おひいさまの言うとおり

田代裕彦

おひいさまと解けない暗号(1)

 

 颯爽さっそう


 そんな表現がよろしいかと存じます。

 矢絣の着物と紫袴に身を包んだその方は、いささか足早に――それでいて淑女としての振る舞いから逸脱することもなく――風を切るように歩いていらっしゃいました。


「お帰りあそばしませ、おひいさま」


 この場は未だ学校の敷地内。

 そう考えれば、深々と頭を下げるわたくしの姿も滑稽なものに見えてしまうかもしれませんが、お姫さまが前期――一般で言うところの、小学校入学の時から申し上げていたことなので、今更変えてしまうというのも、やはり滑稽なことでございましょう。


 お手荷物をお預かりしようとわたくしが差し出した手を見、お姫さまはわずかに形をよい眉をしかめると、かすかなため息とともにお手荷物を押しつけたのでございました。


 わたくしは、お姫さまがお生まれになったころから《お付き》としてお傍に仕えさせていただいている身。

 お姫さまのことは多少なりとも理解しているつもりでございます。


 お姫さまはご身分のある方としてはいささか珍しく、反骨心に富むとでも申し上げますか、形式張ったことや権威的なことをお嫌いになる気質をお持ちなのです。


 今も、わたくしの差し出した手をごらんになって「手荷物くらい自分で持てる」とでも仰りたかったのかもしれません。ですが、それに続くわたくしの返答も予想なさって、諦めたような嘆息となったのでございましょう。


 もう、わたくしなど存在しないかのように、校門の外へ向かって進み出したお姫さまではございましたが、門の外に並ぶ自動車の一台に目をとめると、不意に足をお止めになりました。


「いかがあそばしました?」


 わたくしの問いかけに、お姫さまは気遣わしげに一度だけ門の外へと視線を向け、「ねえ、お由紀ゆき」と、わたくしに向き直りました。


「せめて、以前のように市電で通学するわけにはいかないものかしら」


 わたくしは愚かな女でございます。

 口にすれば、必ずお姫さまのお気に障ると分かっていてもなお、こう口にするしかできませんでした。


「ご身分というものがございます」


 お姫さまの目が怒りに見開かれ、直後に苛立ちから眉がしかめられました。そうなると分かっていながら、わたくしにはそれ以外の言葉が浮かばなかったのです。本当に、愚かな女でございます。


 それ以降、お姫さまはわたくしに声どころか目を向けることもなく、校門の外に止まっている自動車の一台へ向けて進まれました。

 運転手であるやしろさんがドアを開けてお姫さまをお待ちしておりましたが、日頃ならば「ありがとう」と一言告げる律儀なお姫さまが、無言のまま後部座席へと消えてゆきました。よほど、わたくしの言葉に苛立たれたのでございましょう。


 我ながら、不器用で気の利かぬことだと思ってしまいます。


 同じ言葉を申し上げるのでも、今少しお姫さまのお気に障らない言い方はできなかったものかと。


 お姫さまにも申し訳なく、また険悪な空気を車中に持ち込んでしまい社さんにも申し訳のない心地でした。助手席に乗り込んだわたくしは、謝罪のつもりで運転席の社さんに目礼をいたしました。わたくしの父親と同じほどの年齢でありながら堅苦しいところのない社さんは両目に穏やかな光を込めて頷き返してくださいます。


 ほんの少し救われた心地となりましたが、それさえも今のお姫さまには気に食わぬことだったようでございます。


「早く車を出してちょうだい」


 後部座席から冷え切ったお姫さまの声が届き、わずかに身を震わせた社さんは「かしこまりました」と車を始動させました。


 ここだけご覧になった方がいらしたとしたら、《なるほどこのお姫さまとやらは、わがままいっぱいに育ったお嬢さまであって、下々の者の心など分からぬのだな》と思われるでしょうか。


 けれど、そうではございません。贔屓ひいきの引き倒しだと言われるのを承知の上で申し上げますが、先ほどとて「市電で通学できないか」と仰ったとき、お姫さまがあえて足をお止めになったのは、お姫さまの送迎が職務である社さんを気遣ってのことに違いございません。


 わたくしがそのようなことを考えていると、後部座席より少々わざとらしい咳払いが聞こえてきました。


「勝手に苛立って雰囲気を悪くしているのはわたしなのだから、あなたが社に謝ることはなくってよ、お由紀」


 どこか照れくさそうなお姫さまの声。わたくしの頬は自然と緩んでしまいました。


「はい。恐れ入ります」


 わたくしたちを乗せた自動車は、ゆっくりと青山の街を走り、青山墓地を抜けていったのでございます。


          ***


 聞きかじった半端な知識でこのようなことを口にするのはお恥ずかしいことでございますが、誤解を恐れずに申し上げるのならば、わたくしのお仕えする香月こうづき男爵家は希有とまではいかずとも、いささか珍しいお家であるように存じます。


 どこが珍しいのかと申せば、一つ一つはさして珍しくもないことである、ということが何より珍しいのではないかと思われます。


 何を言っているのか分からないと仰るのも当然のことですが、わたくし自身、このような説明にはなれておらず、繁雑に見えてしまうことをお許しください。


 始まりは、今より五十年ほど前。


 御一新以前――徳川の御世には、香月家はお公家さまでございました。


 このお公家さまが、明治の十七年に華族令が制定された時、天皇陛下より伯爵号を賜ることになったのでございます。


「伯爵? 男爵ではないのか?」そう思われるでしょうか。

 まさしくその通りで、この《香月伯爵》は、わたくしのお仕えする《香月男爵》とはまた別の華族さまでございます。


 とはいえ、まったく関わり合いがないわけではなく、《香月伯爵家》は《香月男爵家》のご本家にあたるお家でございます。


 明治の十七年に男爵号を賜った男爵さまは五十余りとのお話ですが、このうちおよそ半数は他の華族さまからの分家でございましたし、そのほとんどがお公家さまからの分家でございました。


 香月男爵家もそのような例の一つにすぎず、このようなことを実際に口に出して申し上げることはできませんが、当時の香月男爵家は、良くも悪くも五百余りの華族さまの中で埋没する存在でしかなかったのです。


 香月男爵家の生活は、決して優雅でも楽なものでもございませんでした。

 とは言え、極めて困窮していた――との風評もあるようですが、そのようなこともなかったのです。


 もちろん、御一新以前に大藩や中藩のお大名であられた侯爵さまや伯爵さま方の生活とは比べものにはならないでしょうが、衣食に事欠くことなどなく、わたくしどものような数名の使用人を雇い、華族として恥じ入ることのない――少なくともわたくしにはそう思える――暮らしぶりでございました。


 けれども、やはり華族さまとしては《下》に位置する生活であったように思われます。


 わたくしがお仕えするようになったのはよわい十三の年。

 もう二十年も前の話になります。


 その当時、男爵さまにお仕えする使用人はわたくしを含め、五名ほどでございました。これは、華族さまの中では極めて少ない数字のようでございます。


 ですが、経済的に寂しい生活を送る華族さまも珍しい話ではございません。

 困窮し華族としての暮らしを保つことができず、ついには爵位返上された華族さまもいらしたのですから。


 良くもなく、悪くもなく。

 御一新以来、そのような生活を続けてこられた香月男爵家に転機が訪れたのは、今から数年前、大正の三年のことでございます。


 詳しい経緯はわたくしなどには分かりかねることですが、その年より御前さまが船舶輸送業を始められ、折からの欧州大戦によって巨万の富を築くに至ったのです。


 お家の生活はたちまち豊かになり、わたくしどももそのおこぼれにあずかることも増えましたが、それと同時にこう噂されるようになったのでございます。


 曰く、戦争を飯の種にしている。

 曰く、人死にによって儲けている。

 曰く、戦争成金だ――と。


 確かに戦争が起き、人と人が殺し合わねばならないのは悲しむべきことでございます。

 けれど、香月男爵家が屍の上に富を築きあげている――ひどい時には、あたかも御前さまが人を殺してお金を儲けているように言われるのはあまりにも無情なお話であり、わたくしにとってもひどく辛うございました。お姫さまの気持ちを思えばなおのことでございます。


 それで気の紛れることでもありますまいが、《戦争成金》と呼ばれるのは、なにも御前さまに限ったお話ではございません。

 欧州大戦による大戦景気は、多くの方に様々な富をもたらしました。


 とりわけ有名なのは、御前さまと同じ船舶業を営まれる内田信也さま、山下亀三郎さま、勝田銀次郎さまといった方々でしたが、その他にも鉄工業や紡績業を営まれる方々が大戦景気により財を成し、戦争成金と呼ばれたのでございます。


 ここまで申し上げて、香月男爵家が本当に珍しいと呼べるお家なのか、わたくし自身にも分からなくなってしまいます。

 けれど、珍しい家だと世間さまで風評がたっているのもまた、事実なのでございます。むろん、華族という特権階級に位置しているという意味ではなく、華族さま方の中でも珍しいという意味で。


 数多の華族のうちの一家であり、その中でも現在では最も数の多くなっている男爵家であり、さして珍しくもないお公家さまの分家。

 華族としては慎ましい生活を送っていなすったのも、公家華族の中ではよく耳にするお話ですし、大戦景気によって富を築かれたことさえ希有とは申せません。


 では、何をもって香月男爵家を言わしめているのでございましょうか。


 おそらくは、それらひとつひとつの事柄ではなく、それらすべてが合わさったからこその珍しさなのでございましょう。


 たとえば、昨今急激に富と権勢を増し、上流階級の方々にも一目置かれるようになった存在でありながらも(そのような方々は《成り上がり》と呼ばれ、敬遠されることが多いのだそうでございます)、元を質せばお公家さまであり御一新以前からの名家であるとか、経済基盤に乏しいお公家さま出身の新華族でありながら富豪とよばれるお立場であるとか、商いは卑しいものだとの考えの根強い上流階級に位置しながら船舶業を営んでいるとか、これら細かな相違点が積み重なり、香月男爵は極めて珍しい華族であるとの風評が立つようになったのではございますまいか。


 なによりも、ここ数年の急激な変化こそがその風評の大元であるように思われます。

 世間の人々というものは変化に敏なもの。たったの数年で日の本でも有数の富豪となられたご一家に注目が集まらぬはずはございません。


 それを見る人々の目は、様々な思いをはらんでいるものでございます。そして多くの場合、それは好意的とは言えざるものであるように思われるのです。


 仕方がないことだとの考え方もございましょう。

 けれど、御前さまばかりか、何の責任も持たないお姫さまにまで、奇異や敬遠、嫌悪の視線を向けられるのがおかわいそうでなりません。


 わたくしが少しでもお姫さまの力になれればよいのですが、わたくしの存在はお姫さまにとっては力になるどころか、わずらわしいものでしかないのかもしれないとも思えてしまいます。


 なんとも不甲斐ないことで、自分の不明を恥じるばかりでございます。

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