第6話 おばあちゃんとの最後の会話 

 中の間で母と叔母が眠ってから、智章は線香番をしながら、この酒井の家で育った十五年間を思い出していた。

 幼かった頃の智章は、まだ人を見る目もなく、美しく若い母が大好きだった。

「他の子は親と一緒に暮らしているのに、何で僕はお母さんと暮らせないの?」

 ふらっと現れては、直ぐに出て行ってしまう母を追いかけ、泣き叫ぶ孫を祖母は優しく抱きしめてくれた。

 そして十五歳の時に念願が叶い、大阪で再婚した母と暮らすことになったのだが、それは悲惨な結末になった。

 中学生になった智章は、幼い時とは違ってかなり母の性格を把握していたので、見知らぬ大阪の地で暮らすのには不安があった。

 それでも、まだ母と一緒に暮らすことに夢を抱いていたので、一抹の不安を封じ込めて、鞆の家を出たのだ。

 案の定、高校二年になった時、あろうことか智章を義理の父の元に置きっ放しにして、母は男と駆け落ちしたのだ。あの時から、母との関係は冷え切っている。

『あの時、酒井の家に留まっていたら、俺は医者になったのかな? いゃ、それはやっぱり無理だよなぁ。おじいちゃんと喧嘩になったかも……』

 大学二年の夏休みに見た祖父の執念を思い出し、ブルブルッと身震いする。大阪に出て行っていたから、大学は自由に選べたのかもしれない。

『おばあちゃん? 俺がこの家に帰った方が良いと思っているの?』

 医者にならなかったのに、良いのだろうか? と智章は躊躇っていた。祖父を失望させたのに、図々しい気もする。それに、福山で智章が再就職先を見つけられるかも分からないのだ。

 智章はぐずぐずと考えを巡らしながら、新しい線香に火をつけて、香炉に立てる。

『智ちゃん、おじいさんには私がちゃんと言い聞かすから、安心してこの家で暮らしなさい』

 祖母の優しいけどきっぱりとした声が聞こえた。医者である祖父は、外では立派な人格者だと尊敬されていたが、家の中では祖母に頼りきっていた。

『おばあちゃん……』

 智章は、亡くなった後までお世話をかけますと、手を合わせた。祖母に道理を説かれた祖父が二度と恨みがましく出てくる事はないだろうと、智章はホッとする。

 この家に住むかどうかは、まだ決心がつかないが、少なくとも住めない要素は無くなったが、死因は未だわからのだ。

「ところで、おばあちゃん? 何で亡くなったの?」

 心臓を前から患っていたから、心不全で亡くなったのだと他の人達は納得していたが智章はどうももやもやが消えない。自分の特殊な体質からかも知れないが、何かがおかしい気がするのだ。

 棺の中に納まっている祖母は、この問いには答えてくれない。

『昔の結城の憑座なら、質問できたのかも知れないな……』

 通夜で久しぶりに会った、祖母の実家の人達には憑座の特殊体質は受け継がれていなかったようだ。

 何故なら、祖母が『わざわざ来て下さって、申し訳ないね』と挨拶しているのに、素知らぬ顔をしていたからだ。

「あの女子高校生がおばあちゃんを殴ったの?」

 こうなったら答えてくれようと、くれまいと、色々と質問してみようと智章は、一番気になっていた事から始める。

 棺の中の祖母がそわそわしているように智章には感じた。

「えっ、まさか! あの子が殴ったから、おばあちゃんは倒れてしまったの?」

 額の傷が死因ではないと叔父の賢治から聞いたが、倒れた原因をあの女子高校生が作ったのかと、智章は怒りがこみ上げてくる。

『違うのよ……あの子は……』

 誤解だとわかって、ホッとする。智章は何故か親近感を持った女子高校生が、年寄りに暴力を振るうとは思いたくなかったのだ。

『じゃあ、何故、倒れたの?』

 棺の中の祖母に質問しても、素知らぬ顔で、静かに死んでいる。全くよそよそしくて、取りつく島もない。

 静かに夜は更け、祖母はこれ以上は語るつもりが無いようだと智章は諦めた。

「おばあちゃんも少し似ているな。いい加減なところとか、都合が悪くなったら、黙り込むか、話を逸らすところとか……」

 昨日、母と叔母が仲が悪いくせに、何処か似ていると思っていた智章だったが、祖母も少し似ていると初めて感じた。

「親子なんだから、当然かもしれないな」

 優しげでいて芯がしっかりとしていた祖母、真面目で頑張っているのに報われないという不満を抱いている叔母、そして奔放で気儘で横着者の母、この三人の意外な共通点を見つけた気がする。

 智章は、その点はあまり似ていない。疑問は突き止めないと、もやもやが消えない。それに普段は大人しい智章だが、議論しだしたら止まらない。だが、そこらへんが人間関係が上手くいかない原因の一つかもしれない。

『もしかして……まさかねぇ……』

 母が男と別れる時に、別の男と駆け落ちするのは、色々と言い争うのが面倒だからではないかと、智章は気づいて衝撃を受けた。

 自分が一度目の結婚相手の子だと知ってから、何かもやもやしていたのが晴れた気がする。

『普通の大人ならそんな事はしないだろうが、あのお母さんならしそうだ。お寺の生活に耐えきれず離婚したいと思ったけど、妊娠しているのが分かり、あれこれ面倒だから……適当な男と駆け落ちしたのか……馬鹿じゃないか!』

 そして、再婚相手との暮らしに嫌気がさした時にも、同じ事を繰り返したのだと、智章は深い溜息をついた。

 再婚相手には連れ子がいて、智章は初めての弟が出来て嬉しかったの思い出す。母と再婚相手と弟との家族ごっこは、二年ももたなかった。

 ふと、あの二年間だけ弟だった蓮は、今はどうしているのだろうと気になった。

『いくつになったのかな? 俺より三歳年下だったから……大学生か? 社会人なのか?」

 母が賢い男に惹かれると言っていたが、この再婚相手は確かにある意味では賢い男だった。しかし、やくざっぽい所がある父親に育てられて、蓮がまともに生活しているのか心配になった。

『蓮は淫乱な女の息子なんかに心配されたくないだろうな』

 中学生と高校生という思春期真っ只中に親の再婚で一緒に住みだしただけでも大変だったのに、男と駆け落ち事件など起こったのだ。

 それに、自分も会社を辞めたらプー状態になるのだと、人の事を心配するどころでは無い智章は苦笑する。


 白々と夜が明け、中の間で寝ていた百合がごそごそと起き出した。

「智くん、ずっと線香番をしてたのね。おばあちゃんとお別れはできたの?」

 そう尋ねながら、百合は線香を一本立てて、手を合わせる。叔母には特殊な能力は受け継がれていないが、最後のお別れを邪魔しないでおこうと、智章は席を外した。

 台所の先にある洗面所で顔を洗うと、眠気が飛んでいった。

「おばあちゃんともお別れだな……」

 智章は、あの謎の女子高校生の件は、後で調べることにして、今は葬儀を滞りなく終わらせようと決意した。

 名ばかりとはいえ、一応は喪主なのだ! とはいえ、挨拶とかは、できたら遠慮したいと智章は溜息を押し殺した。

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