(3)


《だせーっ! ここからだせーっ! コムスメ! おまえいるんだろ?

 なんでもいいから、こいつらからオレサマをすくいだせ!》

(いや、そんなこと無理だから……)

 誰一人、口を開かずに黙々と洞窟の中(古い鉱山の跡)を歩き続けている中で、ただ一羽、空気を読むことなく喚く縁。

 そんな縁の要求に、内心でそっと突っ込みを返す与依は、正直どうでも良くなっていた。

 自分がどこに連れて行かれるか不安がないわけではない。

 本当に母親と会わせてもらえるのか考えると、真偽の程なんて判るわけがない。

 どうせ自分が何を望んだところで、力のある者の前では無意味でしかない。

 世の中は、自分の思い通りにはならないし、いくらでも望まないことが降って湧く。

 自分は流されるままに生きるしかないのだ。だから与依は付いて来た。

 与依が『嫌だ』と言えば、歴は自分の無力さを考えずに男たちに挑みかかっていただろう。

 そんなことになったら、歴も歴の父親もあっさり殺されていたはずだ。

 二人を助けたかったら、自分が大人しくするしかなかった。

 だから男たちに付いて来た。それが一番良いことだと思ったから。

 だから別に、何も悲しいわけじゃないと思っていた。

 それなのに――

(何で涙が止まらないんだろう……)

 涙が溢れて止まらなかった。拭っても拭っても止まらない。

 何が悲しいわけでもない。今更何かに腹が立っているわけでもない。怖くて不安で泣いているわけでもない。少なくとも、そんなことは考えてはいない。

 それなのに、涙が止まらなかった。

 自分の気持ちまでもが分からなくなっていた。

 だから何も考えないようにしようと心に決めた。

 何かを考えるから辛くなるし腹立たしくもなるし、悲しくもなるのだ。

 だったら初めから何も考えなければ良い。ただ流されるままに流れれば良い。その中でささやかな幸せを見つければ、それで良い。

 そう思っていると、ふと、男たちの足が止まった。

 どうかしたのかと顔を上げれば、歴の父親を斬った先頭の男が振り返っていた。

 もしかして、気が付かないうちに口に出して何かを喋っていたのかと、慌てて口を押さえるが、どうも視線が違うような気がした。

 男はもっと後ろを見ているようだった。

 釣られるように与依も見た。与依の後ろには似たような男が一人いて、その後ろの男が縁の入っている袋を持っていて、更に二人続いている。それでいて、それぞれが灯りを持っているため、歩く分には不都合などないが、それ以降は光源がないため、真っ暗だ。

 そんな中、一体何が見えるのだろうかと眼を凝らしていると、その耳に何かが聞こえて来た。

「――、――」

 初め与依には呻き声にしか聞こえなかった。

 ただ、何故か胸騒ぎがしていた。ざわざわ、ざわざわ、落ち着かなかった。

 もっと良く見たくなって、与依は列を外れて男たちの横に立った。

 大人でも三人までは余裕に立てるほど、道幅はある。

 勝手に列から離れるなと、注意が飛んで来るかと思ったが、予想外にそんなことはなく、与依は誰に邪魔されることなく、暗闇に眼を凝らし、耳を澄ました。

 そして、聞いた。

「よいーっ!」

(っな!)

 自分の名前を呼ぶ声を。その、聞き慣れた声を。

「な、なんで歴が……」

 我知らず、呟きが口を吐いて出た。

「やはり追って来たか」

 その頭上から、冷徹な声が降って来て、瞬時にして与依の体は強張った。

 その、冷水の如く冷ややかな声は、忘れようとしていた恐怖を無理矢理引きずり出させた。お陰で背中から頭上まで、一気に怖気が走り抜ける。

「歴! 逃げて!」

 堪らず叫ぶ与依。だが、効果はなかった。

「待ってろ! 今行くからな!」

《そうだ! はやくこい》

 誰よりも早く歴に答える縁。だが――

「行って来い」

 男の冷徹な号令の下、最後尾の男が列を離れた。次いで、

「行くぞ」

 何事もなかったかのように男が再度命ずれば、男たちは歩き出し、与依は、

「だ、駄目だ。あの人を戻して! おらは一緒に行くから! 歴とは帰らないから、だから、あの人を戻して!」

 与依は先頭の男の着物にしがみ付いて懇願した。

 男の足が止まり、笠越しに男が見下ろして来ると、与依は全身に鳥肌が立つほどの寒気を覚えた。

(怖い!)

 正直な感想だった。膝が震えて、今すぐにでもへたり込みそうになる。

 着物を掴んでいる手はどうしようもなく震えていた。

 それが判らないわけではないだろう。

 男は無言で暫く与依を見下ろしていると、

「さっさと歩け」

 無情な答えを、吐き捨てて来た。

 絶望に目の前が暗くなるとはよく言ったものだと与依は思った。

 思えたのは何のことはない。単なる現実逃避の賜物だったのだろうが、言葉が頭に浸透すると、与依は徐々に頭を左右に振った。

 その次の瞬間には、与依は男の前に回り込み、地面に膝をついて手を付いた。

「お願いします。どうか、歴を助けてやって下さい。お願いします」

 深々と頭を下げて懇願した。

「立て」

 無情な命令が降って来る。だが、

「お願いします。どうか、お願いします」

 与依は立たなかった。ひたすらに頭を下げて懇願する。

 懇願することしか与依には出来なかった。

 歴が追って来てくれたことを、一瞬でも嬉しいと思った自分を呪った。

 力もなく、武器もない状態で、刀を持った人を人とも思わない連中相手に何をしに来たのかと腹立たしくもあった。だが、殺させたくはなかった。何としてでも助けたかった。

 だから、土下座までして頼んだというのに――

「立て。もう一人、向かわせたいか」

「!!」

(やっぱり、この世なんて思い通りにはならないんだ)

 届かぬ思いに怒りが噴き出し、与依は地面に爪を立てた。

 悔しかった。思い通りにならないことが。人一人守れないことが。無力なことが。流されるだけの自分が。

 そう思っている間にも、微妙に視界に入るところで、歴が必死に呼びかけて来る。

 差し向けられた男が手心を加えてくれているのか、意外にも歴の動きが素早いのかわからないが、声が聞こえる以上は無事だと判断できる。

 だとしても、そんな幸運がいつまでも続くわけではない。

 もう一人を差し向けられたら、それこそ一溜まりもないだろう。

 だとすれば、とるべき道は一つだけ。与依は無言で立ち上がった。

「行くぞ」

 そして、再び列に加わると、歩き始めた。

 俯いたその顔に、涙はなかった。

 歯を食い縛り、怒りを瞳に宿らせて、与依は歩いていた。

 そして一度だけ、振り返らずに叫んだ。

「二度と追って来ないで!!」

 洞窟内を、怒りとも懇願とも付かない与依の声が木霊する。その一拍後――

「すまないが、それは聞けない相談だ」

『?!』

 ほぼ全員の動きがピタリと止まった。

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