遠近感 ―― 第百一話・異聞

 カメラがデジタルになるよりも、少し前のことだ。

 当時中学生だったTさんは、修学旅行で初めてH県K市を訪れていた。

 天候に恵まれた港町は、空も海も青々としていて、気持ちがいい。そんな中、先生の指示で、海をバックに集合写真を撮ることになった。

 クラス全員で、海を背に三列に並ぶ。Tさんは背が高かったので、一番後ろの列に立った。

 カメラ担当の先生が距離を空けて三脚を置き、ファインダーを覗き込んだ。どことなく急いているように見えた。周りには他にも観光客がいるので、手早く済ませたいのだろう。

「はい、撮るよー」

 先生が声を上げる。Tさん達は思い思いに手でサインを作り、シャッターが切られる瞬間を待った。

 だが、そこで不意に先生が、カメラから顔を離した。

 撮り終えたというよりも、何かに驚いて、思わず顔を背けたように見えた。

 先生は辺りを見回して何かを確かめると、気を取り直すかのように叫んだ。

「ごめん、まだ撮ってない。もう一度行くよー」

 そう言って、再びファインダーを覗き込む。

 そして――また顔を離した。

「……誰か、俺の邪魔してないよな?」

 そんなことを呟きながら、辺りを確かめ、首を傾げている。

 何か不備があったのかもしれない。もっとも大半の生徒は、そんな先生の都合などどうでもいい。このささやかな拘束時間に、早くもだれ始めていた。

「よし、今度こそ撮るよー」

 先生が叫んだ。さすがに最初の時ほどサインを作る生徒はいなかったが、それでもようやくシャッターが切られて、誰もがホッとした表情を見せた。

 ただ――当の先生だけが、強張った顔をしている。

 先生は、すぐに他の先生達のもとへ走ると、頻りに「ここで撮影するのはやめましょう」と訴え出した。

 ひそひそ声だったが、Tさんはそっと近くに寄って、聞き耳を立ててみた。

 ……先生の言い分は、こうだ。

 何でも、シャッターを切ろうとするたびに、ファインダー越しに知らない女が、ドアップで割り込んでくるらしい。

 髪の長い、化粧の濃い女だそうだ。それがファインダーの右斜め上から、まるで首でも傾げるような角度で、にゅぅっと顔だけを覗かせてくるという。

 しかし、驚いてカメラから顔を離しても、周りにそのような女はいない。なのに、もう一度シャッターを切ろうとすると、また割り込んでくる――。

 結局三度目のタイミングで撮影した時も、間違いなく女が写り込んでしまったようだ。

「……ここで撮っても、知らない女のドアップしか写らないですよ」

「……あの、それって人間じゃないですよね」

 会話が聞けたのは、ここまでだった。すぐに先生の一人が、そばでTさんが聞いていることに気づいて、追い払いにかかったからだ。

 もっとも、後の祭りである。Tさんがクラスのみんなに言いふらしたこの話は、瞬く間に学年中に広がり、その夜はどこのグループの部屋でも、怪談話で大いに盛り上がったそうだ。


 そして後日、現像された写真が、学校の廊下に貼り出された。

 希望の写真を申請すれば焼き増ししてくれるというので、Tさんも友達と一緒に、貼り出された写真をチェックした。

 ただ、例の港で撮った集合写真だけは、その中に入っていなかった。

 少し期待していただけに、軽く落胆したのだが――。

 いったい何をどう間違ったのか。その後、問題の写真が、生徒達の間に流出する事態になったという。

 おそらく職員室の机に置かれていたのを、誰かが勝手に持ち出したのだろう。Tさんも、ついにその没写真を拝むことができた。

 ……写真には、確かに無表情の女の顔が、でかでかと写っていた。

 ファインダーの右斜め上から、首を傾げた角度で、にゅぅっと顔だけを覗かせる――。あの時の先生の説明は、一見、間違いではないように思えた。

 ……ただそれにしては、おかしな点があった。

 写真に写った女の顔が、まったくピンボケしていない。

 もし生徒にピントが合っている状態で、誰かが間に割り込んでレンズを覗き込んできたのなら、そちらはピンボケしているのが普通である。

 なのに女の顔は、生徒ともども、くっきりと鮮明に写っている。

 それに――髪が変なのだ。

 首を傾げた女の髪は、当然下にだらりと垂れ下がる。本来ならそれによって、生徒の大半が、髪に隠れてしまうはずだ。

 しかし写真には、どの生徒もきちんと写っていた。

 なぜなら、女の髪が垂れ下がっている場所が、だったからだ。

 つまり――この写真を見る限り、女の顔があるのは、生徒達の後ろ側。背にした海の真上……ということになる。

「うわ、顔でかすぎじゃん」

 一緒に写真を見ていた友達の一人が、そう叫んだ。

 確かに、映り込んだ女の顔は、巨大という他ない。先生も遠近感が狂うわけだ。

 しかし――そんなことは、Tさんにとってはどうでもよかった。

 それよりも気がかりなことが出来たからだ。

 女の顔は、生徒のすぐ後ろ側にある。そして自分は、列の一番後ろにいる――。

 ……写真の中のTさんの顔を、女の髪が一筋だけ、すぅっと横切っていた。

 害があるのかどうかは、分からなかった。

 ただ――とにかく、気味が悪かったそうだ。



   * * *


 第百一話の没バージョン。シチュエーションがだいぶややこしくなってしまったので、不採用とした。またモチーフである「大首」が、あまりにもそのまますぎたのも、没にした理由である。

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夜行奇談 東亮太 @ryota_azuma

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