第五話

 弐色さんはいつの間にか結界を解いてくれたそうなのですが、化け物が現れる様子は一切感じられないまま、陽が傾き始めたのでした。この間も景壱君は何か物思いに耽っている様子で、時折タブレットを弄っては深く息を吐くのでした。私にはこの姿が異様に感じられたのです。こうして何か実験のようなものをしている時の主人は嬉々として目が輝いているものなのですが、今はその様子が全く窺えないのです。まるで退屈と戯れているかのよう。景壱君は間違っても明朗快活とは程遠い性格をしています。鬱鬱怏怏うつうつおうおうという言葉が似合いそうです。何か言いたげに愁いを帯びた碧い瞳は美しいのですが、私は少し苦手でもあります。

「化け物来ないねェ」

 しんと静まり返っている部屋に、弐色さんの声が響きました。あれから20分は経過しているのに、何も来る様子がしません。化け物なんて本当は現れないのではないでしょうか。私は景壱君を見つめます。私の視線に気付いたのでしょう。彼はタブレットを私に差し出しました。私は黙ってこれを受け取ります。薄い液晶画面いっぱいに異様な写真が表示されていました。赤く濡れている肉塊の傍らに黒いものが映っていました。これは何でしょうか? 画面を拡大します。それでも黒いものの正体はわかりません。

「景壱君。これは何ですか?」

「化け物」

「化け物の写真が撮れたの?」

 弐色さんが私の手元を覗き込みます。画面を凝視してから、顎に指を添えて考えているようでした。もしかしたら彼なら化け物の正体がわかるかもしれない。私は彼の次の言葉を待ちます。

「凄いね。さっぱりわからないや。きゃはははっ」

 彼に期待した私が愚かだったのでしょうか。呪いについて詳しいはずの弐色さんがわかっていないという事実だけが今の私がわかること。景壱君は何も言ってくれないですし、いったいこの化け物は私をどれだけ待たせれば気が済むのでしょう。是が非でもお目にかかりたいものです。それがどんなに私の退屈を凌げる遊び相手となってくれるのかが気になるものです。嗚呼、早くお目にかかりたい。命のやり取りをしたい。殺めあうように求めてはいけないのでしょうか。

「でも、景壱ならこれの正体が何かわかっているんだよね?」

「さっきも言ったけど、化け物」

「化け物の正体は?」

「……どうやろね」

 景壱君は私からタブレットを取り上げると、さっさとケースに片付けました。化け物の正体を景壱君は知っているのだと私は確信しました。こういう時、私がとるべき行動は決まっています。真実を知るための方法。

「弐色さん。いくら景壱君でも化け物の正体は知らないのです。いくら私のご主人様でも何でも知っている訳ではないのです。今回は元々知らなかったメールのお話なのですから、知らなくて当然なのです。聞いても無駄なのです」

「こやけ」

「何ですか?」

「俺は『知らない』と言ってない」

 そうです。こうすれば、景壱君の逆鱗に触れることを私は知っています。彼は、自分の知っていることを知らないと決めつけられることが何より嫌いです。でも本当に知らない時は反応することがありません。だから、この反応は、化け物の正体が何かを知っているということを表すのです。単純に挑発するだけだと、私に暴力がふるわれる可能性もありましたが、景壱君は先に『どうやろね』と、知っているとも知らないとも取れる発言をしているので、私にお咎めはないでしょう。

「それなら、知っているのですか?」

「はあ」

「知っているなら教えて欲しいのです。私は化け物に会いたいのです」

「おまえが思うようなものやない」

「私は化け物を見たいのです」

「……はあ」

 景壱君は再度深い溜息を吐きました。気怠そうにしながら、自分のスマートフォンを弄っています。数秒して、私のスマートフォンからメールの受信を報せる音が鳴りました。1時間ちょっと前と同じメールでしょうか。イイエ。違いました。



 差出人:景壱君(ケータイ)

 宛先:こやけ


 化け物が来ます。


 このメールが届いたあなたへ。あなたは今深刻な状況です。落ち着いてこのメールを最後まで読み飛ばすことなく読んでください。

 あなたに不幸が訪れます。夜中に誰かがあなたを訪ねてきても絶対にドアを開いてはいけません。執拗にドアや窓をノックされても、決してその姿を見てはいけません。もしあなたがまだ家に帰っていないのであれば、何度も背後を確認し、誰もいないことを確認してから、帰ってください。郵便受けに切手も宛名も無い手紙が届いていても決して読んではいけません。

 部屋の中ではクローゼットの中をよく確認してください。外出する前と変わりはありませんか。変わっていた場合は焦らずにそのままクローゼットを閉じてください。部屋の中で何処かから視線を感じても恐れてはいけません。いつでも助けが呼べるように携帯電話を肌身離さず持っていてください。特に夕方や雨の日に気をつけてください。

 このメールを28秒以内に3人に送れば、あなたは助かります。

 真面目なあなたは、読み飛ばすことなく、ここまで読んでいる間に、28秒を経過しています。


 ざんねんでした。もうたすかりません。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る