第二章『天邪鬼と呼ばれている娘の忠告』

(1)

「与依(よい)を! 与依を今すぐここへ呼べ!」

 土砂崩れで道を塞がれていた深は、道を塞ぐ土砂を撤去していた際に負傷した男を助けた縁で、男たちの村へと案内されていた。

 簡単な木の柵で村と道とを遮っている入り口。そこで、肩に縁を止めた深が見たものは、村中の大人たちが集まっているのではないかと思えるほどの出迎えだった。

 皆、手に手に松明を持ち、辺りは昼間のように……とまでは行かないものの、かなりの明るさがあった。

 だが、松明の灯りによって赤く照らされた顔は、お世辞にも明るいとは言えないもの。

 皆、葬式にでも出ているかのような暗い表情をして、村長率いる一行を出迎えていた。

 村長とは言うまでもなく、深に声を掛けて来た老人だった。

 その老人が、村へ着くなり『与依を呼べ』と、年齢を感じさせない声音と音量で命じる。

 すると、

「放せ! 放せ!」

 人垣の後ろから、若い娘の声が響いて来た。

 途端に、一様に表情を曇らせる村人たち。

 男も女も、老人も成人も、罪悪感や後ろめたさのようなものを隠すことなく表している。

 そんな村人たちを分け入って、見覚えのある娘が両脇を男たちに抱え込まれながら現われた。

「放せ! 放せと言ってるんだ!」

 がむしゃらに身を捩って、拘束から逃れようともがく娘。

 その抵抗たるやいかなるものか、大の男二人の表情は必死その物で、まるで手負いの獣を連れているようだった。

「おらが一体何をした! こんな真似してただで済むと思っているのか!」

 初めて会ったときの、歳相応の明るさなどまるでない、あらゆる物を憎んでいるかのような形相で、男の如く喚き散らす娘の姿に、深は言葉を失っていた。

 そのまま遠巻きに見守る村人たちの居た堪れない視線や、忌々しげな視線を一身に浴び、与依は村長の前へと連れ出された。

「与依! お前はまた、人様を騙したのか」

 村長が一歩前に出て頭ごなしに叱りつければ、

「うるさい! あんたに何の関係がある!」

 与依は後ろに手を持っていかれ、肩甲骨を押さえ込まれる形で無理矢理跪かされながらも、下から精一杯睨み付け、噛み付いた。

 それこそ、親の敵を見るような剣幕に、深が居た堪れなさを感じた。

「村長さん……俺は別に怒ってはいないんだ。だからこんなことは止めてもらいたい」

 深は静かに提案した。

 だが、村長は振り返ることなく一蹴した。

「いいんや、この村に帰って来る道すがらにも話したとおり、与依の嘘は昨日今日の物ではないんです」

「しかし……」

「何をごちゃごちゃ話してるんだ! さっさとおらを解放しろ!」

「まだ分からんか! お前は村の人だけでなく、外のお人まで騙したんだ!」

「っは! そんなこと知らないね。一体何の話だか」

「これでも、そんな事が言えるのか!」

 まるで反省の色を見せない与依に痺れを切らしたかのように、村長が深を見せた瞬間、

「!」

 与依は初めて目を見張って息を呑んだ。

 深は酷く居た堪れない気持ちになっていた。

 松明の灯りで橙に照らされた地面に、長く黒く落ちる影。

 その影が、与依の動揺を表すかのように、ゆらゆらと小刻みに揺れていた。

 本来ならば守られるべき若い娘が、大の大人に腕を取られて跪かされ、敵意を露に自分自身を守ろうとしている姿は、いっそ憐れだった。

 しかも、己の姿を見た瞬間、それまでの威勢の良さが消え失せ、憎しみに彩られていた瞳に動揺の色が見えれば、深は大事にしてしまったことに対して後悔の念を抱いていた。

 まさか、ここまでの騒ぎになるとは思ってもみなかったのだ。

 暫し、与依と深の視線がぶつかり合う。

 そこに言葉は存在しない。

 だが、深には分かっていた。与依の戸惑いと罪悪感が。

(この娘は悪い娘ではない)

 深は直感していた。

「与依! この方のことは知っているな。村はどっちかとお訊ねになった方じゃ」

 厳しい口調で村長が詰問すれば、

「し、知らねぇ……」

 初めて与依は、視線を逸らして恥じ入るように否定した。

「知らねぇ訳あるか! この方がお前を貶めるために嘘を吐いたとでも言うんか?!

 そったらだことして何になる?!」

「そったこと言ったって、おらは何一つ嘘なんか吐いてねぇ! おらは訊かれたとおり、村の場所を教えただけだ!」

「だども! 左の道は今土砂崩れのせいで道が塞がってる。

 確かに、土砂がなければ村に辿り着いたかも知れんが、向こうの村よりこの村の方が近いことぐらい、お前も分かってたはずだべ!

 まだお天道様が高いところにいる時ならまだしも、夜の山越えをさせるたぁ、何考えでらんだ! 運良く神様のお計らいで、この薬師様と会ったから連れて来られたものの、そうじゃなければ、今頃この方がどうなってたか、お前は少っしも考えんのか!」

「!」

 容赦ない叱責に、与依が唇を噛んで睨み返す。

 その、言葉にならない悔しさが、与依の全身から迸っていた。

 一体何が、ここまで与依を頑なにさせるものか。

 深はそれを知りたくて、ふと頭の『遮幕朧』に手を伸ばした。

 しかし、次の瞬間にはその手が止まった。

「そんなの、おらの知ったことか!」

 何かを吹っ切るかのように、与依が叫んだのだ。

「大体。さっきから聞いていればおらが騙した嘘吐いたって言いやがって、どこにそんな証拠があるんだ!」

「与依!」

 ふてぶてしくも笑みさえ浮かべる村娘に、村長が怒りも露に怒鳴りつける。

 だが、笑みを浮かべた与依にしてみれば、村長の怒りなどどこ吹く風。

 反省の影など微塵もないままに、更に驚くべき発言をした。

「そもそも根本的にあんたは誤解してるんだ。おらは聞かれたとき、こう言ったんだ。

『村への道は、あっちへ向かって暫く行くと分岐点があるから、その道を右に行けばいい』ってね」

「なんじゃと? それじゃあ、この方が聞き間違えたとでも言うのか?!」

「ああそうさ。あんた達のことはいくらでも騙してやろうと思うけど、外の人まで騙さないよ。おらだって、そのくらいのことは弁えてるさ!」

 そのあからさまな開き直りに、そこかしこでぼそぼそと囁き合う姿が見て取れた。

「与依……お前と言う奴は……」

 怒りを通り越した村長が、弱弱しく吐き捨てる。

 それを真っ向から睨みつけ、嘲りの笑みまで口元に浮かべて、与依は再度言い放った。

「いいか? おらは何も嘘なんか吐いてない。そこの……」

 と言って、一瞬深と眼を合わせたとき、本当に一瞬泣きそうな顔を見せた後、

「そいつが、右と左を聞き間違えただけなんだ! おらは濡れ衣だ!」

 そう思ったことが錯覚だったと言わんばかりに、堂々と嘘を吐いた。

 そこが、我慢の限界だった。

《やーかましいぞ、コムスメが! ヒトがおとなしくきいていれば、すきかってなこといいやがって! なにが『ぬれぎぬ』だ。なにが『ききまちがえた』だ!

 オレサマはちゃんとこのミミできいたぞ! おまえはまちがいなく『ひだり』といった。

 この、ホラふきめ!》

『!!!!!!!!!』

 今の今まで奇跡的に沈黙を守っていた縁が、とうとう怒りを爆発させた。

 突如舞い降りた、見たこともないほど派手な鳥が、人の言葉を発しているのを見た村人たちは、例外なく度肝を抜いた。

「な、何だあれ? 鳥が喋ってる」

「あ、妖か? 妖なのか?」

 元々遠巻きにしていた村人達が、更に一歩二歩と後退する。

《だれが『あやかし』だ! オレサマをそんじょそこらの『あやかし』なんかといっしょにするんじゃない!》

 与依の横に降り立ち、片方の翼を腰の部分に、もう片方の翼でぐるりと人々を指示して、『だったら何なんだよ』と問いたくなるようなことを堂々と宣言する。

 だが、そんな気味の悪いものを見るような視線を一斉に浴びながら、縁はクルリと向きを変え、与依に翼を突きつけて言った。

《いいか、そこの『ボクネンジン』をだますのはともかく、このオレサマをだましておいてタダですむとはおもってないだろうな》

「なっ……」

 見たこともない極彩色の鳥。その、人間とは違う炎に照らされた紅玉の瞳に睨みつけられ、さすがの与依も蒼褪める。

 当然だ。縁には肉を啄ばむ大きな嘴も、掴んだら話さない鋭い爪を備えた足もある。

 挙句に人語を解して凄むのだ。普通なら泣き出してもおかしくない。

 むしろ、与依を押さえつけている男たちの方が逃げ腰になっている。

 遠巻きにしている人垣の中からは『祟りだ、祟りだ』と呟く者もいる始末。

 だが、そんな周囲の様子を気にもせず、縁は言った。

《おまえは『ひだり』といったな。

 そのむらに、おまえもいるのかとたずねられて、おまえは『うん』といったな。

 いっしょに行こうとさそったら、おまえは『ほこらをかたづける』からといったな。

 そのほこらのかたづけをてつだうといったら、おまえは『いらない』といったな。

 そして、オレサマたちをさきにいかせた。

 とーぜんだ。いっしょにかえったら、ウソだとゆーことがしられてしまう。

 だからおまえは、オレサマたちといっしょにかえるコトをこばんだんだ!

 ちがうか?》

「ち、違う」

《ちがうくないだろ!!》

 あくまで否定する与依の姿に、縁の怒りが大爆発。

 鶏冠も翼も尾羽まで大きく広げて激昂すれば、与依も男達も、周囲の村人達も「ひっ」と悲鳴を飲み込んだ。

 松明の明かりに照らされて、異様に大きさを増した縁。

 その影までが異様な動きを見せると、誰かがぼそりと呟いた。

「ば、ばけものだ……」

 それを聞き、深はここまでだと思った。

 これから世話になろうと言う村で、人々から忌み嫌われるなど論外だ。

《おまえはオレサマたちをだましたんだ!

 あげく、オレサマたちのほーを『うそつき』よばわりした!

 このおとしまえはどうつけて……もがっ?! んー! んんんー!》

「はいはい。話がややこしくなるから少し黙っていてくれ」

「薬師……様?」

 与依に詰め寄り脅しを掛けていた縁を、背後から袋を被せて捕獲する深に、戸惑いの声を掛ける村長。

 そんな村長や、不安そうな顔の与依。恐怖の色が濃い表情を貼り付けた村人たちを順に見回して、深は言った。

「皆さん、驚かせてしまって申し訳ない。俺は旅の薬師で、名を深と申す者。

 この派手で人語を喋る鳥は、『山彦鳥』と呼ばれる非常に珍しい鳥で、人の言葉を覚え、話すことまで出来る鳥なんだ。その珍しい特技や見た目の派手さから、昔見世物小屋にいたものを譲り受け、一緒に旅をしている」

《んがー! ぐぐぐっ!》

 袋の口を押さえられているせいで出られない縁が、袋の中で猛抗議をし、暴れまわる。

「見ての通り強暴だが、それはまぁ、育ちのせいだ。環境が悪かった。

 だとしても、人様に危害を加えたことはない。一見凶暴そうに見えるが、その実、肝が据わっていない」

 と、苦笑いを浮かべながら説明していると、一人、また一人と恐怖心を消し去り、好奇心を浮かび上がらせて深の話に聞き入り始める。

「それに、こちらにいる娘さんの言っていることは本当だ」

『?!』その発言に、まともに動揺が走り抜ける。

 中でも与依の驚きが一番大きかった。眼を見開き、口を開けて呆けている。

 そんな与依に安心するよう笑みを浮かべると、人々に向かって深は言った。

「恥ずかしながら俺は、小さい頃から右と左をよく間違えるんだ。

 だから娘さんが右と教えてくれたとき、頭で右と思っていても、つい足が左に向いてしまった。そのときは左のことを右だと思いこんでいたからな。

 その後は間違いなく左を歩いていると認識し直したせいで、村長たちに出会ったとき、つい左と右を間違えて伝えてしまったんだ」

「薬師様……」と村長が申し訳なさそうに声を掛けて来る。

 対して深は眼を伏せるだけで沈黙を伝え、引き続き村人たちへ語り掛けた。

「そもそもが俺の聞き間違いであって、娘さんは何も嘘など吐いていない。

 それに、結果だけ見れば、どちらの道を通っていても、こちらの村へ辿り着いたと言えなくもない。これも不思議な縁と思って、どうか今宵は、俺達を泊めてはくれないだろうか?」

「それはもう、御迷惑を掛けたのはわしらの方。むしろ村の者を助けて頂いた身としては、是非とも逗留して頂きたい」

 と、村長が一も二もなく同意したなら、他の者達に異議を唱えるものはなく。

「だったら、もう娘さんの誤解は解けたものとして、解放してやって下さい」

 深は真っ向から村長へ頼んだ。

 村長は暫し悩んでいた様子だが、諦めたように『放してやれ』と命じた。

 命じられるがままに与依を解放する男たち。

 ようやく腕の束縛から逃れた与依は、肩を擦りつつ立ち上がると、目の前にやって来ていた深の姿にギクリと体を強張らせた。

 深は当たり前のように与依の頭に手を乗せて、言った。

「嫌な思いをさせて、本当に済まなかった。大丈夫かい?」

 刹那、与依は泣きそうな顔になったが、

「余計なお世話だ!」

 パシリと深の手を払い除けると、恩を仇で返すように言い捨てて、その場から走り去って行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る