(2)


《……きにいらない》

 そう呟いたのは、歴の横で半眼になって焼き魚を啄ばんでいた『山彦鳥』の縁だった。

 一瞬、歴の気持ちを読み取られたのかと思い、ぎょっとして見やるが、

《ほんとーにきにいらない》

 どうやらそう言うわけではないようだった。

「……どうした、縁?」

 初めこそ、不機嫌全開を示すように無言で鶏冠を立てていた縁に声を掛けられなかった歴だが、三日の間に多少話をするようにはなっていた。

《ほんとーにきにいらない》

「だから、何がそんなに気に入らないんだ?」

 声を顰めて訊ねるが、縁は答えず、半眼になって与依を睨み付けるだけだった。

「うん。与依殿はいつでもお嫁に行ける腕を持っているな」

「そ、そう?」

「……」《……》

 極自然に与依の料理の腕を深が褒めれば、頬を赤らめながら照れる与依。

 それを目の当たりにした瞬間、歴は頬を引き攣らせ、縁はピクリと鶏冠を震わせた。

 つまり、そういうことだった。

「お、おら、水汲みに行くわけじゃないから」

 照れ隠しのように突然与依が立ち上がったなら、

「ああ、俺が汲んで来よう」

「余計なお世話。薬師さんはそのままで……」

 代わりを買って出る深を押し留めて、与依は慌てて家を出た。

 その姿を、まるで自分の娘を見守るような眼で深が見送った瞬間だった。

《ぅおい! いつまでこんなことしてるつもりなんだ!》

 今までの溜まりに溜まった不満を爆発させるかのごとく、いきなり横から、縁が深に襲い掛かった。

「うわっ」

 さすがの深も予想外だったのか、珍しく驚きの声を上げて、顔を庇いながら仰け反った。

《ヒトが! いつまでも! おとなしく! しているとおもったら! おーまちがいだ!》

「や、止めろ、縁。危ない。お前の爪は危ない」

《うるさい! しったことか!》

「と、とりあえず、少し落ち着け。一体何をそんなに怒っているんだ」

 翼で叩いたり、爪で引っ掻いたりする縁を、何とか落ち着かせようと声を掛けるも、

《おまえにはそんなことも分からないのか!》

 結果は逆効果でしかなかった。

 あまりの突然のことに、歴は自分が襲い掛かられたかのような心境に陥り、顔を蒼褪めさせて硬直する以外に何も出来なかった。

 そんな歴の目の前で、縁は床に降り立ち地団駄を踏みながら、不満を一気に吐き出した。

《いったいいつまで、こんなところでカゾクごっこをするつもりだ!》

「家族ごっこ? 何を言っているんだ、お前は」

 鶏冠を逆立てている縁とは打って変わって、まるで意味が分からないと言わんばかりの口調で問い掛ければ、

《たしかに! やねのあるバショじゃなきゃイヤだといったのはオレサマだ!

 でもな、それはのじゅくがイヤだったからだ》

「ああ、分かっている」

《だったら、いつまでこのムラにとどまるつもりだ! さっさとつぎのバショへいけばいーだろ! もともとヒトのいるところは、きがすすまないっていってたのはオマエのほーだろ!」

「まぁ、そうだが……」

《だったら、いますぐこのムラをでるぞ!》

「村を?」

《そうだ! いますぐでれば、つぎのムラかマチに、くらくなるまえにつくだろ!》

「確かに着くが――少し落ち着いたらどうだ? 別に目的地があるわけでもない旅だ。

 何をそんなに急ぐ必要がある?」

 縁が怒れば怒るほど、深の声には戸惑いが色濃くなる。

 だからこそ縁は、もどかしさを代弁するかのように、翼で床を叩きながら――

《もーイヤなんだよ! このムラにかかわるのが!》

 癇癪を爆発させた。

《オマエはいったな、あのコムスメがたすけをもとめているよーに見えたからたすけたいって。で、じっさい、たすけただろ! だったらもーいーじゃないか! いつまでこのむらにいるつもりだよ!》

「……縁?」

《ほんらい、オレサマたちは、このムラとはなんのかんけーもない!

 『あまのじゃく』のコムスメがどーなろーと、まったくかんけーないんだ!

 それなのに、いつまでたってもコムスメにかかわって……。

 オマエはいったいなにがしたいんだ! このままこのムラにとどまるつもりなのか!》

 対する答えは完結だった。

「――そのつもりは……ないさ」

 酷く静かな声音だった。

 答えを聞いて、歴はどきりとした。

 何故かは分からないが、鼓動が早くなった。失念していた。

 深と縁は旅人で、いつかはこの村を去って行くのだと言うことを。

 本来ならば、翌日には発っていてもおかしくはない。

 それこそ、今まで立ち寄った旅人達も、翌日には誰の眼にも付かないうちに旅立っている。これほどまで長く旅人がいるのは初めてと言ってもいいだろう。

 だからこそ、いつ二人が出て行ってもわからないのだ。

 それなのに歴は、二人がいつまでもこの村にいると思い込んでいた。

 それどころか、いつまでいるつもりなのだと思い始めてさえいた。

 このままでは与依が深に取られてしまうのではないかとさえ……。

 馬鹿だと思った。

 そのことに思い至った瞬間、一瞬だとしても思ってしまったのだ。

 ――心配しなくても大丈夫だ。深は今にいなくなる。

 誰も気付かなかった与依の身に起きていたことを解明してくれた深なのに、その人間がいなくなることに胸を撫で下ろし掛けたのだ。

 そんな歴の心情に気付いた様子もなく、深は憤っている縁に静かに語りかけていた。

「――だが、このままでは助けたことにはならない」

《なんで!》

「皆が与依殿を受け入れ切れていないからさ」

《だから、かんけーないだろ! あとは、コムスメとムラのニンゲンとのもんだいだろ?! なんでわかんないんだよ!》

「縁」

 深が縁に向き直って、静かに名前を呼ぶ。

 対して縁は頭を左右に振りながら、深の話など聞くかとばかりに喋り続けた。

《ずっとここにいたって、ずっとしんぱいしてやったって、さいごにきずつくのはオマエなんだぞ》

「知っている」

《だったら、さっさとこのムラをでよう!

 そもそも、ムラじゅーのにんげんが、コムスメのことをうけいれるなんてことはぜったいにないんだから。どこのムラにいってもそーだろ?! ニンゲンはばんにんにうけいれられるよーにはなってない! ぜーいんにうけいれてもらえるまでなんて、いっしょーかかってもムリなんだ! そんなの、オマエのほーがしってることだろ!》

「ああ。知っている」

《だからな、だからな、シン》

 どこか寂しそうな笑みを浮かべる深へ、トントンと飛び跳ねて近付くと、縁は言った。

《もーこのムラからでよ? オレ、このムラいやなんだよ。いろんなところからヘンなしせんをかんじるし》

「それはそうだろ。喋る鳥は珍しい」

《ちがうんだよ! そうゆー目じゃないんだよ! めずらしがるとか、きみわるがるとか、そーゆんじゃないんだよ。だからな、もーでよ? ほんとにオレ、いやなんだよ。そのかわり一日ぐらいなら、のじゅくもガマンしてやるから》

「一日だけか?」

 深が困ったもんだと鼻先で笑う。

《それいじょーはみとめない。でも、どーしてもとゆーのなら、もー一日ぐらいならガマンしてやる。だからな、いますぐでよ? コムスメにはこのガキがいる》

「?!」

 いきなり自分を翼で指され、傍観していた歴はビクリと体を震わせた。

「そうだな」

 深までが視線を向けて来たなら、歴は後ろめたさのあまり、落ち着かなくなった。

 思わずうろたえてあたふたしていると、

「歴殿」

「!!」

 落ち着いた声で名前を呼ばれ、歴は真正面から深の視線を受けることになった。

 声と同じように落ち着いた眼だった。少し寂しそうで、でも温かい眼――

(……おいら、この眼を知ってる……)

 頭の片隅で、半ば無意識に歴は思った。

 一体どこで見たのだろうかと考えようとするが、

「与依殿のこと、頼めるだろうか?」

 自分の倍は生きている大人から真剣に頼まれたなら、歴は居ずまいを正し、誓いを立てるように答えた。

「ああ。与依の親父さんに賭けて、大丈夫だ」

 それは本心からの答えだった。

 与依のことは元々歴が任されていたのだ。力が及んでいないとしても、歴は出来る限りのことをして来た自負がある。

 そしてこれからも、自分が与依を守るのだと心に固く決めている。

 その決意を瞳に籠めて、歴は真っ直ぐに深を見た。

 その全てを受け止めるような穏やかな深の瞳。そして、安堵するかのような小さな笑み。

 それを見た瞬間、歴の中である場面が思い出された。

『歴! 与依のことを頼むぞ』

 そう言って、笑った与依の父親の姿を――

 思い出した瞬間、歴は眼を見張った。

(そうだ。そうだったんだ。深は与依の親父さんに雰囲気が似てるんだ!)

 気付いてしまえば簡単なことだった。

 与依は深に自分の父親の姿を重ねて見ている。

 元々父親が好きだった与依にしてみれば、自分のことを理解してくれる大人の男は、皆父親のような存在なのだ。

 だとすれば、与依が深に寄せている思いは、父親に対してのものであって、けして恋愛感情などと言うものではない。

 だとすれば、自分にもまだまだ好機は残されている!

 歴は俄然やる気になった。

 それこそ、深がいなくなってからが男の見せ所だと自分に言い聞かせる。

 大人の貫禄がないのはどうにもならない。

 だが、自分の出来ることを精一杯やっていれば、未だに両親のことを引きずっている与依にも気持ちが伝わるはず!

 じわじわと期待とやる気が漲って来る歴。

 その心の内を見透かしたかのように、深は一つ小さく頷くと、縁と歴に向かって言った。

「だったら答えは決まったな。与依殿が戻って来たら、この村を後にすることを伝えて、俺たちは村を出る。それでいいな、縁」

《おう! それでいい! それでいい!》

 ほぼ小躍り状態で喜びを表す縁だが、直後にバシャリと何かがぶちまけられた音を耳にして、二人と一羽は弾かれたように戸口を見た。

 そこには、顔を強張らせた与依が立っていた。

「よ、与依?」

 恐る恐る歴が声を掛けた瞬間、与依は眉間に皺を寄せ、唇を強く噛み締めて、今まさに泣き出さんばかりの表情を浮かべると、頭を左右に振りながら――その場から逃げ出した。

「与依!」

 弾かれたように駆け出す歴。

 後にはただ、深と縁が残された。

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