第十一話

 屋敷に戻ると火照った肌を冷やすようにエアコンの風量を最大にまで上げました。景壱君は紅茶を淹れると、ソファに座り、ノートパソコンを開きます。こんなに長時間光る画面を見て疲れないのかと私は思います。メールの画面が表示されています。自分で創ったあのメールがどうなったかの確認をしているのでしょうか。私には彼がどのようにして被害者の姿を見ているかがさっぱりわからないのでありました。わかったとしても、私には特別興味がある訳ではありません。それがまあ、彼の変態的な嗜好をどれだけ満足させたことでしょう。辺りは森閑しんかんと静まり返っています。

「ところで」

「はい。何でしょうか?」

「こやけは、どうして俺にこのメールの話をしたん?」

「史子さんが『景壱ちゃんが好きそう』と言ったので、話しました」

「なるほど。理解した」

 景壱君は再び視線をノートパソコンへと向けます。カタカタカタ……単調な音が響きます。その中で、彼の呼吸が変に物凄く部屋に響くのです。呼吸とキーボードの音だけが響いて異様な空間が完成されているように感じました。私だけが完成されていない、不完全なまま。そんな錯覚を抱くほどに、この空間は異様な空間として完成されています。

 カタンッ、タン……ひときわ強くキーボードが弾かれました。いつもはそんなに強く押すことがないのに、いったいどうしたのでしょう。表情こそあまり変わってはいませんけれど、彼の顔には焦りに似た何かを感じました。玉のような汗が白い首筋を流れています。この部屋はそれほど熱くないはずです。だとすると、これは冷や汗なのでしょうか。彼が汗をびっしょりとかくのは、不安に苛まれ、悪夢でうなされている時です。彼の中で不安が蠢いているという事になります。ともすれば、景壱君の顔が引きつっています。透明度の高い瞳が、濁っているようにも見えました。澄んだ碧眼が、淀んで見えるのです。嗚呼。私はまた恐ろしいことを思いついてしまうのでした。私の考えが正しいのであれば、この言葉を彼に伝えるだけで、全てが終わってしまうのです。弐色さんも似たようなことを言っていたではありませんか。

「景壱君」

「何?」

「貴方が化け物なのでしょう」

「俺が化け物? ククッ、言い得て妙やな」

 この反応はどちらなのでしょうか。景壱君の目に透明度が戻りました。人を嘲笑っているようにも見える瞳。冷酷で、残忍で、見る者を震え上がらせるような碧い瞳。まるで心の中に異様な物が巣食っているような怖さを感じました。表面は天鵞絨ビロードのように美しく取り繕ってはいますが、内面には茨が生えていそうな異様な不安が蠢いていそうです。彼は私の頬を手の甲で撫でました。

「貴方は、私から教えてもらうまで史子さんの話にあったメールの存在は『知らなかった』と言いました。でも、すぐにこれがどのようなものであるかを知りました。化け物の正体がメールの作成者だということも、すぐに突き止めたのでしょう。さすがに1000人もの対応をできなかった殺人鬼は、終に私達の所へ辿り着きました。ですが、貴方はあっさりと殺してしまいました。貴方なら、私の事が百も承知なのです。わかっているはずなのです。あんな鬼なんて一瞬にして屠り去ってしまえることも知っているはずです。それなのに、貴方は射殺しました。そこが、私には不思議に思いました。腕だって、切られて血だらけになっているのに、帰ってきた今でも手当てをしません。おかしいです。いつもの貴方なら、鬼にどうしてあのようなメールを作ったかを質問責めにするはずです。それこそ廃人は免れないほどにするはずです。それなのに、あっさり殺してしまいました」

「こやけを傷つけようとしたから」

「それだけですか? ただそれだけの理由で、私がやっと遊び相手を見つけたのに」

「それだけ」

「……そうですか」

 澄み切った瞳は、真実を語ります。景壱君は嘘を吐いていない。私には嫌でもすぐにわかるのでした。それでも、彼は否定しなかった。言い得て妙だと言いました。褒められていることはわかりました。

「あのメールの化け物の殺人鬼は死んだ。それでも、あのメールを見た被害者――人殺しの快感を覚えた鬼達はそのままやから模倣犯として残る。その模倣は更に模倣されて、連続で続いていく。このメールには、ある種の性的興奮を目覚めさせる作用があったのかもしれない。もう俺には興味が無い。位置情報のシステムを見て、互いに殺し合えば良い。人間が生きようが死のうが俺にとってはどうでもいい」

「言っている意味がわからないのです。あのメールを転送しなかった人は、同じく転送せずに殺された人に殺されているのでしょう?」

「そう。転送せずに殺された人を装って、転送していない人を殺しに行ける。だって、転送しなかったら殺されるってメールには書いてたから」

「更にわからなくなってきました」

「深く考えたらいけない。つまり、メールを送った相手を殺しに行っても良いと思い込む奴がいたってこと。仲が良い奴に嘘でもこんなメールを送らんやろ? 俺なら、嫌いで、死んでほしい相手に送る」

「それなら納得です」

「だから、俺が思うに……その子どもは、相当嫌われてたんやね」

 景壱君は喉の奥でクックッと笑います。相変わらず恐ろしいお方です。キーボードを弾くと、私に画面が見えるようにノートパソコンの位置をずらしてくれました。画面に映っているのは、何かの名簿のようでした。青いマーカーが引かれている人と赤いマーカーが引かれている人がいます。

「このマーカーは何ですか? この名簿は何ですか?」

「とある学校のとある学年の名簿。赤いマーカーが引かれている子は、いじめられっ子。そして、青いマーカーが引かれている子は、いじめっ子。被害者と加害者やね。そして――」

 景壱君がキーボードを弾くと、マーカーの引かれている数人が黒くなりました。

「この中で死んだのが、この黒くなった子達。クラス内でメールが回ったとしたら、妥当かもな。1クラス32人。この学年は3クラスで、96人。そして、1回のメールで送らなければならない人数は10人。何回も同じメールが送られて来た。または信じずに送らなかった。だから、こういう結果になったんかな」」

「学年内でこんなに人が死んだら不可解です」

「そう。でも、何とも言えない。だって、死んだ人間は、もう戻って来ないから」

 景壱君は喉の奥で笑いながら、ノートパソコンを閉じたのでした。



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