(3)


《……なぁ》

「ん?」

 村娘に教えられたとおり、分岐点で左の道に入ってから暫し……いや、かなり経った頃。

 それこそ、そろそろ灯りを灯さねば、歩くのも不自由になって来る程度に暗くなった頃。

 初めこそ生き生きとはしゃいでいた縁が、不機嫌も露に口を開いたのは、例の如く木箱に止まり、深の肩に頭を乗せた状態で、だった。

 薄々何を言われるか予測が出来た深は、あえて何も言わず、相槌だけを返すと、

《……もしや、オレサマのきのせいかもしれないとおもって、イマまでなにもいわなかったが》

 絶対嘘だろ……と言う思いをおくびにも出さず、「うん」と更に促す。

《あのむすめ、オレサマたちをダマしたんじゃないか?》

「そうか?」

《そーだろ! そーじゃなきゃこんなトコ、あるいてるわけないだろ!》

 あー、ようやく気付いたか。と、喚き出す縁とは対照的に、内心で嘆息しつつ深は呟く。

 そう、今二人が……いや、一人と一羽が歩んでいる道は、確かに道ではあるものの、右が断崖絶壁になり、左が切り立った崖になっている、何とも危険な上り坂だった。

 深自身は直接地面を踏みしめているため、すぐにでも上り坂になっていることが分かったのだが、薄暗くなり夜目が利かなくなったからと言って、自身で飛ぶことをせずに薬箱に乗っていた縁は気がつかなかったらしい。

 林道を突っ切る形で伸びていた道を抜け出した頃には、はっきりと崖の上、と言うことが分かっていた。下を見下ろせば殆ど黒い塊と化している木々の群れが見える。

 更に、その群れの先には点々とした灯りが見えたなら、村は間違いなく右の道を行った先にあるという事が知れた。つまり、深は騙されたということだ。

 だが、そのこと自体は、縁が気付くずっと前から深は気付いていた。気付いていたが、特別怒りは感じなかった。むしろ、このまま縁が気付かなければ、騙された振りをし続けようとすら思っていたほどだ。

 だが、縁は気付いてしまった。

《シン! おまえというやつは、あのこむすめがウソをついていると知りながら、こっちのみちをえらんだだろ!》

「そんなわけないだろ。と言うか、頭を突くな。穴が開いたらどうするつもりだ」

 頭巾を被っているとは言え、八つ当たりのように容赦なく突かれれば、相当痛い。

 堪らず手で頭を庇いながら抗議すると、

《これがつつかずにいられよーか!》

 と、頭の後ろで喚き散らしながら、バサバサと翼をはためかせて不満を爆発させる縁。

《だまされたんだぞ?! うそをつかれたんだ! いなかムスメまるだしのコムスメに! このオレサマがだまされたんだ! おまえがついていながら、なんてことだ! ――って、さてはきさま、わざとだまされたな?!》

 あ、ばれた……と、罪悪感を抱くことなく内心で思う深。

 だが、それを素直に認めてしまえば、更に縁の怒りに油を注ぐことになると思った深は、駄目もとで反論してみた。

「……そうは言うが、縁。この道の先に村がないとお前には断言出来るのか?」

《なに?》

 問われて問い返す縁。お陰で嘴の代わりの翼での攻撃が一旦止まった。

「確かに、ここから見る分では右の道を通っていれば、村に辿り着いたかもしれないが、その道のりがこっちの道のりより短いという保障はないだろ?」

《……ま、まぁ、そうだが……》

「それに、あの娘が嘘を吐く理由がどこにある」

《う、うむ……》

 と、縁を唸らせておきながら、理由ならいくらでもあるがな……と、深はこともなげに思った。いきなり見ず知らずの不審な人間が村への道のりを聞けば、少なくとも自分の暮らす村へと続く道を教えたくはないだろう。

 だとしても、よくも騙したなと、取って返されたらそれまで。

 それを防ぐためには向かう先に村がなければならない。

 そうなれば、今進んでいる先にも村はあるだろうと言うことは、容易に想像は出来る。

「大体だな、道と言うものは必ずどこかに通じているものなんだ。行き着く先が行き止まりなんてことはそうそうない。多少時間が掛かったとしても、道の先には村があるだろう」

《だとしても!》

「そもそも、歩くのは俺であってお前じゃないだろ」

《うぐっ》

 更に何かを言い募ろうとする縁にぴしゃりと釘を打つ。

「それに、そんなに近い村に行きたいなら、止めないから飛んで行けば良い」

《う……っ》

「幸いお前は、普通の鳥とは違って人間の言葉が話せるんだ。

 俺がいなくても寝泊りする場所ぐらい、自分で手配出来るだろう?」

 と、つっけんどんに言い放てば、

《うわっ! おまえはオニか?! ヒトでなしか?! こんなかよわいオレサマを、きけんなニンゲンどものまっただなかにヒトリでほーりこむのか?!》

 涙声になりながら、頭の後ろで暴れ出す。

 だから、誰が『か弱い』んだ……と内心で突っ込みを入れつつ、子供の癇癪のようにばしばしと頭を叩いて来る縁に、きっぱりと言い放つ。

「と言うか、お前もいい加減忘れているようだから言っておくが、俺だってお前の言う『危険な人間』の一人なんだからな。いつも暴れていれば言うことを聞くと思ったら大間違いだぞ」

《うっ……》

「ひとりで行くのが嫌なら、大人しくそこで座ってろ」

《うううぅう……》

 別に怒っているわけではないのだが、淡々とした口調でぴしゃりと言い切ると、縁は悲しそうな、悔しそうな呻き声を上げて沈黙した。

 これで静かに歩ける――そう思った頃、緩やかな上り坂が終わり、平らな道となった先で、深は人の気配を感じた。

 見れば、行く手の先に、手に手に松明を持った男たちの姿が見えた。

(丁度いい。灯りの一つでも譲ってもらおう)

 そう思いながら男達に近付くにつれ、深は男たちの話し声を聞いた。

「駄目だ、下手に動かすな」

「いてぇえっ! うううう……」

「添え木だ! 添え木を持って来い!」

「添え木ったってどこから」

「いてぇよぉ。いてぇよぉ」

「どこでもいい。なんかそこら辺にあるだろ」

「そこら辺ったって、おめぇ……って、うわぁっ、なんだおめぇは!」

 と、辺りを見回しながら深の方へ向かって来た男が、深の姿を見て悲鳴を上げた。

「何だ?」「どうした?」と、口々に疑問の声が上がり、一斉に松明を向けられる。

《な、なんだなんだ?!》

 と、喚きながら深の頭に隠れる縁を感じつつ、深は両手を挙げながら答えた。

「取り込み中申し訳ない。俺は旅の途中の薬師なんだが……何かお困りか?」

 すると、それまで警戒の色が濃かった男たちの顔に、一斉に安堵の表情が浮かんだ。

「あ、あんた、本当に薬師か?」

「ああ」

「これぞまさに天の恵みだ」

「頼む、怪我人がいるんだ。見てやってはくれんだろうか?」

 言いつつも、既に深の着物の袖を引っ張り始める男。

 そのときには既に、縁は深の頭上高く舞い上がっている。

 よって、深は素直に引っ張られるまま、怪我人の元へと駆け寄った。

「これは酷い。どうしてこんなことに……」

 見れば、歳の頃四十も半ばの男が、左足を押さえてのた打ち回っていた。

 無理もない、左足は脛の部分から折れていた。

 骨は肉を突き破ってはいないが、相当の痛みがあるだろう。

「照らしてもらえるか?」

 深は鋭く男達に指示を出すと、照らされた薬箱からすぐさま丸薬と粉末剤を取り出した。

「さ、これを口に含んで良く噛んで」

「う~、何だおめぇ、何だこれ」

 男が涙混じりに警戒心を口にする。対して深は落ち着いた声で答えた。

「俺は通りすがりの薬師だ。これは痛みを和らげる丸薬だ。いいか? 飲み込んではいけない。だが、汁が出るほどにはしっかりと噛んでもらいたい。そうすれば痛みを和らげる事が出来る。いいか? 飲み込んではいけない。分かったね」

 男は声もなく何度も頷いた。

「飲み込みそうになったら吐き出すんだ。いいね」

 と、忠告して、丸薬を口の中へ入れた瞬間。

「うへぇー、ひがい……」

 衝撃的な苦味に男が悲鳴を上げた。

「痛いよりはましだろうに。我慢なさい」

 と、苦笑を返して、深は次に乳鉢を取り出し、粉末に竹筒に入っている酒を混ぜ、専用の石の擂り棒を使って軟膏を作った。それを清潔な布に塗りたくり、男の着古された袴を捲って、患部に貼り付ける。

 次いで、箱の側面の箱から、平らな二枚の板を取り出すと、それを周りの男達に差し出して言った。

「これから俺が、骨を元の位置に戻すために、この男の足を引っ張るから、声をかけたら左右からその板で挟むんだ」

『?!』

 その発言に、男たちや、苦い苦いと唸っていた男が、ギョッとした顔を向けて来た。

「大丈夫。痛いのは一瞬だ。そうだ。もう丸薬は吐き出してもいい。代わりにこの布を噛んでいてくれ。舌を噛まれたらかなわんからな」

 と、差し出されたものを見て、露骨に蒼褪める。

 それどころか、駄々っ子のように左右に激しく首を振る始末。

「やれやれ、仕様のない。それでは骨を元に戻せないではないか……。

 だがまぁ、本人が望まないのであれば別の方法をとらねばなるまいな……」

 と、困ったように深がぼやけば、男はどこかホッとしたように表情を緩めた。刹那、

「!!」

 男が気を緩めた一瞬を見計らって、深は力一杯足を引っ張った。

 男の顔が驚きと衝撃に彩られる。が、

「何をしている! 早く板を添えるんだ」

 男と一緒に驚いていた男たちを深が叱咤し、我に返った二人の男が慌てて木を添えた。

「そのまま押さえていなさい」

 素早く言い捨て、手際よく包帯を巻いて行く。

「さ、これで終わりだ。後は暫く……そうだな。半月は大人しくしていることを勧めよう」

 と、朗らかに治療の終了を宣言。一拍後、驚きに上半身を起こしていた男の口からポロリと丸薬の成れの果てが落ちた。

「あ、あんたなあ! 助けてもらって何だが、もうちょっとやり方ってもんが、あんべよ!」

 呆けた顔から一転、涙混じりに猛抗議を始める。

 だが深は、顔に笑みを浮かべてこともなげに言った。

「おや? まだそんなに足が痛むかい?」

「え?」直後、不意に言葉を飲み込む男。

 周りを囲む男達も、そんな男の発言に注目するかのように様子を窺っていると、男は狐にでも抓まれたような顔をして、呆然と言った。

「そう言えば、それほど痛くない……」

『ほぉ~』

 男たちの安堵の声が溜め息となって吐き出された。そんな中、

「ありがとうございます。お若そうに見えて、なかなかどうして、御立派なお方だ」

 男たちの中では最も年配の老人が、温和な笑みを浮かべて礼を述べて来た。

「いや、俺は見た目ほど若くはないんだ。ただ、お役に立てて良かった」

「それはそうと、通りすがりと仰っていたが、一体どちらへ向かわれているのですか?」

「あー、特に目的の場所はないのだが、少々山の中で迷っていて。偶然道に出たところで出会った娘さんに訊ねたところ、こちらの道を行けば村へ着くと教えられたもので上って来たんだが……、どうやらこれ以上進めないようだ」

 そう。男たちの後ろでは崖崩れでもあったものか、道が土砂によって完全に塞がれていたのだ。これでは先へと進めない。どうしたものかとさすがに途方にくれて見せると、

「今、娘に聞いたと言いましたか?」

 老人が固い声音で問い掛けて来た。それが一体なんだというのか、気がつけば男たちの顔は皆同じように苦虫を噛み潰したような物になっていた。

「……はあ、確かに言ったが、それが何か?」

「もしや、その娘と出会ったのは、壊れた小さな祠の前……でしたか?」

「確かに。歳の頃は十五、六の、活発そうな娘さんだったが……」

 と言っている間にも、男たちは互いに顔を見合わせて、どこか気まずそうにしていた。

 それはお世辞にも良い雰囲気ではなかった。

 その娘さんがどうか? と、問い掛け直そうとした瞬間だった。

「本当に申し訳ない。村の者がご迷惑をお掛けした!」

 老人がいきなり跪いて頭を下げたから堪らない。

「いきなり何を……頭を上げてください」

 慌てて深が膝を着いて促せば、老人は顔を上げて言った。

「あなた様は、あの娘に騙されたのです。本当に申し訳ない」

 と言って、再び頭を下げたとき、

《やっぱりか!》

 頭上から、甲高い非難の声が降って来た。

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