恩人の家にて

 サザナミに現れた妖魔ようまについて少しでも情報を得ようとフェイに問いかけたリュウ。フェイは妖魔という言葉を聞くと少し顔を歪ませた。その反応から、このサザナミという町の被害はかなり深刻だと推測出来る。


 妖魔は人に危害を与える妖である。妖は人と異なる容姿をしており、奇妙な力を扱うことが出来る。中には人に近い容姿をしていて意思疎通出来る者もいるが、人語を話せない者も多い。妖魔のほとんどは人と意思疎通の出来ない、動物に近い容姿をしたものである。


「私が知ってるのは、少しだけです」

「それでもいい。少しでも情報が欲しいんだ」

「わかりました。では」


 リュウが妖魔ようまばらいとわかった途端に、フェイは自然と敬語を発するようになった。それは敬意の証から来るものではなく畏怖の感情から来るものだろう。そう考え、フェイの言葉にリュウの表情が暗くなっていく。


「奴が現れたのは、もう一月以上も前のことです。最初は女性の下着が盗まれるだけでした。ですが、次第にその程度では済まなくなりました。

 あれは忘れもしません。一月と四日前のことです。アスカが――私の友達が、さらわれました。翌日には帰ってきましたが、全身血だらけで酷く疲れきっていて、一言も言話さなくなりました。

 アスカは何が起きたのか、教えてくれませんでした。やっとの思いでアスカのお母さんが聞き出したのは……『猿に襲われた』という一言だけです。

 その後、一週間毎に別の女性がさらわれました。被害者は皆、アスカと同じようになりました。狙われるのは女性だけ、被害は全部夜。だから、女性は夜に一人で出歩かないように、町長が警告しています」


 「少しだけ」と言っておきながらも、フェイは多くを語る。そんなフェイの話を聞いたリュウの顔はより一層曇くもってしまった。


 フェイの話から察するに、被害者が事の次第を話す可能性はかなり少ないだろう。話を聞いて何となく被害の内容は掴めた。だが、問題の妖魔の居場所を探るには誰かが襲われるのを待つしかないようだ。それはリュウにとって最も取りたくない最終手段。可能なら次の被害者が出る前に妖魔を退治したい。それが本音であった。





「あ、あの、案内なら、出来ますよ?」

「案内?」

「町長とか、アスカの所とか、サザナミの中なら何処へでも」


 妖魔祓いは特殊国家公務員である。本来であれば妖魔の被害について話すのは、依頼者である町長や被害者の方が望ましい。そういった者達の方が被害に詳しいからだ。


 フェイの提案は妖魔祓いに対してする、当然の反応と言える。状況が状況であったとはいえ、リュウは本来ならフェイの家ではなく町長の場所に行くべきなのだから。


(このタイミングで妖魔祓いを明かしたのは失敗だったかな)


 先程までは同世代のように親しげに話してくれたというのに。今では失礼のないように、と慎重に接している様に見える。そんなフェイの変わり様が嫌だった。フェイはリュウにとっては追い剥ぎから助けてくれた恩人にあたる。だからこそ、フェイに気を遣わせるというのがどうにも嫌なのだ。


 妖魔祓いの中には普段から刺青を一目につくようにしている者もいる。そうすると妖魔には襲われやすくなり、かつ人に襲われることは少ない。仕事がしやすくなるのである。しかしリュウは最初、旅衣や漆笠で身分を旅人と偽っていた。それは、このように敬語で接せられるのが嫌だから。


 妖魔祓いは妖魔を退治する。その役割から、多くの人々が妖魔祓いを尊敬している。だがその敬意のために親しみを持って接する者はほとんどいないのが現状である。彼らは尊敬の裏に、妖魔祓いの持つ「力」を恐れている。


 リュウは決して忘れられないある理由から、敬語や敬意と言ったものを嫌っている。それらが自分に向けられるのも、自分が他者へ向けるのも、拒絶していた。さらに言えば同じ理由から、人に危害を与える妖「妖魔」を心底憎んでいる。


「案内するくらいなら、さっきみたいに話して欲しいな。敬語とかを使われるのは嫌いでね」


 フェイの言葉を受けて、リュウは敬語をやめるように頼む。フェイの金色の瞳が驚きで見開かれた。だがすぐには頷けない。フェイは反応に困ったまま動けなくなった。





 その日、リュウはフェイの家に泊まらせてもらうこととなった。サザナミに着いたのは日が暮れ始めた頃で。怪我したリュウの足で宿を探すのは困難に思えたからである。


 翌朝のこと。リュウは借りた布団の中で人の気配を察知した。すぐさま身支度を整え、薙刀なぎなたに手を伸ばす。その反応は職業病とも取れる、過度な警戒心からくるものだ。リュウが警戒すると同時に扉をノックする音がした。


「リュウさん、だったか? 起きてるか?」


 部屋の外から聞こえたのはフェイの声では無かった。聞き慣れない、やや骨太の男性の声。その声にリュウはさらに警戒を強める。いつでも薙刀を扱えるように体勢を整えてから声の主に問うた。


「誰だ?」

「あれ、フェイのやつ、言ってないのか。俺は――」

「エミュ! まだ紹介してないからダメって言ったでしょ?」


 エミュと呼ばれた男性はリュウが彼のことを知らないことに驚きを隠せないようだ。だがエミュが扉を開けるより早く、フェイがエミュを制した。ガチャリと音を立てて扉が開く。その先にはフェイの他に、見慣れない男性の姿があった。


 短い赤髪に金色の瞳。フェイに少し似た顔から、兄弟か親戚であることがわかる。しかしリュウはまだ警戒を解こうとしない。いくら隣に恩人であるフェイがいようとも、そう簡単に武装を解くわけにはいかない。


「俺はエミュ。フェイの兄で、医師をやっている。妖魔祓いが来たって聞いて、飛んで帰ってきた」


 リュウのことが妖魔祓いと知りつつも、エミュはリュウに敬語を使わない。一般人にしては珍しいその態度が、リュウに親近感を湧かせた。


 エミュの髪はボサボサで、寝ていないのか目の下には隈が目立つ。無精髭ぶしょうひげを生やし、身なりに気を遣わないその様から相当忙しかったことが窺える。





 エミュとフェイの姿を見て初めて、リュウは警戒を解いた。とりあえずはと身にまとった旅衣から右腕は出さぬまま。エミュの様子をジッと観察する。


「さて、堅苦しいのは無しだ。とりあえず右足を見せろ。早く」


 エミュが鋭い目つきでにらみながらリュウに告げた。右足は、リュウが前日に怪我した場所。フェイの応急処置で包帯が施されている。だがあくまで応急処置だけでその他の手当は何一つしていない。右足を動かそうとすれば鈍い痛みを感じる。


 エミュはリュウの足首に巻かれた包帯を外すと足の様子を観察する。ある程度観察すると、手荷物から軟膏なんこうを取り出して患部に塗り始めた。処置を終えると再び包帯を足首に巻き、固定する。その手際は非常に良い。職業柄、怪我の手当てに慣れているからだろう。


「包帯で固定はしたが、三日は安静にしとけ。軽くひねっただけでよかったな」


 無愛想ではあるが、安静を指示したのはリュウのため。リュウは巻かれた包帯にそっと触れると、エミュに礼をした。


「歩く分には問題ない。だから、被害者に話を聞きに外へ出てもいい。でもその前に、少し俺に付き合え」


 ムスッとした顔のまま、そっけない口調で告げるエミュ。だが次の瞬間、リュウの手を掴んで立ち上がらせた。


「町長に、お前を連れてくるよう頼まれている。だから、こっちが先だ。いいな?」

「僕も、町長に会いたいと思っていたんだ。案内してくれるのかい?」

「当たり前だ。フェイ、リュウさんをしばらく借りるぞ」


 なんとか立ち上がることは出来たが右足は歩く度に微かに痛む。簡単な治療をしたとはいえ、そう簡単に怪我は治らない。仕方なく、エミュの肩を借りて外へ出ることにした。

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