第7話 あの子は誰? 

 酒井八重の葬儀は、身内だけと断ったのにもかかわらず、大勢の一般の参列者が集まった。

「お母さんは皆に慕われていたから、仕方ないね」

 診療所の妻としてだけでなく、医者として忙しい祖父の代わりに地域の民生委員なども引き受けていた祖母の葬儀に駆けつけた人を追い返す訳にもいかず、急遽、玄関の土間に焼香台が設置された。

「もしかして、俺がここに座るの?」

 磨き込んだ上がり框には、慶弔用の座布団が二枚置かれている。

「本当なら、私とお姉さんでも良いのだけど……智くんは喪主だから」

 近所で評判の悪い母は、そんな場所に座って、参列者に頭を下げる気は無さそうだし、喪主と言われたら仕方が無い。

「葬儀が始まり、喪主様、保科の奥様はご焼香をなさってから、こちらに移動して下さい。一般の方のご焼香は、こちらでタイミングをはかって始めさせて頂きます」

 友愛葬儀社の人に、式次第を確認して貰う。この時点で、かなり祖母が考えていた葬儀と違うのでは無いかと、智章は少し苛立ちを感じていた。

『身内だけで静かに見送って欲しかった筈なのに……』

 保科や結城の一族が到着し、何かと面倒な焼香順を決めたり、葬儀の前に御伽を食べたりとばたばたする。

「忙しくて、悲しんでいる暇が無いわ……」

 相変わらず御伽の弁当を運びもしない薔子とは違い、台所と中の間を行ったり来たりしている百合の愚痴に、お手伝いしている智章も同意する。

「本当だね……」

 しかし、本来の祖母が考えていた葬式からかけ離れさせたのは、愚痴っている叔母なのだ。とはいえ、十数人の御伽なので、中の間と前の間で余裕で食べられそうだ。

 中の間には保科一族が座っていたので、智章は医者一族から逃げるように、祖母の実家である結城一族が座っている前の間で御伽を食べることにした。

「智章さんが喪主をしてくれて、八重伯母さんも安心しているでしょう」

 結城の跡取りである雄一にビールを注がれながら労われる。

「そうだと良いのですが……」

 通夜の夜、祖父に医者にならなかった件を納得させて貰った智章としては、安心どころか、心配をかけているので、ビールが苦く感じた。

「あのう、結城には憑座が時々産まれたと聞いているのですが……」

 できたら、この厄介な特殊体質を消したいと智章は切望しているので、何かヒントは無いかと雄一に質問してみる。

「そうですなぁ、私の祖母は優れた憑座だったという話だけど、あまり知らないのです」

 そんなもんだよなと溜息をついていると、横で御伽を食べていたハトコの真斗がポツリと呟いた。

「亀ばあさんのこと? 八重伯母さんは、最後の憑座だと言っていたけど……もしかして、智章くんは?」

 結城一族の目が智章に集中する。

「まさかぁ!」

 面倒ごとは御免なので、智章は否定したが、真斗の目がキラリと光る。

『もしかして真斗くんは……そういえば、お通夜には来てなかったんだよな』

 お通夜で祖母が懐かしい実家の人達に挨拶をしているのに、結城の一族は素知らぬ顔をしていたので、誰にも憑座の血が受け継がれていないのだと智章はがっかりしていたのだ。

 お通夜の時に、真斗は確か京都の大学へ通っていると聞いた。智明は、真斗がわざわざ大叔母の葬式の為に帰省したのが気になった。

『でも、雄一さんは結城の憑座の血は途絶えたと言っていたし……真斗くんはもしかして、親にも内緒にしているのかな? それともただ単に亀ばあさんに懐いていたのかも? 亀ばあさんが亡くなったのは、俺が小学五年の頃だったけ? なら、真斗は一年生ぐらいだったのかな?』

 智章はこの件は後でゆっくりと真斗と話し合わなくてはいけないと思う。何か、曽祖母の亀から憑座の極意などを聞いているのかもしれない。

 真斗も何か感じとったのか「後で話せる?」と尋ねてくるので、智章は「後で、必ず!」と頷いて、御伽の弁当を台所に下げたり、折り畳みの座敷机を脇の座敷に運ぶのを手伝う。この時、真斗も腰が軽く手伝ってくれ、今まで親しくは無かったのに、好意的な目で見てしまう。

『俺って単純なのかな?』

 酒井の祖父は昔気質で、家の中の用事は全くできなかったし、しなかった。それで、祖母が何もかもするしかなかったのだが、智章は成長するにつれて自然と手伝うようになった。

 なので、自分が家事をする事に抵抗は無いが、母のように横着な者には厳しい目を向けてしまう。慶弔時にある年齢層以上の男性が全く動こうとしないのも、智章には仕方ないとは思うが、非難がましい目で見てしまうのだ。

『そう言えば……小松原さんはまめだったな』

 大阪で一時期、義理の父親だった小松原俊明は、母が家事を一切しないのも気にしないで、自分が率先して動いていたと懐かしく思い出す。祖母の細やかな料理に慣れていた智章には、少し乱暴にも感じたが、男の料理も悪く無いと舌鼓を打ったものだ。


 昔の同級生が錦糸の袈裟を着て、玄関に到着したので、喪主の智章は挨拶に出向く。

「宜しくお願いします」

 やんちゃだった面影を探すが、僧侶の仮面は分厚い。

「八重さんにはいつもお寺に花を届けて頂いていました。仏様にお供えして欲しいと……本当に惜しい方を亡くしました」

 祖母が花をお寺に届けていたのは、智章が一緒に暮らしていた頃もしていたので、まだ続けていたのだなぁと感心する。

 祖母の葬式は滞りなく行われた。若い僧侶である信高の読経は、前に聞き慣れていたのよりも声にハリがあり力強かった。

『おばあちゃん……俺の同級生のお経で成仏できるかな?』

 喪主の座で手を合わせながら、棺の上を眺めるが、祖母は何も反応していない。あの女子高校生に殴られたのではないと否定してからは、全く静かに死んでいる。

『もしかして、おじいさんと喧嘩でもしているのでは?』

 最後の挨拶をしに出てくるのでは無いかと智章は勝手に決めていたが、全くそんな様子はない。

 そうこうしているうちに喪主の智章と叔母は焼香を済ませ、葬儀社の人に誘導されるがままに、玄関へと移動した。

「一般の方のご焼香を始めさせて頂きます」

 奥の座敷から聞こえる読経の中で、次々と近所の人や祖母の知り合いが焼香台へと向かい手を合わせる。

「この度は御愁傷様です」と焼香台の向こうに座った喪主と百合に声をかける人もいた。特に八重と親しくしていた人には百合が「生前はお世話になりました」と返事をしていたが、智章は黙って頭を下げているだけだった。

 隣の山名夫婦も焼香をしに来ていたが、今は誰が救急車を呼んだのかわかったか聞く場ではない。

『あの女子高校生は来ないのかな?』

 平日の葬儀に学校を休んでまで来ないのが普通だろうが、何か因縁がありそうに感じていたので、智章は焼香の列の中に女子高校生の姿を探したが、見つからなかった。

 そうこうしているうちに読経は終わり、参列者も全員が焼香を済ませた。

「最後のお別れにお花を棺の中に入れて下さい」

 白い菊の花を葬儀社の人から渡されて、智章はソッと祖母の胸の上に置いて手を合わせた。

 次々と花が棺の中に入れられて、小柄な祖母は花に埋もれてしまった。

「お母さん……」

 母と叔母が棺に手を置いて涙を流しているのを、智章は目を逸らして耐える。気を抜くと、号泣してしまいそうだ。

「この度は酒井八重の葬儀に参列してくださり、ありがとうございます。生前のご厚意や温情に感謝しております。本来なら、喪主や遺族が皆様のお膝元まで参りまして、ご挨拶するべきではございますが、突然の訃報で取り乱しておりますのでご容赦下さい」

 最後の挨拶を葬儀社に任せたのは正解だった。一言でも喋ったら、嗚咽が止まらなくなっただろう。

 薔子が白木の位牌を、そして百合が祖母の遺影を持った。

「合掌!」僧侶の声で、参列者が手を合わせる中、智章達は豪華な棺を持って門を出た。

 家の前にはストレッチャーが置いてあり、そこからは葬儀社の人が棺を霊柩車まで運んでくれる。

「智くんは霊柩車に乗ってね!」

 霊柩車の他に何台かのタクシーが呼ばれており、親戚は慌ただしく分乗する。

「あっ……」

 霊柩車の助手席に座った智章は、八重の旅立ちを見送る参列者から少し離れた場所にあの女子高校生を見つけた。静かに合掌している姿が妙に心に残った。

『あの子は誰なんだろう?』

 祖母の亡骸を焼き場に運びながら、智章の頭の中には疑問がむくむくとわいていた。

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