(3)


「この辺りにも民家があるのか?」

 深がそう問い掛けたのは、与依の家から東へ向かって大分歩いた頃だった。

 激しい雨は瞬く間に地面を泥濘に変え、出歩く者は誰もいない。

 大粒の激しい雨は周囲を白くぼかし、声を張り上げなければ前を行く源吾(げんご)にも届かない。

 源吾と言うのは、与依の家に来た五十代の男の名前だった。

 ちなみにもう一人は助汰(すけた)と言った。

 深は、源吾と助汰に挟まれるような形で、足早に歩を進めていた。

 向かっているのは、村に四つある出入り口の一つ――深が初めてこの村に連れて来られたときに通った場所――だった。

 あのときは暗かったせいもあり、民家があるとは気が付かなかったが、

「ああ。そこで皆が待ってるだ!」

 少しだけ振り返りながら、源吾がきっぱりと答えて来る。

「そうか」

 と、頷き返し周囲を見渡すが、深は薄々何かがおかしいと感じ始めていた。

 何やら嫌な予感がする。

 胸が異様にざわついていた。

 さっさと用件を済ませて縁のところへ戻ろう。

 そう思いながら、左右を林に挟まれたぬかるんだ道を急ぎ歩く。

 叩きつけるような雨が、容赦なく足元から体温を奪って行く。

 雨音が聴覚を鈍らせ、視界も悪い。着物は雨を吸い込み重くなり、限りなく足場は悪くなる。そのせいか、歩いている割には距離を稼げていないような気がしていた。

「こんな村から離れたところに民家があるのでは、そこに住む者は色々と大変だろう」

 無言で歩くのも時間が遅く感じる原因だと思った深が問い掛けるが、

「もう、慣れたもんです」

 源吾の答えは素っ気無いものだった。

 だが、その声にはどこかピリピリと殺気だったものが含まれていた。

 チラリと振り返ってみれば、助汰はビクビクと周囲を気にして歩いている。

「この辺りでは何かが出るのか?」

 ふと疑問に思い、問い掛けると、

「何かとは、何です?」

 前を行く源吾が問い掛け直して来た。

「いや、先ほどからお二人の様子がやけに緊張しているように見えたので、この辺りには警戒しなければならない者でも出るのかと思っただけなんだが……」

「別にそんなものは出やしません。ただまぁ、ここは一応山の中だで、熊が居ても不思議はねぇからな」

「ほう……熊が」

「ええ。おっそろしい熊がね。たまに徒党を組んで出るんですわ」

「ほぉ……今のように?」

 と問い掛ければ、

「そう。今のようにです」

 足を止め、振り返った源吾が肯定した瞬間、源吾の背後に三人程の人影が現われた。

「ほ、本当にすまねぇ! あんたには何の恨みもねぇんだが、こうしねぇと、おらんとこが危ねぇんだ」

 と、いきなり泣き声染みた声をあげる助汰。

 見れば、助汰の後ろにも二人ほどの人影が見えた。

「つまり、俺はまんまと誘き出されたと言うことで、いいのかな?」

「驚かれねぇんですかい?」

「こういうことは初めてじゃないからな」

「そうですかぃ。薬師さんも大変な目に遭って来なさったんだろうねぇ」

「まぁ、生きていれば色々とあるもんだ」

「そうですかぃ。ただまぁ、本当に申し訳ないとは思っているんですよ、わしらもね」

「そうか。では一つだけいいだろうか?」

「何でしょう?」

「この先に熱を出して苦しんでいる村人は居ないんだな?」

「ええ。幸いにもこの先には民家もねぇですからね。そんなのは居りません。わしがあんた様を誘き出すために吐いた嘘だ」

「そうか。それなら安心した」

「わしらのことを恨みに思わないんで?」

「脅されたのだとしたら仕方がないこともある。

 恨むとすれば、あなたたちの後ろにいる人物たち……」

「そう言われると返す言葉もないですが、残念ながらわしらの役目はここまで。

 本当にあんたさまには何の恨みもないのですが、わしらはここで退散させてもらいます」

「ああ。お気をつけて」

 と深が労えば、源吾は落ち着いた足取りで、助汰は逃げ去るようにその場を後にし、その場には異様に殺気だった五人の男たちと深だけが取り残された。


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