第四話

 キッチンタイマーは時を刻み続けています。景壱君は、タブレットを持ち出して何かを眺めているようでした。そろそろ先に送った1,000人の結果が出る時間のようです。それでも、私には景壱君がどうやって人間達を確認するかがわかりません。タブレットを覗き込むと、彼は指をスィッと横に撫でました。メール画面のようです。液晶画面に指の腹をつけたまま、彼は目を閉じています。今までにも私はこうしている姿を見たことがありました。この時の彼に話しかけると、凄い勢いで怒鳴られ、頬を打たれた記憶があります。そうした暴力を振るった後には、彼は必ず泣きながら謝ってくるものなのですが、私もそう打たれたい訳ではありません。ですので、今は黙って事の行く末を見ておきましょう。

「ククッ……あっはっはっはっは」

 突然、景壱君は、可笑しくて堪らないように、笑いだしたのです。やけに透明度の高くなった碧い瞳と目が合います。私の隣にいた弐色さんの表情が凍り付いていました。いつもの笑顔は消えて、素です。

「何がそんなに可笑しいの?」

「いやいや。から、つい可笑しくって」

「目を閉じていたのに」

「目を閉じないと見えないものもある。こやけ。化け物はおまえが期待するほどのモノやない」

「そうなのです?」

「うん。もう少ししたら、わかるやろ」

 景壱君はいったい何を見たのでしょうか。目を閉じていたのですから、何も見ることができないはずなのです。それに、目を閉じないと見えないものもあるって何なのでしょう。私は試しに目を閉じてみます。妙に首筋の辺がゾクゾクして、ふと耳を澄ますと何処からか呻き声が聞こえているような気さえします。あくまで、気がするだけなのですけれど、目を開くと、弐色さんが卓袱台にお煎餅を置いていたので、私は早速手を伸ばします。バリッバキッ……軽快な音が響きます。やはり煎餅はしょうゆ味で海苔が巻いてあるものが一番好きです。以前、七味の煎餅を食べて辛くて泣いたことがあります。甘辛いお煎餅が一番美味しいのです。それにこの海苔の芳ばしさが堪りません。次々に手を伸ばしてしまいます。

「こやけ」

「はい。何ですか? 景壱君」

「食べ過ぎ」

「美味しいものは食べないと勿体無いのです。それに、お煎餅が湿気でられる前に食べなければ、美味しさが半減してしまうのです。バリッとバキッとしたお煎餅の硬さが好ましいのです」

「そうやとしても、もう少し遠慮したほうが良い」

「こやけの食い意地が張っているのは、今に始まったことじゃないから気にしてないよ。それよりも、後10秒したら化け物が来るんじゃない?」

 キッチンタイマーを持ちながら、弐色さんは言いました。9、8、7、6、5、4、3、2、1……ピピピピピピピピピピ。

 高い音が鳴り響きましたが、部屋に異常はありません。何処にも化け物なんていません。障子を開いても、何もいません。

「何もいないね」

「景壱君。化け物はどうしたのですか? 何処にもいませんよ」

「こやけ。鏡見て」

「鏡?」

「はい。どうぞ」

 私は弐色さんから手鏡を受け取ります。紅い瞳をした夕焼け色の髪の女の子が映っています。寝癖がついているのが気になりますね。

「それで、化け物は?」

「あ……」

「何ですか?」

「にーちゃん。この家ってもしかして、結界の中?」

「そうだよ――あ!」

「2人ともどうしたのですか? 私にもわかるように教えてください」

 景壱君は眉間に手を当てながら溜息を、弐色さんは苦笑いをしていました。私にはさっぱり何のことだかわかりません。鏡を見ても、自分の姿が映っているだけなのです。寝癖が気になります。これは身だしなみにもう少し気をつけるべきでした。景壱君も教えてくれたら良いのに、何にも言わないだなんて酷いです。そもそも彼は重要な事を教えてくれないのです。いつだって、そう。

「結界の所為で、ここに化け物が入って来れないってことだよね?」

「うん。ちなみに鏡は関係無い。寝癖ついてるから」

「そう言う事は、屋敷で言ってください!」

「あ。本当だ。寝癖ついてるね」

「見ないでください!」

「きゃはっ。お昼過ぎてるのに寝癖がついてるって面白いね」

「面白くないです!」

 弐色さんは私に寝癖直しスプレーを吹きかけて、髪を梳きながら言いました。彼の美容関係における能力は素晴らしいものであるので、景壱君もとやかく言いません。放っておくと三つ編みにされていましたけれど、可愛いのでヨシとしましょう。景壱君の目も輝いているので、上機嫌です。そうではなくて。

「こやけ、可愛い」

「有難うございます。それより私は化け物が気になるのです」

「化け物って一度入れなかったら諦めちゃうタイプなのかな? 結界はもう無いのになァ」

「あまりにも送らなかった人間が多かったから化け物も忙しいんやない?」

「1,000人に送られるだなんて、化け物も思わなかったと思いますよ」

 10人に送ってくださいってモノを100倍の人数送られたら、化け物も回るのに大変です。化け物の正体は、メールを送らなかった人だってことになっているのですから、今まで送らなかった人の方が人数的に少ないのだとしたら、化け物だって忙しいに決まっています。ここで化け物の繁盛期を心配しても仕方ありません。


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