おひいさまと消えた味(3)


「ねえ、あなたたち。おにぎり欲しくはない?」


 五位さまの《別荘》を出てすぐのことでございました。


 お姫さまは家の外で遊んでいた数人の子供たちに目をとめると、どこか楽しげなお顔をして子供たちに近づき、そのようなことを仰りました。


 ですが、見知らぬ人間に突然そのようなことを言われても、すぐに反応できるはずもございません。

 当然のように子供たちはみな、ぽかんとした表情を浮かべてお姫さまのお姿を見、やがて誰からともなく怪訝そうな顔つきで互いに顔を見合わせ始めました。


「あのね。お姉さんたち、おにぎりを多く作りすぎてしまったの。あなたたちに食べてもらえるのなら嬉しいのだけれど」


 そう仰りつつお姫さまはわたくしに視線を向けられました。

 その視線に促され、わたくしは子供たちに近づくと、手にしていたふろしき包みの中から新聞紙でくるんでいたおにぎりを取り出します。


 すると、子供たちが唾を飲む気配が伝わってくるような気がいたしました。

 考えても見れば、時刻は夕刻過ぎ。子供たちもお腹のすく頃でございましょう。

 遊ぶことに気をとられ忘れていたにしろ、こうして目の前に食べ物を出されれば空腹に気付かずにはいられないのかもしれません。


「……オレ、もらう」


 子供たちの一人が呟いておにぎりに手を伸ばすと、その一言に刺激されたものか、わっと蜂の巣をつついたように「ぼくも」「わたしも」と子供たちがわたくしの周りに群がって参りました。

 子供たちにもみくちゃにされて、体を支えているのに精一杯になるほどでございます。


 わたくしの手の中からおにぎりがあらかた浚われ、子供たちの波もひと段落した頃に、輪に入れず一人ぽつんと立っていた女の子が目に入りました。


 年のころは三つか四つほどでございましょうか、お姫さまもその子の様子にお気づきになったらしく、お近づきになると腰を屈めて話しかけられたのでございます。


「お嬢ちゃんはおにぎりいらない?」


 話しかけられ、しばらく困ったようにもじもじとしていた女の子でしたが、しばらくすると恐る恐る口を開きました。


「……ほしい」


「そう、よかった。じゃあ、もらってちょうだい」


 お姫さまが笑いかけられたのを見て、わたくしもその子に近づき、おにぎりを差し出しました。


 女の子はおにぎりに手を伸ばしつつ、一度伺うような視線をお姫さまに向けましたが、お姫さまがにこりと頷かれると、おにぎりを掴んでそのままどこかへと駆け出してしまったのでございます。


 わたくしもお姫さまもびっくりしてその子の後姿を呆然と見送っておりましたが、やがて近くの家に飛び込むと、


「おかあさーん、おにぎりもらったー!」


 という、女の子の大きな声が聞こえてきたのでございます。


 その様子は微笑ましく思わずにはおられず、わたくしとお姫さまは顔を見合わせて笑いあったのでございました。


 ところが困ったのはその後でございます。女の子の言葉を聞いて、その子のお母さんと思しき女性が不安げな表情で出て参られたのです。


 年はわたくしより五つほどお若いでしょうか。

 お夕飯の支度の最中であったのか、割烹着をつけたお姿でございました。女の子の手を引きつつ近づいてくるお顔は、不安というよりも不審と表現したほうがよいかもしれません。


 そのお気持ちは分からないではございません。


 見ず知らずの人間が、さしたる理由もなく子供たちにおにぎりを振舞っていると知れば、怪しげなものを想像してしまうのも無理もないお話でございましょう。


「子供におにぎりをいただいたそうで……」


 女の子のお母さんは、そう仰りつつ頭をお下げになりましたが、顔ににじませた警戒の色はとけそうにはございませんでした。


「いえ。もらっていただいて、こちらも助かっていたところなのです。実は――」


 お姫さまは事情を説明するほかはないとお思いになったのか、今日の次第を素直にお打ち明けになられました。


 今まで自分で料理をするような環境になかったこと。

 それではいけないと思い立ち料理をしようと決心したものの、家では許してはもらえず、知人にこの近くの家を紹介してもらったこと。

 慣れぬことで作る分量を間違えてしまったことなどをです。


「――という次第なのです。余計な真似をして不安に思わせてしまったようで、申し訳ございません」


「い、いえっ、とんでもないことで」


 お姫さまはご自分の素性や身分をお明かしにはなられませんでしたが、女の子のお母さんの方では、話しぶりから相当なお嬢さまのようだと感じ取っていたようでございます。

 お姫さまが頭を下げるお姿を見て、すっかりと恐縮しておられるようでした。


「ねえ、おねえちゃん」


 大人たちの話がひと段落したと見て、さきほどの女の子がお姫さまのお袖を引きました。


 女の子の手は遊んでいたままの泥だらけの手で、わたくしはほんの少しだけ眉を寄せてしまいましたが、とは言えこの場で女の子を叱るような真似もできません。

 ですが、それにはお母さんも気づいた様子で、すぐに娘さんをお叱りになります。


「こらっ、あかね! あんたなんてことを!」


 びっくりしました。

 お姫さまも驚いた表情で女の子を見ておられましたが、ふわりと微笑むとその場に屈んで女の子――あかねちゃんに「なあに?」とお訊ねになりました。


「あのね、おにぎりのおれいに、あかねもおねえちゃんにごちそうしてあげるね」


「まあ、本当? 嬉しいわ」


 お姫さまはそう微笑まれましたが、あかねちゃんが差し出した葉っぱの上に乗った小さな泥団子を目にして、表情を凍りつかせてしまいます。


 しばらくの逡巡の後に、助けを求めるような視線をわたくしに向けるお姫さま。

 そのお姿を見て、お姫さまはこういった類のおままごとはしたことがなかったのだと思い至りました。


 素早くわたくしもあかねちゃんの傍に屈み、訊ねます。


「おばさんもお団子いただいていいかしら?」


「うん。どーぞ」


 わたくしは、あかねちゃんから差し出された泥団子をひとつ摘み、口の傍までもってくるとぱくり、と食べるふりをして、そのまま葉っぱのお皿にお団子を戻します。


「ごちそうさま。おいしかったわ」


「おそまつさまでしたー」


 あかねちゃんは幼い声で、それでも精一杯に大人のふりをして答えます。


 当然、子供たちにも泥団子は食べられないものという認識は存在しております。けれど、彼女たちの中で泥団子は紛れもなく食べ物なのです。そういったお約束事の上に成立しているお遊び、ということでございましょうか。


 それとなくわたくしがお姫さまを促しますと、


「じゃ……じゃあ、わたしもいただくわね」


 いささか緊張した面持ちで泥団子をひとつ摘まれますと、わたくしがしたと同じように食べるふりをされました。


「ご、ごちそうさまでした」


「おそまつさまでしたー」


 わたくしの時と同じように、にこにこと笑いながらあかねちゃんが返事をする様子を見て、ほっと安堵の吐息をつかれるお姫さまでございました。

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