咎人と緋色の剣士

暁烏雫月

0プロローグ

怪しい旅人

 リュウは山の中にいた。この山はユダ国の国境にある山だ。斜面に沿って作られた、人が通るための道を全力で走っていた。もう三日も寝ずに移動している。それほどまでに急いでいるのには理由があった。


 その身体にまとう深緑色の旅衣は足を踏み出す度にふわりと揺れる。その背中には黒い穂先をき出しにした、赤い柄の薙刀なぎなたを身につけている。


 旅衣はリュウの両腕を隠していた。その頭には黒い漆笠を被り、雨風をしのげるようにしている。そのような様相をしているのには理由がある。彼の職業に関係する理由である。


 リュウは今年でよわい二十二になる男性だ。背は大柄でも小柄でもないが、旅衣の下には筋肉質で柔軟な身体が隠れている。それは彼が一武芸者であることを示していた。


 明るい赤茶色の髪はさほど珍しいものではない。だが彼の持つ濃い緑色の瞳はかなり珍しい。さらに彼のかもし出す近寄りがたい雰囲気が、彼の存在を神秘的なものにした。


「おい、そこのお前。荷物を全部置いていけ」


 山の峠を過ぎた頃のこと。背後からリュウに呼びかける者がいた。殺気を感じ取ったリュウが素早く振り返れば、そこには刀を構えた若者の姿がある。


 若者に気付いたリュウは漆笠を少し深く被った。顔を隠すためであり、旅人をために。疲れた身体にむちを打ち、先程まで以上に速度を上げて道を進む。その後を若者が追った。


 どれほど走っただろうか。リュウの視界の端に目的地である町、サザナミの入口がみえてきた。その時だ。町が見えて気が緩んだリュウは、足元にあった小石につまずいて転んでしまった。


 若者がリュウとの距離を詰めて行く。リュウを「ただの旅人ではない」と判断したのだろう。リュウは背負った薙刀に手を伸ばそうとして、なぜか伸ばすのをやめた。そして若者の顔をキッとにらみつける。





 若者がリュウ目掛けて何度も刀を振るう。怪我を負わせて怯んだ隙に持ち物を奪おうとしているのだ。だがリュウはどの攻撃も紙一重でかわして見せた。漆笠の下に隠れた顔が微かに笑う。


 リュウの身のこなしは鮮やかだった。地面に座ったまま、上体のみを必要最低限動かして攻撃をかわす。しかし立ち上がる気配はない。リュウは転んだ拍子に足を痛めてしまっていた。軽度の怪我ではあるが、動かすと痛む。下手に立ち上がって抵抗するのは得策でないと判断した。


 そんなリュウの身のこなしに苛立った若者は、刀でリュウの腹を突こうとした。しかしリュウはその刃を両手で挟み、間一髪で刀を止める。動かそうとしても刀はリュウの手にピタリとくっついて動かない。先程の身のこなしから攻撃してもかわされるのは目に見えている。


 若者は何かを警戒するように、サザナミの入口を見る。その目がの姿を映した。その人物は少しずつ、だが確実にこちらに近づいている。刹那、これ以上の長居は良くないと即座に判断する。


「チッ、双剣女か。運がいいヤツめ」


 若者はそう言葉を吐き捨てると、刀から手を離して、逃げるように山道を登っていく。これから来るであろうを恐れての行動である。思わぬ幸運にリュウは安堵のため息をついた。


 すそが擦り切れ、布がよれた古い深緑色の旅衣。漆笠もさほど珍しいものではない。一見すると金目のものを持っていない旅人に見える。だがリュウは普通の旅人とは違う特徴をいくつか持っていた。それゆえに先の若者のような追いぎにも狙われる。


 人ではかなり珍しい翡翠ひすい色の目。明らかに安物の薙刀とは違う、赤い柄の薙刀。その身のこなしは旅人というより武芸者に近い。リュウは旅人と身分を偽るには物足りない。追い剥ぎはそんなリュウの異変に気付いたから、リュウを狙ったのである。


 追い剥ぎと入れ違いでリュウの近くに女性がやってきた。女性はリュウの様子に気付くと歩む速度を速める。おそらくサザナミの町民だろう。リュウは自分が不審者に思われぬよう、顔が見えるように漆笠を浅く被り直した。

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