰ったものだった。
「なら、ここで話しても大丈夫かな? 新学期が始まったばかりだから、俺は明日には大学に戻らなきゃいけないんだ。親の前では話したくないから」
この僧侶が結城の一族について知っているなら、真斗は気になっていることを話したいと考える。
「俺はあんまり憑座の能力は無いから、あんまり言わないようにしているけど……智章さん、気をつけた方が良いですよ。何か厄介ごとに巻き込まれていませんか?」
あの母親の子どもに産まれた時から厄介ごとに巻き込まれていると皮肉な考えが浮かんだが、冗談ではないのだろうと真剣に受け止める。
「真斗くん、忠告ありがとう。厄介ごと……そうだなぁ、仕事で厄介ごとに巻き込まれていたけど、それはもう良いんだ。辞めるつもりだから……後は、あの女子高校生ぐらいかな?」
仕事を辞めると言う言葉に二人は驚いたが、それよりも反応が激しかったのは『女子高校生!』だ。
「お前、女子高生に手を出したら犯罪だぞ!」
「女子高生! 羨ましい……いえ、俺は智明さんを信じていますよ」
智明は自分の失言と激しい反応に頭を抱え込む。
「違うんだ……お通夜の前に会ったんだよ。おばあちゃんが亡くなったのは自分のせいだと謝っていたけど、名前も知らないし、どういう意味かもわからないから気になって……」
「お通夜の前に会ったのか! ヒュウ! やるねぇ」などと、相づちを打って冷やかしていた信高だったが、最後まで聞くと真剣な顔になる。
「なんだ? そりゃ?」
「お前も変だと思うだろ? 焼香の列には見かけなかったのに、港の近くで霊柩車を見送っていたんだ。今日は木曜だから、学校は休んでわざわざ来たんだよな?」
信高は腕を組んで歩き回る。
「他には何か情報は無いのか?」
ふいにベンチに座っている智明の前に立ち止まると、グイと顔を近づけて詰問する。
「お前、顔が近いよ! そうだ! ミカエル女子高に通っているんだ」
「ミカエル女子高校!」
福山で名門の女子高の名前に信高と真斗が興奮する。
「あのお嬢様学校の生徒なのか」
「お前らロリコンなのか? さっき女子高生に手を出したら犯罪だとかひなんしていたじゃないか!」と智章が呆れるが、二人にきっぱりと否定される。
「ロリコンなんかじゃ無いですよ。十八歳と二十二歳なら別におかしく無いでしょう!」
「いやぁ、二十五歳でも変じゃ無い。手を出すのはまずいが、結婚を前提の真面目な交際ならありだろう。おれに任せとけ!」
あの女子高校生が十八歳かどうかはわからないが、お寺の住職である信高が探してくれると引き受けてくれた。
「鞆からも何人かミカエル女子高に通っている筈だ。背格好を詳しく教えてくれ」
熱が入りすぎているのでは無いかと、智章は困惑する。
「動機が不純じゃ無いのか?」
「何を言う! 八重さんの最後がどうだったのか、知りたいと言い出したのはお前じゃ無いか?」
何となく親近感を持った女子高生の姿を思い出しながら、信高に説明する。
「身長は……あんまり高くなかった。多分、158センチぐらい。細くて、髪はセミロング、目はぱっちりしていたし、かなり可愛いかった」
「そんなのは大概の女子高生に当てはまるぞ! ほかに何か特徴は無かったのか? 黒子とか?」
「黒子なんて……無かったとは思うけど、門の前でチラッと話しただけだし……今日は動き出した霊柩車の中から見かけただけだから」
「まぁ、ええわ! ミカエル女子高のかわい子ちゃんの探索は俺に任せとけ!」
信高に引き受けて貰ったのに、何故かもやもやする智章だった。
「あっ、そろそろ時間じゃ無いのかな?」
火葬場に何回も来ている信高に注意されて、建物の中へと向かう。
「智くん、何処へ行っていたの?」
ちょうど案内があったようで、控え室からぞろぞろと親戚が出てくる。
「少し外の空気を吸っていたんだ……」
まだ祖母の最後に疑念を持っているとは叔母には知られたくないので、智章は誤魔化す。
ガラガラと金属の板が窯から引き出され、ストレッチャーに乗せられて真ん中に安置される。
「お母さん……小さくなってしまって……」
智章は骨を拾ったのは祖父の時が初めてだったが、こんなに小さくはなかった気がする。
「お父さんはしっかり骨が残っていたのに……」
新しい高速窯のせいで焼きすぎたのでは無いかと、智章は少し不満を持つが、他の親戚達は「女の人の骨はもろいから」と当たり前のように竹と木の長い箸を受け取っている。
火葬場の職員がごそごそと骨をかき分けて、小さな骨のかけらを別にする。
「喪主様はどなたですか? こちらの喉仏をこちらに」
智章は長い箸で脆そうな骨のかけらを崩さないように気をつけながら、そっと小さな容器に入れた。
「脚の方から入れて下さい」
骨壷に骨を拾って入れていくのだが、脆くて大きな骨しか拾えない。それが智章には、苦労した祖母の証のように感じて辛い。
「最後に頭蓋骨で蓋をします」
祖父の時はしっかりしすぎていて、職員の人がガンガンと割っている音に耳を塞ぎたくなったと智章は思い出していたが、祖母の頭蓋骨は何個かに割れていたので、あの音を聞くことは無かった。
骨壷に納まってしまった祖母はあまりに軽く、智章は帰りのタクシーの中で抱き抱えて「ごめん」とこの数年帰らなかったのを再度詫びた。
またすぐに親戚に集まって貰うのもわるいからと、初七日の法要も一緒に済ませ、精進上げを食べる。
信高はビニール風呂敷に包まれた精進上げを持ってお寺に帰って行き、残された智章は同じ年頃なのはハトコの真斗だけだと溜息がでる。
苦手な親戚付き合いだが、喪主としてビールを注いで回る。
祖母の実家関係は懐かしい話などを聞けて、智章も気が楽だったが……問題は保科一族と、酒井の先代の親戚だ。祖父の達雄は一人っ子だったので、面倒な親戚は少ないのだが、まだ甥が生き残っていた。
「この家はどうなるんじゃ? あんたが継いで護っていくんか?」
祖父の従兄弟である老人に聞いて欲しく無い質問を浴びせられ、智章は冷や汗をかく。
「東京で就職しているので……」
会社を辞める気持ちは固まっていたが、酒井の家に帰るかどうかはまだ悩んでいる智章は、ビールを注ぐとそそくさと逃げ出した。
台所でふう~っと大きな溜息をつく。老人に「俺が継ぎます!」と言いきれなかった自分に嫌気がさしていた。
「あら智くん! こんなところに居たの? あんたは喪主なんだから、座敷に居ないと駄目よ」
こんな時は真面目な叔母に『いらん世話だ!』と怒鳴りたくなる智章だったが、確かに正論なのだ。
渋々、座敷に帰ると満中陰の日程で揉めていた。
「三月に跨ってはいけないと、前から言ってるよねぇ」
「それは迷信だと、お寺さんも言っておられた」
どうやら薔子は、五月の最後の日曜に満中陰をしたいみたいだ。しかし、その日は娘婿になる賢治は外せない用事があるみたいで、六月の最初の日曜にして欲しいと主張している。
「五月の第三日曜ではいけないの?」と智章がていあんしたが、親戚の全員から「それでは短すぎる!」と速攻で否定された。
「六月の最初なら本来の満中陰になるし、丁寧な法要になるだろう」
保科の両親は、自分の息子の用事を優先したのか、丁寧な法要にこだわったのか、四十九日をきっちりとするべきだと言い張る。
「お母さん? 六月じゃあいけないの?」
五月の終わりだろうと、六月の始めだろうと、どちらでも良いのではと、智章は疑問に思う。
「大阪から来るのだから、少しでも早い方がええんよ」
「えっ、お姉ちゃんは大阪に帰るの?」
祖母の身の回りの物などを姉妹で片付けるつもりだった百合は驚いて、少し非難めいた声をあげる。
「だって……もう、大阪で暮らしているから……もう良いわ、六月の第一日曜で!」
智章は何か変だと感じたが、この時は満中陰の日取りが決まった事に安堵して、突き止めて考えなかった。
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