第七話

 瞬間、パッと開いた花が突然枯れるように生きたい。ぽとりと椿の花が落ちるように首が落ちてしまえば良い。この有様はなんとまあ無様なのでしょうか。これでは、ほとほと厭きれてしまいます。目を閉じないと見えないもの。これがそうなのでしょう。私は化け物の手を掴みます。私の手は闇に溶けてなどいなかったのです。見えなくなっていただけ。目を閉じれば、はっきりと姿が見えました。重要な事をきちんと知らせない景壱君の性格の悪さは今に始まったことではありませんが、面倒臭くなることがあります。それでも私はあの方に付き従うだけなのでございます。だって、主人なのですもの。ギチギチ……ボキッ……気味の悪い骨の音が私の耳を突き抜けていきました。嗚呼。なんということでしょう。私の聴覚が復活したのです。目を閉じることで感覚が研ぎ澄まされたのでしょうか。腐った肉の臭いが鼻孔をくすぐります。嗅覚は甦って欲しくなかったですね。ボタボタ……肉が落ちる音がしました。同時に血が噴き出る音。フム。この化け物は思ったよりも弱いようです。だって、私の腕力で、骨が砕けるのですもの。それとも、これは腐った肉の塊という認識でよろしいのでしょうか。私に腕を折られた化け物が溶けている姿が見えました。正確には、そう認識しました。私は目を閉じているのですから、視覚的情報は一切入って来ないはずなのです。ですが、私は瞼の裏に自らの腕と脚を想像することで、立つことも掴むこともできます。そして、それは、この化け物にとってどういう意味をもっているかと申し上げますと――

「サア、私と楽しい殺し愛を致しましょう。私はあなたをずっと待っていたのです。ずっと待ち焦がれておりました。ずっとずっとずっとずっと、この時間ときを待っていたのです。あなたと対峙するこの瞬間トキを待っていたのです。嗚呼。長い時間は私に陶酔的な想いを抱かせるのに十分過ぎたのです。サア、殺めるように求めあいましょう。サア、サア、サア、サア」

 私は両手を広げて、化け物へと歩みを進めます。あろうことか、化け物はズリズリと逃げていくのです。どうしてこういうことをするのでしょう。興醒めです。私を殺しに来たはずの化け物が、私から逃げていくのです。つまらない。私は左手を真っ直ぐ水平に真横に伸ばします。りんりりぃん……と右手に嵌めた数珠の鈴が鳴り、左手に確かな感触。私の得物――死神の鎌デスサイズを振り抜くと、化け物が真っ二つに裂けました。まだ足りない。これでは、まだ。

「嗚呼。所詮は人間風情が化け物に成ったモノなのですね。実に、つまらない。興醒めにも程があるのです。私を待たせた罰は重いのですよ。ですが、退屈凌ぎにはなりました。そこのところは褒めてあげても良いのです」

 景壱君が言っていたとおりに、化け物は私が期待するようなものではありませんでした。期待外れでした。真っ二つに裂けた化け物を縦に、横に、切り刻んでも生きているようでした。この生命力は素晴らしいものですね。私はふとある事を思いつきました。これが上手くいけば、景壱君は喜んでくれるでしょう。イエ、これこそが、彼の目的でしょう。きっと今も私の姿を何処からか見て楽しんでいるのです。それならば、もっと楽しませてあげましょう。こうなることを彼はに違いありません。私が化け物を切り刻めば、切り刻むほどに、化け物の数は増えていく。この化け物は、私に恐れをなしてただ逃げ惑うだけ。だのに、私はこの化け物を痛めつけて楽しんでいる。なんという加虐精神なのでしょう。嗚呼。滾ってしまいます。昂りが止まりそうにありません。きっと私は今恍惚の表情をしているのでしょう。化け物の数は……これでは数えられそうにありませんね。私は目を開きます。変わらない闇。私は目を閉じます。雨の後の濡れた地面のように、化け物が無数にいます。

「ご主人様。もう十分楽しんだでしょう。そろそろ戻してください」

 私は得物を片付けて、右手を振りました。りんりりぃん、りんりりぃん。鈴の音が静かに闇に響くのです。

 そうして、私が目を開くと、右手にスマートフォンを掴み、件のメール画面のままでした。

「おかえり」

 呑気な声で私に声をかけた景壱君は、喉の奥でクックッと笑うと、私に近付いて、私のスマートフォンを取り上げるのでした。そして、件のメールを自分のスマートフォンに転送すると、そのまま何かをしているようでした。

「……何だったのですか。あれは」

「化け物」

「メールの方です」

「ああ……。俺が作ったんよ。なかなか上出来やろ? ククッ、これからどうなるか楽しみやね」

 景壱君は私に自分のスマートフォンの画面を見せるように向けました。メールは送信画面になっていました。先程のメールが、転送されたようでした。……何人に送ったのでしょう。私には計り知れません。それよりも私が気になるのはこのメールではなくて、史子さんから聞いた方だったのです。あれはどういうものだったのでしょう。化け物の正体はさっき見たアレとは異なっているように思います。私は座布団に座りなおしました。弐色さんが卓袱台にぼたもちを置いたので、手を伸ばします。あんこが美味しいです。この絶妙な甘さ、口触り。最高です。

「こやけ。食べ過ぎ」

「ここまで食べっぷりが良いと、菜季も嬉しいだろうね」

「まあ……作りがいはあると思う。俺はあんまり食べひんから」

「景壱はもう少し食べた方が良いと思うよ」

「善処する」

 美味しいです。ばたもち美味しいです。しょっぱいものの後に食べているので最高です。この赤紫蘇のぼたもちも美味しいです。嗚呼。美味礼賛なのです。

「それよりもさ、メールは何だったの?」

「そうです! 史子さんから教えてもらった方は何だったのですか?」

 私と弐色さんの問いかけに、景壱君は花弁が綻ぶかのような美しい笑みを浮かべました。それは美しくも、冷酷な笑みでした。


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