サザナミの依頼
リュウが案内されたのはサザナミで一番大きく綺麗な建物の一室だった。その部屋に待ち人は一人しかいない。茶色の短髪に黒い瞳をした、初老の男性だ。この人物が町長なのだろう、とリュウはすぐに察する。
「初めまして。僕は
相手が名乗るより早く、旅衣から右腕を出した。そこには妖魔祓いであることを示す両翼を広げた
「妖魔について、昨晩世話になった者に聞いたよ。年頃の女性ばかりが狙われてるらしいね」
「はい。礼金として……金貨十枚を、用意しております」
「それほど被害は大きいのかい?」
金貨一枚あればさほど
礼金というのは大抵妖魔の被害に比例して金額が増す。金貨十枚ということは、かなりの被害を受けていることになる。サザナミの様子を見る限りでは、金貨十枚という礼金を用意するのに苦労したことがうかがえる。サザナミはこれと言った目立つ産業や特産のない、小さな町の一つでしかないのだから。
「
「それは……詳しく話を聞かせてもらっても?」
「わかりました。では、話しましょう」
町長の言い方にリュウは何か感じるものがあった。フェイから聞いていたのは話さなくなったことだけ。「まともに暮らせない」とまでは聞いていない。町長の口ぶりから、その言葉が嘘とも思えなかった。
「さらわれた者は翌朝、ボロボロの服をまとって血だらけで町の入口に放置されます。服が破れすぎて裸同然の者もいました。ですが大怪我をしているわけではありません。彼女達の出血は、下腹部近辺だけなのです。
彼女達は皆、言葉を話さなくなりました。夜に出歩くことに怯え、家から出られなくなりました。日々を無気力で過ごし、食事すら食べようとしない。死のうとする者すらいました。ですが一番変わったのは……男性を拒絶するようになったことです。
触れられることはもちろん、近付くことも話すことも。異性を過剰に恐れるようになっていたのです。もうこの時点で何が起きたのか、察することは出来るでしょう。国にするのも恐ろしいことですが。彼女達は今、人の助け無しでは生活出来ません。
奴は毎週金曜日に人をさらいます。被害者は現段階で四人。次の被害が出るまでもう三日しかありません。被害者を出すなとは言いません。あの妖魔さえ退治していただければそれでよいのです」
「予想以上に酷いね。次の被害まで三日、か。……わかった。なるべく最短で片付けよう」
町長の話から、だいたいの状況は察した。被害は若い女性を狙った性的なもの。定期的に被害が出ているということは、妖魔がサザナミの若い女性に狙いを定めたということだろう。これは妖魔の特性でもある。
妖は人に似た外見をした人と意思疎通出来る者、動物に似た外見をした人と意思疎通出来ない者、の二つに分けられる。後者のタイプの妖魔は、一つの村に狙いを定めると気が済むまでその村に執着する傾向がある。意思疎通が出来ないため何故人を襲うか、その背景を知ることは難しい。
町長の話から察するに、今回の妖魔は意思疎通の出来ない動物に似た外見の妖だ。その能力まではわからないが、若い女性に執着している。襲われた者がどのような後遺症を抱えているのか、被害者の変化の原因は襲った妖魔の存在そのものなのか。そこを調べる必要がある。
ここまで考えたリュウはふと、右足に目をやった。エミュという者に治療をしてもらったのはいいが、まだ完治していない。妖魔と戦う上でその怪我が問題だった。
「エミュ、だったかな? 三日後までに戦うのは、厳しいかい?」
「医師としては安静にしててほしいな。まぁ、なるべく早く治るように最善を尽くすが」
「ありがとう。治療費は払うよ。いくらだい?」
「いらない。これは、俺が個人的にやってるだけだ。フェイのために、な」
右足の怪我はまだ少し痛む。人の手を借りて歩くのがやっと。捻り方が悪かったのか、固定して動かせるようにはなったもののまだ激しく痛む。今の状態で妖魔と戦っても勝ち目がない。リュウは今までの経験からそう理解していた。
手段がないわけではない。リュウは年こそ若いが、妖魔祓いとしての戦闘の経験は豊富だ。右足が痛む状態での戦い方を知らないはずがない。ただ、それがリュウの最も好まない手段というだけで。
リュウとエミュは一度、昼飯のためにフェイの待つ家へと向かうことにした。道を歩きながら、エミュがリュウに話を振る。
「どうやって妖魔祓いになったんだ?」
「それ、必要なの?」
エミュの質問を聞き、リュウの表情が一瞬で強ばる。
「『
「噂?」
「普通の妖魔祓いとは違う手順で妖魔祓いになった、ってな。うちには妖魔祓いに憧れてる奴が一人いるから」
エミュの言葉に一人の姿が頭を過ぎる。エミュと一緒に暮らしているのは、エミュの妹であるフェイくらいのもの。リュウには他に当てはまる人が思いつかない。
「……フェイ?」
「そうだ。フェイは、妖魔祓いに憧れてて。特に『薙刀使いのリュウ』が大好きなんだ。双剣を極めたのもそのためだと言ってたし」
エミュの言葉にリュウの足が止まる。昨日のフェイの様子が頭の中に過ぎった。綺麗な赤髪も力強い金色の瞳も。明るく振る舞う様子も、妖魔祓いであることを知る前の反応も。全部が鮮やかに思い出される。
女性が双剣を携えるなんてかなり稀なことで。ましてや双剣の指南をするのいうことはかなりの使い手で。リュウを襲っていた追い剥ぎはフェイの姿を見て逃げていった。そのことから、フェイの実力がこの地域で有名であることも想像がつく。
「そうか。そうなのか」
リュウは反応に困って言葉を濁す。自分に憧れている、などと言われて照れくさくなった。それと同時に罪悪感も抱いてしまう。それは、彼の存在が異質であるが故の罪悪感。
妖魔祓いという職は過酷だ。人でも妖でも関係なくなることは出来る。妖魔を退治するための武器も与えられる。だが、妖魔と戦うのは簡単ではない。強い武芸者であることと強い妖魔祓いであることは全くの別物なのだ。
フェイの待つ家に戻ればそこには料理のいい匂いが家中に溢れていた。その匂いにリュウとエミュのお腹が鳴る。三人は料理を床に並べ、それを囲んだ。
「それにしてもなんで怪我したんだ? 『薙刀使いのリュウ』は妖魔と戦うのが仕事だろ? なんで怪我を?」
「……追い剥ぎに遭遇したんだよ」
エミュの問いにリュウは言葉を濁す。戦おうと思えば戦えた。だがそれをせずに怪我をしたのは、リュウの失態である。薙刀を取って戦えば怪我などしなかった。なのに追い剥ぎに立ち向かわなかったのは……。
「薙刀を手に取るのを忘れてね。無様にやられていたところをフェイに救われたんだ」
(違う。リュウさんは、取ろうとしてやめてた。抵抗しようとしなかったのは、別の理由からよ)
リュウの言葉を心の中ですぐに打ち消すフェイ。フェイはリュウの戦いの一部始終を見ていた。だからこそ、薙刀を取らない理由が別にあると悟ってしまった。
「安心して。妖魔が相手なら、一度だって負けたことがないから」
そう言って笑うリュウの顔はどこか寂しそうで。その言葉は暗に「人には負けるけど妖魔には負けない」ことを示していて。気がつけばフェイは、そんなリュウに背面から抱きついていた。フェイの胸がリュウに当たる。
「な、何を――」
「サザナミにいる間、私がリュウさんを守ります」
「えっと……」
「私、こう見えても強いんですよ? リュウさん、人間相手だと薙刀取るの忘れるみたいですから」
リュウはきっと人間が相手だと薙刀を取りたくないに違いない。フェイはそう考えた。だからこその提案だ。フェイの考えは悲しいことに当たっている。その理由を知るのはもう少し先の話だが。
リュウは赤面する顔を隠そうと必死だった。というのも、フェイがいきなりリュウに抱きついてきたからである。女性の胸部が背中に当たっている。その状況に冷静でいられる男性の方が少ないだろう。
「と、とと、とりあえず、離れて。ね?」
「フェイ、お前、な、なな何してるんだ!」
リュウとエミュが勢い余って言葉に詰まる。フェイの突然の行動に混乱したためだ。リュウとエミュの反応を見たフェイは仕方なさそうにリュウから離れた。だがリュウの背中にはまだ、フェイのいた温もりが残っている。
「で、どうですか?」
「な、なななな、何が?」
「私がリュウさんを守ること、です」
フェイはずずいとリュウとの距離を詰める。たったそれだけなのに、リュウは困ったように視線を逸らしてしまう。つい先程いきなり抱きつかれたため、顔を合わせるのが何となく気恥ずかしかった。その頬が微かに赤く染まる。
「妖魔祓いを目指してた時があって。そこら辺の武芸者にだって負けませんよ?」
「フェイの実力は俺が保証する。実際、このサザナミでフェイに勝てる奴はいないからな」
フェイとエミュの言葉にリュウはしばし思考する。いくら武芸者として強くても、それが妖魔と対等に戦えることにはならない。しかし人に武器を向けられないリュウにとって、人と戦うことに長けているフェイの提案は非常にありがたいもので。自分のことを考え、フェイのことを考え、出した結論は――。
「じゃあ、サザナミにいる間、お願いしたいな」
「任せて下さい」
リュウが選んだのはフェイに護衛してもらうことだった。リュウは人間を相手にすると戦うことをしない。否、応戦せずにひたすら回避に徹してしまう。リュウの欠点を補うのに、武芸者として実力のあるフェイの申し出は非常に助かるものなのだ。リュウの答えにフェイは満面の笑みを見せた。
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