(3)


 ――あいつは元々、あんなんじゃなかったんだ。


 そう切り出したのは、村長宅を出て、村の中を歩きながらのことだった。

 話すだけなら縁側で充分だったはずだが、歴はそれを良しとしなかった。

 何かそこでは話せない理由でもあるのだろう。何とも複雑な顔をして言いよどむ歴を見て、深はその場を後にすることを決めた。

 一応村長には『子供たちに村を案内してもらう』と断りを入れ、承諾を受けた後外に出た。ふと振り返ってみれば、縁が羽ばたいてついて来るところだった。

 それを確認しつつ、深と歴は歩き出し、歴は口元にだけ笑みを浮かべて切り出した。

「あまり深刻な顔はしないでくれ。何でもない世間話をしていると思わせておいた方が、色々都合がいいから」

「ああ。わかった。そうしよう」

 望まれたままに頷いて、深も口元に笑みを浮かべた。

 そうして語られたのは、与依の過去だった。


 それは今から三年前。与依が十二歳の頃だった。

 その頃与依は、今とは違い、とても信心深く、嘘一つ吐いた事がない良い子だった。

 よく農作業の手伝いをし、機織の手伝いもし、家事の手伝いもし、村人たちにも好かれていた。明るく元気でよく笑い、素直で優しい子供だったという。

 子供なら誰しも一度ぐらい、他愛もない悪戯をすることもあるだろう。

 だが、与依は一度としてそんなことをしなかった。

 何故そこまで良い子でいるのかと、歴は訊ねた。

 すると与依はこう答えた。

『良い子にしていないと、神様はお願い事を聞いてくれないんだよ』

 その頃の与依は信心深く、村の外の祠によくお参りに行っていたらしい。

 特に、与依の父親が家を留守にするときは、それはそれは熱心に通っていたという。

 与依は父親っ子だった。

 村では二ヶ月に一度、数日に渡り、男たちが町へ反物や作物などを売りに行く。

 その間、残された家族は、他の家族が面倒を見る。

 与依は歴の家族が面倒を見ていた。与依と歴は幼馴染だった。

 互いに一人っ子同士。家族同士がとても仲が良く、与依は歴の妹のように歴を慕っていた。歴も自分の妹のように与依を守って来た。子供心に、そう自負して来たのだと言う。

 その日も与依の父親は、他の男たちと共に町へ行っていた。

 当然のことながら、与依と与依の母親は、歴の家で過ごしていた。

 当時の歴には何一つ異変に気がつくことが出来なかったと、当時を振り返って歴は笑いながら悔やんでいた。

 その日、いつも通り一日を終えた歴は、与依と共に眠りについていた。

 眠る寸前まで、与依と歴は、二人の母親といつも通りに笑いあって、楽しい時間を過ごして、当たり前のように寝かしつけられた。だが、目覚めると状況は一変していた。

 与依の母親がいなくなっていたのだ。そして、歴の母親は顔を蒼褪めさせて泣いていた。

 一体何が起きたのか、どれだけ訊ねても歴の母親は答えなかった。

 その内、歴の父親が顔を強張らせて戻って来た。

 歴は父親に訊ねた。何が起きたのか知る権利があると思ったのだ。

 与依が歴にしがみ付いたまま、不安そうに泣いていた。

 だからこそ、怒りにも似た感情を覚えて、歴は父親に詰め寄った。

 対して、歴の父親は震える声で答えた。

『与依の母親は、攫われた――』

 意味が分からなかった。平和で長閑な村で、人が攫われるなど思っても見なかったのだ。

 野盗や盗賊が襲って来たこともない。年貢を根こそぎ持って行こうとする役人の方が脅威だが、役人ですら人を攫うことはない。

 そもそも、村中で攫われた人間が与依の母親一人だと言うのが子供心に腑に落ちなかった。

 歴の母親はただただ謝り続けて泣くだけだった。

 それから村は、与依の母親が攫われたと言う話で持ち切りだった。

 それを黙らせたのが村長。

 村長は仕方がなかったこととして、与依の面倒を村が見るようにと命じた。

 だが、それで納得できない人物が一人いた。

 与依の父親だ。

 町へ行って、品物を金に換え、村の外の祠まで迎えに来る与依の笑顔に出迎えられて、愛しい妻の元へ帰る。

 だがその日、与依の出迎えがなかった。

 初めは与依の父親も不思議に思ったが、仲間にからかわれながら帰って来た。

 そして与依の父親は知ることになる。自分の妻が攫われたと言うことを。

 歴はその時初めて、与依の父親の怒り狂った顔を見た。

 まるで鬼のようだったと、歴は思ったそうだ。

 そして、与依の父親は村長の名前を叫びながら、勢い良く歴の家を飛び出して行った。

 それを見て、歴の父親も慌てて飛び出して行けば、歴は混乱した。何が起こっているのか、まるで分からなかった。

 ただ、同じくらいに不安に駆られている与依を振り切ってまで、追い駆ける気にはならなかった。

 その後、村は大騒ぎになった。尋常ならざる殺気立った空気に与依は泣き続け、歴も震えが止まらなかった。ただ、与依が泣いているから自分は泣けないと思っていた。

 やがて騒ぎが治まると、ボロボロになった与依の父親がやって来た。

 与依は泣きながら父親に抱きつくと、父親は痛みに顔を歪ませながらも笑顔を作り、与依の頭を撫でながら言った。

『与依。これからお父は、お母のところに行って来る』

『お母を迎えに行くの?』

 不安の中に、一抹の希望を籠めて与依が問い掛ければ、父親は少し困った笑みを浮かべて答えた。

『少し違うな』

『違うの?』

『ああ。残念だけど、違うかな。だからな、与依。よく聞くんだ』

『うん』

『もう、祠にお祈りをしなくてもいいぞ』

『え?』

 それは今まで教えられて来たことと真逆のことだった。

『お父も今までずっとお祈りして来たが、神様も忙しくて願いを叶えていられないようだ。

 だからな、お前ももうお祈りする必要はない。その代わり、お父が沢山お祈りしておいたから』

『え、でも……』

『だからな、与依。お前はこれからも良い子でいるんだぞ』

 そう言って頭を撫でると、与依の父親は脇腹を押さえて出て行った。

『お、お父……、どこに行くの? お、おらもお母のところに行く……』

 与依が足をもつれさせながら追い駆けようとしたとき、

『歴! 与依のことを頼むぞ』

 力強い与依の父親の声に、歴は反射的に与依を抱き止めた。

 自分でも何故そんなことをしたのか分からなかったが、肩越しに振り返った与依の父親の満足げな顔を見た瞬間、歴は絶対に与依を守ると心に誓った。

 与依がどれだけ泣き叫んでも、歴は手を放さなかった。

 やがて泣き疲れて眠るまで、歴はずっと与依を抱き締めていた。

 そして眼を覚ましたとき、与依は放心状態になっていた。

 何を言ってもろくな反応を返さず、夜中に悲鳴を上げて飛び起きることもしばしば。

 何かを喋っていると思えば『お父、お母』と、帰って来ない二人のことをうわ言のように呼んでいる。村の誰もが与依に同情した。

 そんなある日、与依が突然ふらふらと歴の家を後にした。

 歴は慌てて後を追って引き戻しに掛かったが、その度に与依は、二三日すると、また家を抜け出す。その内歴は、与依がどこへ行こうとしているのか確かめようと思い立ち、ある日黙って後をつけた。

 与依はふらふらとした足取りで村の外へ出て行った。

 相変わらずぶつぶつと何事かを呟いて。

 辿り着いたのは村の外にある祠の前。

 こんなところへ来て祈ったって、もう二度と、両親には会えないんだ……。

 歴はあの日、脇腹を押さえていた与依の父親が血を流していたことを覚えていた。

 大人達は誰も与依の両親の行方を口にしない。

 だから、与依が祠でどれだけ祈りを捧げても、その願いが叶うことはないと知っていた。

 だが、祈ることを止めることは出来ないと思っていた。

 だからこそ、与依が突然大声を上げて祠に殴り掛かって行ったのを見たとき、歴は眼を見張って固まった。

 その目の前で、今まで見た事がないほど怒り狂った与依が、神様を罵りながら祠を壊しつくした。元々古い小さな祠だ。子供でも本気で壊しに掛かればひとたまりもない。

 与依は力の限り祠を叩き壊し、踏み躙り、我に返った歴が後ろから止めにかかるまで、与依は止まらなかった。

 与依の狂行はその日のうちに歴によって村長に伝えられた。

 村人たちはただ事ではないと慌てふためいて、蜂の巣を突いたような状態になった。

 だが、誰も与依のことを責めはしなかった。村中が、与依の信心深さを知っていた。

 与依が、いつまでも両親共々幸せに暮らせるように祠に祈り、そのために毎日正しいことだけをして来たことを知っていたから。

 その願いが聞き届けられなかったときの、その信じていた分の反動は凄まじいだろう。

 察して余りある行動を、誰もが居た堪れなさと共に感じ、黙認した。

 だが、与依はそんな村人たちの行為を無駄にした。

 再び祠が建ったと知ると、薪を片手に再び祠へ向かい、再び祠を破壊した。

 そんなことを四回繰り返し、とうとう村人たちは建て直すことを諦めた。

 そして気がつくと、与依は完全に笑わなくなっていた。

 むざむざ与依の母親を攫わせてしまったと、罪悪感を抱いていた歴の母親が与依を引き取って育てていたが、最後に祠を壊したときを境に、与依は歴の家も後にした。

 たった一人、自分の家で過ごすことになった与依は、誰とも接触しようとしなくなった。

 それは歴に関しても例外ではなかった。

 それでも歴は、諦めなかった。

 与依が初めて祠を壊してから一年と三ヶ月。歴の家を出てから二ヵ月後。

 歴の努力が功を奏したのか、与依が出て来た。

 穏やかな笑みを浮かべて出て来たのを見たとき、与依が元に戻ったのかと歴は思った。

 だが、出て来た与依は別人と化していた。

 嘘は吐くし、人を騙す。人の言うことは聞かない。何よりも神を憎むようになっていた。

 人を嘲り、困っているものに手を差し伸べることをしなくなった。

 恩を仇で返し、憎しみを撒き散らすようになり、やがて誰も与依と関わりを持とうとする者はいなくなった。


「だからな、与依は病気なんだよ。神様に裏切られて、大好きだったお父とお母がいなくなった悲しみで、与依は人が変わっちまったんだ。だからな、そんな人間を助ける方法があるんなら、教えて欲しいんだ。もうおいらの手ではどうにもならない。だからって、他の人間に頼めるもんじゃない。村の連中は誰も与依に関わろうとしない。

 でも、あんたなら、与依のことを許してくれたあんたなら、もしかしたらと思ったんだ。

 勝手なことを言ってる自覚はある。突然こんなことを頼まれても困るってことも分かってる。あんたには何の関係もないことだし、見ず知らずの娘を助ける意味もないって知ってる。本来ならこんな何もない村に留まる理由もないんだ。

 でも、もし、少しでも与依のことを可哀想だと思うなら、どうかお願いだ。与依を助ける手助けをしてくれ!」

 それまでは世間話でもしているかのように、時々笑いながら様々な場所を指差していた歴だが、その時だけは真っ直ぐに深へと向き直り、真剣に懇願して来た。

 確かに、歴が言うように、見ず知らずの深に与依を助ける理由はない。

 だが、深は頼まれた。

 自分でもお人よしの変わり者だと思う。縁が怒るのも仕方がないとも思う。

 だとしても、これも何かの縁――

 深は歴の肩に手を置いて頷いた。

「出来る限りのことをしてみよう」

 その瞬間、歴は両目に涙を溜めて、頭を下げながら『ありがとう』と口にした。


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