おひいさまと解けない暗号(6)


 わたくしは部屋へ戻るなり、雑誌『少女界』を開いておりました。


 五位さまとのお話の中で気付いたこと。それをすぐに確認したかったのでございます。


 お姫さまのお作りになられた暗号。

 その中で、本歌と異なっている語句は、『とはの』『べつり』『むじやう』『むく』『ひらめき』。

 すなわち、『永久の』『別離』『無情』『無垢』『閃き』。


 わたくしには、この語句の内に、つい最近目にしたものがあったのでございます。『少女界』にはこう書かれておりました。


 紫陽花の花言葉は『無情』である――と。


 わたくしが拝見した『新年特大号』に書かれていたのはそれだけでございましたが、いざ調べてみると、頂いていた他の号にも、毎月ひとつずつ花言葉を載せている欄が存在しておりました。


 逸る心を抑えるように、慎重に一冊ずつ『少女界』を調べていく内に、わたくしの考えが間違っていなかったことが次第に証明されてまいりました。


『少女界』の記事によれば、『永久の』は女郎花おみなえしの、『別離』は蒲公英たんぽぽの、『無垢』はさぎそうの、『閃き』は金縷梅まんさくの、それぞれの花言葉となっていたのでございます。


 そこまで来て、わたくしはまた、はたと困ってしまいました。紫陽花、女郎花、蒲公英、鷺草、金縷梅。それらの草花から、一体どのような意味を見いだせばよいのか分からなかったのです。


 ですが、悩んでいる時間はそう長いものではございませんでした。


 お姫さまのお作りになられた暗号は、葉山のお嬢さまのお作りになられた暗号を元にしていると考えれば、その解法もまた似たものになるのではないでしょうか。


 そして――。


「そ、そんな……嘘でしょう……」


 わたくしの口は知らずの内にそのような言葉を紡ぎ出しておりました。目の前が真っ暗になり、意識を失ってしまうかと思えたほどです。


 嘘です。


 勘違いです。


 このようなことがあるはずがございません。


 わたくしの見出した答えは、見出したと思い込んだだけのことで、その実、まるで見当違いのことだったに違いありません。


 あの時、お姫さまは何と仰ったでしょうか。わたくしはそのお言葉をはっきりと覚えております。


 だとしたら。


 だとしたら、このような言葉がお姫さまのお手で記されるはずがないのでございます。

 お姫さまがそれをのでございます。


 ですが……ですが、もしお姫さまがそれをご存知だとしたら……?


わたくしは心を落ち着けようと荒い息をつきながら、お姫さまから渡された便箋の文字と、『少女界』の字をつぶさに眺めました。


 葉山のお嬢さまのお考えになった暗号は、それぞれの句の頭の一字を取ることによって、一句で一字を示されておりました。


 お姫さまの暗号も一句で一字を示すと仮定し、それぞれの句に含まれる花言葉がその花を表すのだとしたら、その歌はこのように示すことも可能なのではないでしょうか。


『女郎花 蒲公英 紫陽花 鷺草 金縷梅』と。


 ああ……やはり。


 いえ。そう、やはり。


 やはりそのようなことはないのでございます。そのようなことがのでございます。


 わたくしは開いていた『少女界』の一冊にお姫さまからいただいた便箋を挟み、ぱたりと閉じてしまいました。

 そうすることによって自分の中にわきおこった疑念に目をつむるように、なかったことにするように、閉じてしまったのでございます。


 翌日からまたいつもと変わらぬ日常が始まりました。


 少なくとも、わたくしはそう思い込もうといたしました。昨日と今日は変わることはないと。そのような理由など何もないと。


 朝起き、お召し換えとお食事を済ませるお姫さまのお傍に付き、お姫さまに従って学校へと参る。いつもと変わらぬお付きとしての日々でございます。


 青山の学校へ向かう自動車の中でも、お天気がどうの、お食事がこうの、まれにすれ違う自動車を見てはどちらのお家のお車かなど、他愛のない話題ばかりでございました。


 それでも、まったく予期していなかったと言ったら嘘になるでしょう。


 不意に話題が途切れた一瞬を見計らい、後部座席に乗ったお姫さまがわたくしに問いかけられたのです。


「ねえ、お由紀。先日渡した暗号の答えは分かって?」


 予期していなかったにもかかわらず、わたくしは息をつめてしまいました。


 心の臓が跳ね上がり、激しく鼓動を打ち鳴らすのがよく分かります。

 それを落ち着けるために、わたくしにはわずかな――けれど、不自然さを感じさせるには充分な――時間が必要でした。


 わたくしがゆっくりと後部座席を振り返ると、そこではお姫さまも息をつめ、真剣な面持ちでわたくしをご覧になっておいででした。


 わたくしはお姫さまの顔を見て、昨晩、鏡の前で何度も練習した通りに顔を綻ばせました。


「申し訳ございません。分かりませんわ、お姫さま。降参でございます」


 そう申し上げると、お姫さまは「そう」と短く仰ったのみで、それ以外何を口にしようともされません。


《答え》を口にされることもなかったのでございます。


 それでも……いえ、それだからこそ、わたくしは思い出さずにはいられませんでした。

 暗号にお姫さまが込めた言葉。お姫さまがわたくしに一番言いたい言葉。


 それは――。



          ***



 ――おたあさま。




〈おひいさまと解けない暗号――了〉

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