おひいさまと解けない暗号(3)
お
世間では、華族のお嬢さまだけの学校という印象が強いようでございますが、実際には《平民》と呼ばれるお家の方もかなりの数にのぼっているようです。
もっとも、一口に平民と申してもこちらの学校に通われるお嬢さま方は、軍隊や政府の高官、財界の要人のご令嬢になりますので、いわゆる《上流階級》の子女の学校と申してしまえば、あながち間違いとは申せないでしょう。
そういったご身分のあるお家のご令嬢の常として、学校へ参られるときでも、わたくしどものような《お付き》を伴っておられる方は少なくありません。
わたくしに何か不満でもあるのか、それとも良家の子女としては自立心に富むお姫さまの性格がそう言わせるのか、お姫さまは近頃ではそのことに対して苦言を呈されることも多うございます。
「前期や中期ならいざしらず、後期になってまでお付きを伴っているのなんて、わたしくらいなものではなくって?」
直接わたくしに向かってそう仰ることもございますが、とんでもございません。
確かに、前期や中期のころに比べればお付きを伴われるお嬢さま方は少なくなってはおりますが、皆無どころか希有と言えるようなことですらないのです。
事実、後期生徒のお嬢さま方が学んでおられる本館の《供待ち部屋》にも、少なからずわたくしと同じようなお付きの者の姿が見受けられるのですから。
《供待ち部屋》は、その名の通りわたくしどものようなお付きの者が、勉学に励んでおられるお嬢さま方を待つためのお部屋でございます。
そこでお嬢さま方の放課をお待ちしている間、わたくしを含めてお付きの者は、縫い物などをして時間をつぶしていることが多うございますが、本を読まれている方などもいらして、びっくりしてしまいます。
本といってわたくしが思い出すのは、
わたくしが香月男爵家にお仕えにあがったころには、まだ御前さまのお母上がご存命でおられ、その大奥さまが御方さまのことを「うちの嫁は本など読む嫁です」と、ことあるごとにお客さまに語ってあそばしたのをよく憶えています。
実のところ、わたくしは御方さまが本を読まれている姿を拝見したことはございませんでした。
大奥さまにそのように言われ、すぐにおやめになったのでしょう。
それでも、大奥さまは御方さまのことを「本を読む嫁」「本を読む嫁」だと終生語っておられました。
大奥さまが亡くなり、御方さまが好きに本をお読みになられるようになったかと思えた直後、その御方さまも床につくことが多くなり、ほどなくして鬼籍に入られてしまったのは、なんとも無情なお話ではないかと思います。
大奥さまはさるお大名のご息女としてお生まれになったとのことで、こう申しては失礼にあたるかと存じますが、古いお考えの持ち主だったのでございましょう。
そう言うわたくしも、本を読まれる女性に不快感や嫌悪感を抱くことはございませんが、本を読む女性を見ると驚いてしまうのは、やはり頭が古いということなのでございましょうか。
ときに、お姫さまに従って前期中期後期と十一年も過ごしておりますと、お姫さまと同窓のお嬢さまのお付きをなさっている方と顔見知りになり、世間話に興じることなどもございます。
そんなわたくしが仲良くさせていただいている方の中に、
供待ち部屋で雑誌を読まれているお姿を初めて見たときは、本当に驚いてしまいました。
葉山さまは華族さまではなく、さる財閥系列の商事会社を経営なさっておられる方だそうでございます。
華族さまでないからそのあたりも厳しくはないのかと思えば、いまどき本の一冊や二冊で目くじらをたてられるのも珍しいと、他の方からも言われてしまいました。
確かに昨今、女性が読むための《婦人雑誌》というものも多く発刊されているそうなので、やはりわたくしの頭が古いのでございましょう。
「暗号……でございますか?」
その日、わたくしは淑子さんから、葉山さまのご令嬢が近頃暗号に凝っておられるというお話を伺いました。
「ええ、そうなんですよ。それが、勿体つけて「暗号、暗号」と仰るからどのようなものかと思えば、実に他愛のないもので……」
微苦笑と申すのでしょうか、淑子さんは力ない笑みを顔に浮かべておられました。
「来年にはもう後期も終わりなのですから、もうすこししっかりしてほしいと思っているのですけれど、いつまでも子供のようで」
淑子さんはそう言って笑っておられました。そのお顔は、親鳥が雛を見守るような、とも申せるかもしれません。
「由紀さんはそう思われることはありませんか?」
問われ、少し考えてみましたが、あまり実感がわきません。お姫さまは幼いころからしっかりなさった方でしたので、「子供だ」と思うこと自体多くはございませんでした。
時折、妙に幼い言動をなさることもございますが、それは《子供っぽい》と申すよりは《稚気》とでも申したほうが適当のように思われます。
わたくしがあぐねていると、淑子さんは苦笑を浮かべ、
「今をときめく香月男爵家のご令嬢ともなるとそのようなこともありませんか。お羨ましいことですわ」
「お、恐れ入ります。ときに葉山のお嬢さまがお考えになった暗号とはどのようなものだったのでございますか?」
わたくしは、自分のことでもないのになぜだか急に照れくさくなってしまい、慌てて話題を変えてしまいました。
「それが、昨日このようなものを渡されまして」
そう仰って淑子さんが取り出したのは、一枚の便箋でございました。促され、二つ折りになったそれを開き見てみれば、そこに書かれていたのは、
『ときのたの しりほのいおの よまをあらみ しがころもでは つゆにぬれつつ』
との文字。
和歌……でございましょうか。どこかで見たことがあるような気もいたしますが、その手のことには疎いわたくしには、それ以上のことはわかりません。
首をかしげて淑子さんをみると、
「『二時間経ったらここへ来るように』なんて仰るのですよ」
「お分かりになったのですか?」
「それはもう」
当然だ、とでも仰るように淑子さんはこくりとうなずかれました。
「初めのうちはなんのことだかさっぱりでしたけれど、よくよく見てみれば――」
とても簡単なことだったと淑子さんは申されましたが、わたくしには未ださっぱりでございました。
「でも、指定された場所に行ったら、お嬢さまに不満をぶつけられてしまったのですから、参ってしまいますよ」
「不満? なぜですか?」
「きっと、お嬢さまはわたしが解けないと思っていたのでしょうね。それで、ささやかな優越感に浸っていたのでしょう。解けなくて、手当たり次第居場所を探したのではないか、とか言われてしまいましたもの」
「まあ」
「いつまでも子供のようで……本当、困ってしまいますわ」
そう仰りながらも、淑子さんの顔は困っているようではなく、それどころか喜んでいるようにさえ見受けられました。
淑子さんのお気持ちは想像できるような気がいたします。
子供のころから見守っておられたお嬢さまが大人になってゆく姿は、自分の手が届かぬところへ行ってしまうようで、寂しいものなのでございましょう。
お嬢様が「まだまだ子供」と言えるような行動をなさることが、淑子さんにとって喜ばしいとまでは申せぬものの、安堵できる心地なのではございませんか。
もっとも、葉山のお嬢さまにとっては、淑子さんのそのお考えこそが不満を抱く原因なのではとも思えてしまうのですが。
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