第19話 容疑者死亡

 宴会は終わり、信高は興味深深だったが寺に帰った。保科賢治と百合は台所で成り行きを心配しながら待機している。翔平はなるべく音を立てないように片付けをしていた。


 そんな中、智章は此処に居ても良いのかと悩みながら蓮の横に座って、安田刑事の話を聞いていた。


『お母さんは離婚したら他人だけど……俺は、小松原さんを殺した人の孫かもしれないんだ。蓮に申し訳ない……』


 俯いている智章に蓮は「智章兄さんは関係ない!」と肩を掴んで、しっかりしてと喝を入れる。


 安田刑事は自分が説明する前に、三人がほぼ事実にたどり着いているのに驚く。それと同時に、今朝起きた交通事故を見逃していた自分の失態に拳をグッと握り締めていた。


「智章、先ずは刑事さんの話を聞きましょう」


 現在の被害者の家族としては蓮だけでも良いのだが、一時期は小松原賢治の家族だったのだ。それに蓮が一緒にいて欲しいと願ったから、智章は針のムシロに座らされている気持ちで聞くことにした。


「酒井さんの家を辞してから、神辺の極楽寺へ事情を聞きに行きました。そしたら、竹内一勘が交通事故で亡くなっていたのです」


 やはり竹内一勘が犯人だったのだと、安田刑事が呼び捨てにした事で智章はズシンと気持ちが重たくなる。


「その人が犯人なんですか? 他の人ではないのですか? 死んだ人が犯人だなんて、変やろう!」


 蓮が安田刑事の説明が遠回りなのに業を煮やして声を荒げる。


「未だ小松原さんの財布もスマホも見つかっていませんし、凶器すら見つかっていませんから、犯人が誰かとは軽率には言えないのです。しかし、遺体の傷から凶器はかなり絞られています。それは彫刻に使うノミなのですが、一勘は仏像創りが住職を辞めてからの趣味だったのです」


 仏像創りは引退した住職に相応しい趣味だが、そのノミを凶器にするとは罰当たりだと、三人は押し黙る。


「一勧は几帳面な性格で、ノミは大きさ順に常に並べていたそうですが、一本無くなっていました。今日は日も落ちたので海の中の探索は終了しましたが、明日の朝には再開します」


 凶器探しは警察に頑張って貰うしかないが、何ともやりきれない気分になる。


「親父は八十三歳の爺に殺されたのか? そんな年寄りに運転なんかさせていたのか? 何もかも納得できへん」


 確かに鞆から神辺に帰る道すがらの芦田川で事故死した一勧は怪しいが、体格の良い小松原を殺せるか疑問が湧く。


「実は……竹内一勧は軽度の認知症でして、普段は自動車の運転などさせてなかったようなのです。鍵も目につかないように引き出しに入れていたと家族は言っていましたが、こういった軽度の認知症はまだらですから……しっかりしている時と、ぼんやりしている時との差がありますから、鍵の保管場所も知っていたのでしょう」


 軽度の認知症がどの程度のものなのか、智章にも蓮にも分からなかった。しかし、家族がどれほど気をつけても、二十四時間監視する事が無理なのは何とはなく理解できた。


「小松原さんは木曜日に極楽寺を訪ねて、智章さんを跡取りにする件を正式に断っています。現在の住職である一慶さんは、父親がそんな申し出をしたのも知らなかったみたいで、言い争いになったと証言しています」


 薔子は相変わらず父親に弱い一慶に何ともやるせない気持ちになる。


「爺さんが勝手に養子話を進めていたのか? 父親が知らないだなんて、ちょっと信じられないなぁ」


 蓮は自分の父親が八十三歳の老人に殺されたのが納得できず、中年の一慶を疑う。


「何度かこの件は一勧から提案していたみたいですが、一慶さんは毎回断っていたそうです。酒井薔子さんに連絡したのは、一慶さんは知らなかったそうです。親の言いなりになって認知もできなかった子を今更跡取りに引き取ることはできないと言ってました」


 父親の小心さが智章は自分と似ているのに嫌気がする。


「当たり前や! そんな図々しいこと、普通の人間には言い出されへん。それを強要した爺が何を言うとるんや」


 認知すら拒否した息子を今更跡取りにしようだなんて虫が良すぎると蓮が怒る。


「それに今の奥さんも嫌だと思うわ。自分の息子を昨年事故で亡くしたばかりなのに……坊主のくせに人の気持ちが分からん人なんや。嫁なんか子どもを産む女中ぐらいにしか考えていなかった」


 薔子は酷い嫁虐めに遭ったのを思い出し、キリキリと奥歯を噛み締める。


 智章は、あの女子高校生は自分が跡取りになるのを阻止する為に祖母に会いに来たのではと考えた。


『お兄さんが突然亡くなり、衝撃を受けているお母さんを無視したようにお祖父さんが勝手に話を進めているのに気づいたのかもしれない……何で、そんな事が出来るのかな?』


 安田刑事は、それぞれの思いを察してはいたが、事務的に報告する。


「木曜日、小松原さんは、極楽寺から宿泊場所である青海波へ帰ったのは、中居達の証言があるのでわかっています。ここからは推測ですが、事件の早朝、跡取りの件で話し合う為に小松原さんを常夜灯へ呼び出したのでしょう」


 やはり自分を跡取りにする件が原因だったのかと、智章は頭を畳に打ちつける。


「ごめん、小松原さん! ごめん、蓮!」


「違う! 智章兄さんのせいじゃない! そんな姿を見たら、親父も悲しむからやめてくれ」


 蓮に慰められても、智章は自分の存在が許せない気がした。精神的に追い詰められた智章の目に、小松原が困った顔でこちらを見ているのが写る。


『違うで、あの爺は俺を薔子と逃げた男と間違えていたんや。そんなん分からんかったから、下手をうったんや。まぁ、間男と間違えられるなんて、ええ感じやけどなぁ』


 あんな爺に殺されるとは失敗したなぁと、頭を掻いている小松原に智章は恨み言をぶつける。


「小松原さん! そんな馬鹿な理由で死んでしまったなんて……あんな年寄りの攻撃なんかかわしてくれたら良かったのに!」


 外人がするように肩を竦め『薔子の横に眠りたいと蓮に伝えてくれ!』と言って消えた。


「小松原さん、もっと大事なことがあるでしょうに……」


 智章が脱力していると、何か見たのだと察した薔子と蓮が尋ねる。


「もしかして親父が来たんか? そんな馬鹿な理由って何なんや?」


 智章は、今の幻視は自分の勝手な妄想では無いかと、伝えるのを戸惑う。しかし、蓮に肩を持って揺すぶられて、渋々話す。


「どうやら一勧って爺さんはかなり混乱していたみたいだな。俺の養子の件で呼び出したくせに、小松原さんを母と逃げた男と間違えて殺したみたいだ。小松原さんは、あんな年寄りにまさか攻撃されるとは思ってもみなかったので下手を打ったんだって……これは俺の希望的妄想なのかもしれないけど……」


 蓮は「アホちゃうか!」と怒鳴る。


「親父! ほんまに鈍臭いなぁ!」と笑いながら、涙を流す。


「小松原さん……ごめんなぁ」


「いや、薔子さんのせいじゃありませんよ。親父がアホなだけです」


 落ち込んでいる母を見て、小松原の言葉の続きを伝える。


「小松原さんは本当にお母さんのことが好きだったみたいだな。間男と間違えられて、ええ感じやったと言ってた。それと、蓮には薔子さんの横に眠りたいからよろしくだってさ」


 薔子は「馬鹿な人や」とハンカチに顔を埋めた。


「やはり親父はアホや! でも、承知したで! 酒井家の墓の後ろに埋めてやるから安心せえ! 薔子さんが酒井家の墓にお参りに来る度に見えるで」


 蓮は智章がぼんやりと空を見つめていた辺りに向かって、光龍寺の墓地を買ってやると宣言する。


「あのう……何事でしょう?」


 ハッと三人は安田刑事の存在を忘れていたのを思い出す。


「何となく父が死んだ理由が分ったような気がしただけです。それと、生前から薔子さんが大好きだったから、酒井家の墓の近くに埋めてあげようかなと……あかん、刑事さんの目が座っとるで……」


 蓮がどうにか誤魔化そうとしたが、安田刑事は疑いの目を智章に向ける。


「智章さん、あなたの言動は初めからおかしい点があります。野次馬が派手な服を着ていたと噂していただけで、小松原さんだと考えたり、あんな寝起きのスエット姿に素足にスニーカーで駆けつけたり。お母さんと連絡が取れなかった時も突然『お母さん!』と叫んだかと思うと、連絡が取れる筈だと言い出したり。その上、これは何ですか?」


 薔子は面倒な説明などする気が無いらしく、ハンカチに顔を埋めたままだ。


「俺は……精神的に不安定なのです。だから時々、他の人には変な言動をしてしまうのです」


 それでは不審者だと警察に言っているようなものでは無いかと、蓮と薔子は溜息をつく。


「智章……」薔子が呆れていると、座敷に翔平が飛び込んで来た。


「小松原を薔子さんの横に眠らせるなんて許さへんで! 薔子さん、俺と結婚して下さい。上野薔子になったら、小松原の横になんかに埋めたりしなくて済むんや」


 躾の悪い下僕に女王様が怒りの鉄鎚を下す。


「翔平! あんたが口出しする事じゃない」


 冷たい視線に、翔平は身震いする。


「薔子さん、ごめん! でも、俺は……」


 大人の男がわんわん泣き出して、智章も蓮も安田刑事も驚き、そしてうんざりする。


 その騒ぎに台所にいた百合と賢治も顔を出す。


「お姉さん、何の騒ぎなの?」


 怒って黙っている薔子の代わりに智章が説明する。


「ええっと、小松原さんの墓を酒井の墓の近くにすると蓮が言ったら、翔平さんが怒り出して……まぁ、それでお母さんが叱りつけたら、こうなったんだ」


 翔平は「捨てんといてくれ!」と薔子に縋りつき、ビシッと頭を叩かれる。


「ほんまにアホなんだから。仕方ないわ、貴方がうちに婿養子に来る? 私はもう名前を変えるのも嫌だし、お墓も海を見下ろせる酒井のに入りたいと考えているのよ」


 翔平はパッと顔を輝かして「はい!」と返事をする。


「ちょっと、翔平さん良いの? 婿養子だよ? 名字が変わっちゃうんだよ」


 智章は心配するが、百合はこれで姉が落ち着いてくれるのではと賛成する。


「智くん、考え方が古いわ。女は結婚したら名前が変わるのが普通じゃと思っているでしょ。男だって変えたら良いのよ。酒井翔平、いい感だわ」


「酒井翔平かぁ! 酒井薔子と同じ名字や!」


 当たり前だろう! と智章と蓮は醒めた目で見るが、幸せの絶頂の翔平は気づきもしない。


「明日、入籍する?」と言って「母の喪中なのよ」と叱られて、忘れていたと誤っている翔平に、全員が脱力する。


 安田刑事はこの寸劇に毒気を抜かれて「明日も調査を続けます」と言って帰っていった。

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