2その咎、誰も語らず

被害者の声

 町長から話を聞いた日の午後のこと。リュウはフェイを連れ、妖魔ようまの第一被害者であるアスカの家を訪れていた。アスカはフェイの友人であるらしく、被害者の中では比較的接しやすいと判断したからだ。


 アスカの母に案内され、居間へと通される。しかしアスカは居間に出てこない。部屋に閉じこもっているそうだ。その状況を聞いたリュウは素早く気配を消し、アスカと話すのはフェイに任せることにする。先程町長から被害者が男性を恐れると聞いたからである。


「アスカー、フェイだよー。今日も来たんだ。話そう?」


 フェイは慣れた様子でアスカと呼ばれる者が篭っている部屋の近くに行く。呼びかけの声からも、フェイがアスカの元によく通っていることがうかがえる。フェイの言葉に部屋の扉がそっと開いた。リュウはその瞬間に、視線だけを扉の方へと向ける。


 ピンク色のショートヘアはかなりボサボサ。綺麗なはずのエメラルド色の目は、その下にある隈が台無しにしている。頬はこけ、表情も暗い。何かに怯えているのか扉を開けるとキョロキョロと周囲を見回す。そして、フェイを部屋に引き入れると扉を勢いよく閉めた。


 性別に関わらず人を寄せ付けない。そんな雰囲気がした。妖魔だけでなく人も恐れている。それほどまでに、妖魔に与えられたアスカの心の傷は大きいようだ。原因となった妖魔を退治することでこの状況が変わればいいが、こればかりはリュウにも読めない。


「あの日から、アスカは変わってしまいました」

「昔は違ったのかい?」

「あの日までは、明るくてよく話す子だったんです。ですが……」


 アスカの母が、変わり果てたアスカの様子を見てか少し語り始める。リュウはアスカの母の話に静かに耳を傾けた。





「あの日、あの子は買い物のために夕方、外に出ました。ですがそのまま家に帰っては来ませんでした。町のみんなに協力してもらい町中を捜索しましたが、見つかりませんでした。

 翌朝、町の入口で護衛をしていた人が、倒れているアスカを見つけてくれました。猿のような影が連れてきたらしく、追いかけようとした時にはいなくなっていたそうです。

 アスカの服は所々破けていました。血だらけで、髪はボサボサで、目は死んだように虚ろでした。変わり果てたアスカを見れば、何が起きたのか想像はつきます。想像出来るからこそ、聞けませんでした。私はただ、変わり果てたアスカを抱きしめることしか出来なかったんです」


 ここまで話すと、アスカの母は涙ぐむ。当時の状況を思い出したのだろう。リュウは母親の話に時折頷くだけ。話を聞いて頭の中で整理するので精一杯なのだ。話を聞いていると示すために頷くのが限界で、相槌を打つ余裕もない。


「アスカは話さなくなりました。笑わなくなりました。エミュ先生や町長にすら、恐れるようになりました。今でこそフェイちゃんと話せますが、前はそれすらも出来なかったんです。

 アスカの次の被害者が出た時でした。アスカが私に、紙をくれたんです。そこには『猿にさらわれて、襲われた』と、弱々しい文字で書かれていました。 紙をくれた時、アスカはただただ泣いてました。声も立てずに涙だけ流して。私はかけてやる言葉が見つからなかったです」


 アスカの母の言葉に、リュウは眉間にシワを寄せる。聞いていて気持ちのいい話ではなかったからだ。実際に何が起きたのかはわからない。だが、想像することくらいは出来る。動物の姿をした妖の引き起こす危害は、単純なものであることが多いからだ。





 「襲われた」の意味はリュウにも理解出来た。的な意味ではなく、的な意味で、だ。猿の形をした妖魔は恐らく人語を話せない。年頃の女性をさらって襲うのは、恐らく妖魔自身の性欲を満たすため。妖魔のしたことを想像するだけでリュウは吐き気をもよおした。


 人語が話せる妖魔にはしっかりとした理性がある。それ故に理由のない危害を与えることは少ない。しかし人語の話せない、今回の猿のような妖魔は別だ。本能に逆らえず、自らの欲望を満たすために人に危害を与える。


 今回の妖魔は性欲を満たすために、好みのタイプの人を襲っているのだろう。見た目が好みなのか年齢が好みなのか、はたまたそれ以外の何かが好みなのか。妖魔の嗜好しこうが少しでも分かれば、それは貴重な手がかりになる。


「被害者は皆、アスカと同じ年なの?」


 青白い顔のまま、リュウはアスカの母に尋ねる。体調の悪さを感じさせまいと必死だ。妖魔ようまばらいが被害に動じて気分悪くなるなど、あってはならない。それを悟られれば被害者やその家族に不安を与えることになってしまう。


 妖魔祓いの仕事は妖魔を退治することで人を助けること。身体能力で妖に劣る人を、妖による犯罪から守る。それこそが妖魔祓いの存在意義である。不安を悟られることは妖魔祓いへの不信に繋がり、結果として被害者達をそれまで以上に怯えさせることとなるのだ。


「そうです。まだ襲われていないのは、フェイちゃんを含めて三人くらいじゃないかしら」

「フェイも……ですか」

「フェイちゃん、アスカと同い年なんです」


 フェイも狙われる可能性がある。それは、少し考えればわかるはずだった。それなのにその考えに至らなかったのは、双剣を扱う武芸者としてのフェイが、頼もしかったからに他ならない。さらに、リュウはフェイに――。


「アスカは、詳細を教えてはくれませんでした。ただ事実を一言で語っただけ。でも、フェイちゃんが心配なのね。フェイちゃんには、筆談で少し話すみたいよ。何に気をつけるのか、程度だけど」


 リュウの考えを遮るかのようにアスカの母が言葉を紡ぐ。いや、話すことで不安を和らげているのだろう。悩みを一人で抱え込むのではなく、人に話すことで楽になろうとする者は決して珍しくない。


「私は大丈夫ですよ、おばさん! リュウさん、一旦帰りましょう」


 いつから話を聞いていたのだろうか。フェイはリュウの背後に音も立てずに現れた。かと思えば「おじゃましましたー」と挨拶をし、リュウの腕を引いて家の外へと出てしまう。





 アスカの家を出て、家へと早足で向かうフェイ。その表情はどこか不機嫌で、怒っているように思えた。この様子から察するにフェイは、被害者の特徴について聞いた時にはすでに近くにいたのだろう。


「リュウさん、私は大丈夫ですから」

「でも――」

「私はサザナミで一番強い女なんです! 妖魔にだってそう簡単にはやられませんよ」


 リュウの心情を察したのだろうか。フェイが少し強い口調でリュウへと告げる。しかしそれは、強いと公言することで彼女自身を奮い立たせているようにも見える。フェイもまた、妖魔を恐れているのだ。強いとは言え狙われる対象となる女性なのだから、その反応は自然なことと言えた。


「だいたい、なんで追い剥ぎに抵抗しなかったんですか? 私、遠くからずっと見てたんですよ? 危なくなったら助けようと思って」


 リュウが妖魔祓いであることを明かした時に比べ、だいぶ親しげに話すようになったフェイ。だがそれはリュウが頼んだからであって、心からではない。敬語をやめる様子がないことがその証拠だ。


「……フェイが僕に敬意を持つ間は言わない」

「ど、どうしてですか?」

「僕は、君が思ってるような妖魔祓いじゃないんだよ」


 フェイへと言葉を返すリュウの表情はどこか寂しげで。その翡翠ひすい色の目はサザナミの町ではない何かを映していた。その目は周りの景色を確かに映しているはずなのに、全く違う何かを見ているように見えるのだ。


 その刹那、翡翠色の瞳に、吸い込まれそうなほど恐ろしい光が宿る。かと思えば瞳から光が消え、虚ろになった。その瞳を見たフェイは思わず言葉を失う。身の毛がよだつ程の殺気を感じたからだ。


「それに……妖魔は多分、フェイが思っている以上に強い。だから、太刀打ち出来るだなんて思っちゃ駄目だよ」


 リュウの言葉は冷たく、しかし確実に、フェイの心に響いた。決して怒っているのではない。だがフェイのために、わざと冷たく淡々とした口調で告げている。それがフェイのためであると信じて。





 フェイはおもむろにリュウに殴りかかる。しかしリュウはフェイの拳を全て、難なく受け止めた。拳を手のひらで受け止める音が数度鳴ると、フェイは唇を噛み締める。リュウはきちんと反応出来るのだ。追い剥ぎに抵抗しなかったのが意図的に思えるほどに、反応は素早く正確である。


「妖魔に立ち向かうには、相応の技術と能力が必要なんだよ」


 フェイをなだめるように優しく語りかけるリュウ。それが面白くなかったのだろう。フェイは膨れっ面をしてしまった。そんなフェイの様子を見たリュウはふと、今朝のエミュの言葉を思い出す。


「フェイは妖魔祓いに憧れてるの?」

「正確にはなりたかった、ですね。選抜方法とかがわからなくて断念しました。でも、双剣で町の人を守ることくらいなら出来るので、やってます。今ではサザナミで指折りの剣士です」

「公に明らかにはされてないからね。もし良かったら、今度話そうか?」

「いいんですか? 是非……是非、お願いします」


 先程までの膨れっ面が嘘のように笑顔になるフェイ。そんなフェイの変わり様に、思わずリュウは笑ってしまう。妖魔祓いについての話が聞けると知った途端目を輝かせる。そんなフェイがまるで子供のように思えたから。


 目まぐるしく変わる感情の変化を「可愛い」と思ってしまう。思うと同時にすぐさま自身を戒める。今抱いたような感情は妖魔との戦いにおいて邪魔になる。そう、過去の経験で知っていたから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る