第七章『過去の出来事』

(1)


「さて、村の人たちを使ってまで俺を誘き出した理由は何だと訊けば、答えてはもらえるものだろうか?」

 ジリジリと包囲を狭めて来る、黒尽くめらしき男達に注意を払いながら問い掛ければ、

「悪いが、お前は邪魔なのだ」

 意外にも、予想通りの答えが素直に返って来た。

 少しばかり雨脚が弱まり、先程より幾分視界が晴れる。

 男たちは黒っぽい着物に同系色の袴を履いていた。腰には洩れなく刀を佩き、顔が隠れるほど深い編み笠を被っていた。

 どう贔屓目に見ても、到底村人には見えない。

 何故こんなところに、こんな人間が? と思いながら疑問を口にする。

「邪魔だから排除しようとしているのは分かるが、何に対して邪魔なのか教えてはくれまいか?」

「知ってどうする」

 初めの男とは違う男が訊ねて来る。だがそれは愚問だった。

「普通知りたいと思うものだと思うが、違うのか?」

 答えながらも深は周囲を注意深く見回した。

 道の前後は男たちが塞いでいる。素早く左右に目を走らせれば、林の中へ逃げ込むことは可能のように思えるが、素直に逃がしてもらえるとは思えない。

 そもそも、助汰の口走った言葉が本当なら、助汰と源吾は脅されて深を誘き出したのだ。

 その深が再び村へ戻れば、被害は村人たちにも容赦なく及ぶだろう。

 だからと言って、殺されるのを大人しく受け入れるわけには行かない。

 どうにかして妥協点が見付からないものかと、淡い期待を籠めて問い掛けたのだが、返って来た答えを聞いて、深は考えを変えた。

 先の二人とは違う、別の男が答えた。

「貴様の持っている鳥を貰い受ける」

「縁を? 何故?」

「喋るからだ!」

 直後、深の左にいた男が、問答無用で斬りつけて来た。

 殆ど不意打ちのような下から掬い上げるような一撃に、深は反射的に右へ体を捻った。

 刹那、ガッと鈍い衝撃音が耳を打つ。

 一刀が背中の木箱によって受け止められたのだ。

 ッチと舌打ちを一つあげる男が、刀から手を放して飛び退くのと、深が錫杖を振り抜くのはほぼ同時。

 男が刀を抜くことに執着していれば、充分にその側面に叩きつけられたのだが、深の錫杖は虚しく空を切った。

「いきなりとは御挨拶だな。そもそも、たった一人の薬師相手に、この人数は多過ぎじゃないか?」

 木箱に刀をぶら下げたまま抗議する。

 対して男たちは手に手に刀を握り、重心を低くし、本格的に構え始めた。

「獅子は兎を狩るにも全力を尽くすと言う。同時に、窮鼠猫を噛むとも言われているなら、念のため――と思ってもらって構わない」

「つまり、生かして返すつもりは毛頭ないと?」

「残念ながらな!」

 答えるが早いか、正面の一人が打ち掛かって来る。

 その鼻先に、ピタリと錫杖の先を突き付けて、深は言った。

「まぁ、そんなに慌てなくてもいいんじゃないか?」

『!』

 男達に動揺が走ったのを深は感じた。

 無理もない。普通ならば突然真剣で襲い掛かられれば逃げ惑うものだ。

 それなのに、深は逃げることなく、仕掛けた男の動きを錫杖一本で抑えてしまったのだから、警戒されるのも仕方がない。だが、複数を相手にする場合は警戒された方が都合は良い。

「そもそも分からないのだが、縁のことをいつ、どこで知った?」

 問い掛けながら藁笠を取る。

 雨はまだ降っていたが、この状況では笠は邪魔だった。

「縁を奪ってどこへ連れて行くつもりだ?

 縁のところにもお前たちの仲間が向かっているのか?」

「……言ったはずだ。お前は生かして帰すつもりはない」

(まぁ、そう言うだろうと思ったがな……)

「だったら勝手に聞かせてもらう」

 何一つ期待を裏切らない返答に、さして落胆することもなく、深は頭の『遮幕朧』を取り去った。

『!!』

 刹那、男たちが一歩後ろに下がる。

 それらを見渡し、深は雨に濡れそぼった前髪を掻きあげて、男たちを見渡した。

 直後、深の頭の中に次々と男たちの考えている事が流れ込んで来る。

 その感覚は不快感を伴った。

 頭の中を無遠慮に掻き回されるような騒がしさ。

 吐き気すら伴う頭痛に、つい表情も険しくなる。眼は半眼になり、眉間に皺が寄る。

 吐き気を堪えるために唇を噛み締めて、暴れ出そうとする思考を無理矢理に押さえつける。

 本来ならば、対象者を絞り込むことで、もう少し読み取る思考も減らせるのだが、今は誰がより多く、知りたい情報を持っているかが分からない。

 故に、手当たり次第に思考を読み取っていた。その膨大な思考の中から必要な情報だけを取り出すことは、頭が沸騰するほどの集中力を要する。

 たとえるなら、十人同時に大声で違うことを話してもらい、その中から必要な情報を聞き分けるようなものだった。

 人は、考えていないようでいて色々なことを考えている。

 相手にとって必要なことも不要なことも。

 だが、使いようによってはこれ程までに便利な力はないだろう。

 相手の思考を読み取り、行動を事前に把握し、それに対して行動を起こせばいいのだから。

 その力を、深は昔、突然手に入れた。

 当時の深は今とはまるで違う荒くれ者だった。

 そんな深の目の前に、突然『サトリ』と名乗る気味の悪い男が現れた。

 そいつは現われるなり、深の考えのことごとくを読み取り襲い掛かって来たのだ。

 死にたくなかった深は、死に物狂いで――それこそ無我夢中で抵抗し――

 ふと気が付くと『サトリ』と名乗った男が血溜まりの中で倒れていた。

 深も血だらけで、ボロボロの満身創痍。

 自分がどうやって、足元に倒れている『サトリ』を倒したのか判らなかった。

 一体なんだったのだと、勝った喜びよりも憤りの方が強く、腹いせに蹴り飛ばそうとしたとき、深は『サトリ』に足首を掴まれた。

 まだ生きているのかと驚きと戸惑いと恐怖心に、一瞬にして心臓を鷲掴みにされた深に、血だらけの顔を向けて『サトリ』は言った。


――これで……俺も……旅、立てる……。お前に、礼を……言う。

  同時に、ご愁傷様とな……次の、『サトリ』は、お前……だ……


 意味が分からなかった。

 余りの気持ち悪さに、深は逃げた。

 逃げて逃げて、疲れ果てて倒れるまで逃げて――

 本当に倒れて眠っていたのだろう。

 ハッと目を覚ますと、それまでのことはただの夢だと思った。

 だが、全身の怪我が、それが嘘ではないと主張していた。

 それを見て一瞬ぞっとしたが、それから暫くは何が変わると言うこともなかった。

 初めに異変を感じたのは、サイコロをしているときだった。

 何となく、丁半どちらが出るのか分かるようになっていたのだ。

 深はツキにツキまくった。

 気持ち悪いほどに深の勘は当たった。

 それから更に数日すると、頭の中で誰かが囁いていることに気が付いた。

 初めは隣の男が囁いているのだと思ったが違う。明らかに頭の中で声がすることに気味悪さを覚えたが、その声に従うと、自分が賭け事に負けないということに気が付き、率先してその声を良く聞こうと努力するようになった。

 そんなことを二月ほど続けていると、頭の中の声は、はっきりと聞こえるようになっていた。それこそ、頭の中に他人が住んでいるような、何とも言えない感覚に落ち着かなさを覚えなかったわけではないが、当時の深はまったく気にしなかった。

 今になって思えば、徐々に『サトリ』の力が目覚め始めたところだったのだろう。

 そのために、自分が望んだものの《声》だけが聞こえたのだ。

 事実、力が増すに連れて、頭の中の《声》は数を増やして行った。

 だが、その《声》が周囲の人間の思考だと気が付かなかった深は、はっきりと聞こえて来る他人の《声》と、実際に耳から入って来る声の区別が付かなくなって行った。

 聞きたくもない本音と建前を聞かされて、どうでもいい他人の思考を無理矢理読まされて、四ヶ月もすると人の世界に居られなくなっていた。

 うるさかったのだ。とにかくうるさかった。起きている間中、四六時中不快な騒音を聞かされ続けた。

 頭の中に何人もの人間が勝手に入り込んで、好き勝手に喚き散らしているようなもので、頭が割れるほどに痛かった。涙が出るほどに痛くて苦しくて、吐き気が込み上げて、実際に吐いた。

 平衡感覚が麻痺したのか、真っ直ぐにも歩けない。

 人の気持ちを読み取ることで、簡単に騙したりもしたが、これは限度が越えていた。

 便利なんてものではない。むしろ気が狂う力に、実際深は取り込まれそうになっていた。

 そうならなかったのはひとえに、『サトリ』が残した最後の言葉があったから。

『サトリ』は言った。次の『サトリ』はお前だと。

 つまり、あの男に『サトリ』を移されたのだという怒りによって、深は我を見失わなかった。

 だが、人の心を読み取る『サトリ』の力は、容赦なく自分にも向けられた。

 怒りによって我を見失わない代わりに、己が誰かに殺されるまで、ずっと雑音を聞かされ続けなければならないのだと気付き、絶望もしていたのだ。

 だから深は人の居る場所を離れた。山の中は平和だった。

 だが、静かになった分、孤独だった。

 初めはホッとしていたし、楽だと思っていたが、三ヶ月もすると虚しくなった。

 人の声が聞きたいと思った。

 だが、あの苦しみは味わいたくはない。

 でも、孤独は嫌だ。

 何度も何度も同じ望みの間で揺れ動いていた。

 一つところに留まっていては、違う意味で気が狂うと危惧した深は、山の中を彷徨い始めた。目的の場所などどこにもない。何も考えなくてもいいように、無心になって歩いていたかったのだ。

 そして深は二ヵ月半後、『遮幕朧』の授け主でもある、師匠が暮らす、ある寺へと辿り着いたのだ。

 そこで深は、堰を切ったように、後の師匠となる人へ事情を語った。

 自分がこれまで何をして来たのか、『サトリ』と出会ってどうして来たのか、苦しくて仕方がないこと、孤独が辛いこと、だからと言って死にたくないこと。

 まるで子供のように泣きながら話したこれまでを、師匠は静かに聴いてくれた。

 そして師匠は教えてくれた。深が『サトリ』に魅入られてしまったのだと。

 この世には『妖』と呼ばれるものが居て、時折自分が気に入った人間に取り憑くことがあると。

 取り憑かれた人間は、『妖』自身が愛想を尽かして離れるか、強制的に追い出されない限り、勝手にその者に能力を押し付けるものだと。

 中には『騙り』もいるが、中には本当に魅入られたものもいる。

 そして、師匠の暮らす寺こそ、『魅入られた者』が救いを求めに来る寺だと告げられて、深は救われたと思い、安堵のあまり号泣した。

 それから後、深はその寺で修行をした。心を落ち着かせ冷静さを保つことで、『サトリ』の力を制御する方法を身につけ、その力を使い、今度は人助けをして回ることで、今までの悪行の罪滅ぼしをしたいと思うようになっていたのだ。

 後に、五年の時を経て、深は寺を後にした。

 頭には選別として授けられた、師匠お手製の『遮幕朧』をしっかりと巻き、背中には薬箱を背負い、手には錫杖。他にも妖避けの道具をいくつか渡されて、深は旅に出た。

 その間、深は極力『遮幕朧』を外さないようにしていた。

 外さなくとも、ある程度までなら何となく判るほど、力は強くなっていたからだ。

 よほど緊急の場合や、危険だと判断しない限りは、相手の奥深くまでを覗き込むような真似はするものではないと学んでいた。

 実際、赤の他人に知られたくないことまで知られることほど、不快なことはない。

 寺での生活は、その前までの自分の考えすら変えていた。

 だからこそ、出来ることなら穏便な話し合いで解決したかったのだが――


「……ふむ。仲間は他に五人か。何か嫌な予感がしていたと思ったら、それが原因か」

「……貴様」

「……ほう。高値で取り引き。まぁ、喋る鳥などそうそう居るものではないからな。そういう意味では命が取られることはないか」

「な、何故それを」

「今までも稀にこの村にやって来ているようだが……借金のかた?」

「こ奴?!」

「騙したのだな、村の人たちを……」

「何故だ? 何故そのことを知っている?」

「……そうか、お前たちも所詮は駒。雇い主の本当の名前すら知らんのだな」

「貴様……化生の類か」

「っふ。化生と来たか……」

 明らかな警戒心を向けられると、深はわざと凄みを利かせた笑みを浮かべた。

『遮幕朧』を外した今の深には、五人の考えが手に取るようにわかっていた。

 五人の頭を占めるのは、戸惑いと混乱。まさかと言う思いと、深に対する恐怖感。

 それにより、芋づる式で深は、男たちのやって来た目的がわかった。だが、所詮目の前の男たちは駒でしかない。どれだけ深く探りを入れようと、雇い主までは辿り着かない。

 故に深は、全員の思考を制限なく読み取ることを止めることに決めた。

 むしろ一連のやり取りで、この中の誰が主導権を握っているのか理解したなら、他の四人の思考を読む必要は殆ど皆無。ならば、無駄に負担を追い込む必要はないと結論付けた。

 おそらく、深がここへ誘き出されている隙に、縁は捕えられているだろう。

 ならば、深を始末したあと、男たちは縁を捕えた男たちと合流するはず。

 だとすれば、一人だけ生かしておけば充分、縁と合流することが出来ると判断すれば、深は幾分、己の思考に蓋をするように意識した。

 それにより深は、読み込む力を制御した。お陰で頭の負担が随分と減る。まだ少しだるさはあるが、少なくとも吐き気は消えた。だからこそ、深は脅し始めた。

「だったらどうする? 大人しく帰ってくれるか?」

「…………」

「なるほど。お前さんの考えることは最もだ。普通に考えればただのはったりに過ぎない。そう考えることは当然だ。だから、それを読み取られて驚く必要はない。

 まさかこいつ、人の心が読めるのか? と思ったな?

 笠越しで判らないと思っているかもしれないが、充分にお前さんの動揺は伝わって来るぞ?

 そうか。試しに違うことを思い浮かべて、本当に俺が人の心や考えを読み取れるのか試そうと言うのだな。面白い。受けて立とう。

 だが良いのか? そんな個人的なことを思い出して。他の者達に聞かれてしまうぞ?

 ほう。お前さん。五人兄弟の三番目だったのか。今でも母御が作ったお守りを持っているんだな。里には身重の妻がいるのか。その者はお前さんの仕事を知っているのか?

 ん? お前さん、恐れているな? 俺が故郷の場所を突き止めて、お前さんの家族に害をなそうとすることを。

 っふ。それで思考を混乱させているつもりか? 隠そうとすればするほど、人はそのことを強く思ってしまう。ほら、そうしている間にもお前は故郷の姿を強く強く思い出し始めた。俺には見えるぞ、お前の故郷の素晴らしさ。お前の故郷や家族に対する思い」

「や、止めろ! それ以上、人の頭の中に入って来るのは止めろ!」

 それは悲痛な叫びだった。

 それは、誰もが必ずあげる叫びだった。

 かつて深も『サトリ』に対してあげていた。

 他人に自分の心や考えを全て読み取られてしまう恐怖は尋常ではない。

 普通の人間が相手であれば、単純に命のやり取りの問題だが、次々とひた隠しにしていたい秘密の蓋をこじ開けられたら、弱味も何もかもを握られたら、その不安と恐怖は形容し難いほどに膨らむ。

 だからこそ、深にも男の気持ちが痛いほど分かった。

「これで判っただろ? 俺はただの人間ではない。そんな者を相手に、ただの人間であるお前たちが敵うはずもないし、そんな者が連れている喋る鳥が、ただの喋る鳥であるわけがない。必ず俺たちは、お前たちに禍をもたらすだろう。それでも、お前たちは諦めないのか?」

「諦めるわけにはいかない。

 俺の考えていることが分かるなら、その理由も判るだろ?」

 男の口振りは、怒りによって投げやりになっていた。

 実際、深は読み取っていた。

 男たちも好き好んでやっているわけではないと言うことを。

 そこには身分が物を言い、位が物を言う、絶対的な組織図があった。

 本当の黒幕に辿り着くまでには何人の人間と会わなければならないのか分からない。

 だが、こっちは知らなくとも、向こうはこちらの全てを知っている。

 情報を持っていることが何よりも強みだと見せ付けられて握られて、末端に居る人間たちは、己の大切なものを守るために、己の意志などないものとする。

「お互いに、引けないのだな」

 深は男たちに同情した。

 だが、だからと言って、大人しく殺されるわけにはいかない。

 何と言っても縁を救い出さなければならないからだ。

 きっと縁は不安がっているはずだ。留守番をすると言ったことを後悔しているはずだ。

 縁は口を開くと可愛げがないが、それは全て己の弱さを隠すための鎧だということを深は知っている。臆病なくせに強がる縁が、あえて留守番を買って出た。

 その時縁は言ったのだ。《早く戻って来い》と。

 だったら早く、迎えに行かなければならない。さもないと、きっと縁は怒って泣いて、翼や爪や嘴で、これでもかと言わんばかりに攻撃して来るのだ。

 だからこそ、

「来い。お前たちが俺を殺せず、縁を連れて行けなかった正当な理由をつけてやろう」

 深は錫杖を構え、改めて五人と対峙した。

 深の能力の前では、どんな攻撃であろうとも躱され防がれ弾かれる。

 だが、薄々解っていても、五人の男たちに拒否権は無く――

 雨が小雨になり始めた頃、男たちは泥水を蹴り上げて、動き出した。

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