第三話


 ですが、私の考えに気付いたのか、景壱君はハッとした表情をすると、私のスマートフォンを取り上げ、すぐに10人にメールを送信していました。がっかりです。どのような化け物に会えるのか楽しみにした私の思いは一瞬で打ち砕かれたのです。そもそも、こんな不可解なメールで化け物が来るかどうかも怪しいのですが、気になるものは気になるのです。

「化け物ってどのようなものが来ると思いますか?」

「こやけが喜ぶようなやつではないと思う」

 ふわぁっと、欠伸をすると彼は私のスマートフォンをテーブルの上に置き、再びパソコンの液晶画面へと視線を戻しました。カタカタカタッ。キーボードを叩く音が部屋に響きます。これ以上彼と話していても何も進展しないように思えます。私は遊びに出ることにしました。

「景壱君。遊びに行ってきます」

「ちょっと待って」

「何ですか?」

「俺も外行くから」

「今、外に出たら死にますよ。カンカン照りなのです」

「主人に死ぬなんて言わんの」

 景壱君は、強力な日焼け止めを肌に馴染ませ始めました。塗り忘れると焼死体へと一直線になるのですから、なるべく炎天下に彼を出したくないのです。ですが、ひき籠りの彼が自ら外に出ることはとても稀有なこと。彼の意思を尊重してあげようではありませんか。それこそ彼に仕える精霊として正しい判断でしょう。

「そういえば、景壱君は何故そのような話し方をするのですか? 西の人間でもないくせに」

「これだと人間が親しみを持ちやすい。それに、方言男子はある一定の層に受けるという統計学的なデータを元にした結果。異なる話し方をして欲しいのであればそうするが、どうか?」

「西の人間と同じ話し方で良いです」

 さすがに言葉を勉強中の人間のような話し方をする主人は嫌です。聞いていると笑いを堪えることに必死になってしまうのです。

 少しして、日焼け止めを塗り終えた彼と外に出ました。日傘をさして歩く彼の3歩後ろを私は歩きます。隣を歩くと傘にぶつかる可能性があって危ないからです。どうやら行先は洋菓子店ではないようです。洋菓子店とは逆方向へと向かっています。足が進むにつれ、彼の向かう先がわかってきました。それは、鬼門の方角。神妙不可思議で胡散臭い嘘吐きの蛇神の使い、神宮じんぐう弐色にしきが住んでいる家のある方角。主人はメールに強い呪いがかかっていると判断したということなのでしょう。そうでなければ、わざわざ里から隔離されているかのような森に行く訳がありません。メールが呪いというならば、確かに拝み屋でもある彼に聞くことが正しいでしょう。私も主人の判断に賛成いたします。

 橋を渡り、少し行くと、古民家が見えてきました。瓦屋根は太陽光を受けて輝いているように見えました。きちんと手入れが行き届いているようです。景壱君が古びた呼び鈴を押し、待つこと数秒。引き戸が開きました。京紫色の和服をゆったりと着た蛇神の使いが口に手を当てて笑っています。

「僕に会いたくなっちゃった?」

「メール見てもらえた?」

「立ち話もなんだから、上がって」

 鉄柵を開いて、蛇神の使い――弐色にしきさんは私達を迎え入れました。柵から一歩足を踏み入れた瞬間。冷たい感触が体を突き抜けていきました。これは――

「ああ。こやけは精霊だからちょっと冷たかったかな。感じちゃう子は感じちゃうんだよね」

「意味深な言い方はやめてください」

「やだなぁ。僕にそんなつもりはないよ。こやけの心が穢れているんじゃないかな」

 これだから、弐色さんと会うのは嫌だったのです。この妙にひっかかるような言い方で人々を惑わせていく。とてつもなく面倒な性格をした人間なのです。

「で、景壱が送ってきたメールについてだけど」

「何かわかった?」

「わかったも何も1時間経てば何が起こるかわかるんじゃないかな。そのために僕にメールを転送してきたんでしょ。ご丁寧に『転送するな』ってご忠告までつけてさ」

「さすがやね。ああ、そういや、人間達に送ったのが後12分で1時間なる」

「まったくもう」

 私たちの前にお茶を置き、弐色さんは座布団の上に座りました。卓袱台の上に乗っているキッチンタイマーが動いているようでした。これは1時間を計っているのでしょうか。後27分すれば、ここに化け物が現れるのでしょうか。それはとても楽しみです。私が何を考えているか気付いたのでしょう。景壱君が溜息を吐きました。

「そんなに溜息を吐いたら幸せが逃げていくよ」

「俺のリボンを外しながら言わんといて」

「きゃはっ。ちょっと歪んでいたのが気になってね」

 弐色さんは景壱君のリボンを結び直しました。シルクサテンのリボンは部屋の照明でぼんやりとした光沢を見せていました。なんだか妙に二人の距離が近いように思えます。弐色さんの美しく艶やかな女性のような仕種は何なのでしょう。彼が生きてきた中で培ってきた処世術なのでしょうか。血管の浮くような細い腕や脚はすらりと長く、本当に透き通るように綺麗でした。人の心をかき乱すような種類の美しい顔立ちをしています。正しい美貌、とでも言いたいような、聡明な静謐せいひつの気配りを持っていました。

「景壱君。先に送った人達がどうなるかどうやって見るのですか?」

「ウイルスも添付してあるから、メールを開いた瞬間に、全ては俺の視界になる」

「何言ってるかさっぱりわかんないね。きゃははっ」

 私も弐色さんと全くの同意見です。やはり主人の考えていることは難しすぎて、私には理解できないのでした。理解できる方法があるとしても、理解しようと思いません。だって、難しいのですもの。


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