おひいさまと消えた味(5)



 糠漬けのための糠床作りは、本当に簡単なものでございます。


 材料は米糠とお塩さえあればよく、作り方も糠に塩水を加えてかき混ぜるだけ。


 香月のお屋敷では、この時に昆布や赤唐辛子を混ぜて味に深みを出すのだそうでございますが、わたくしの生家では糠と塩だけの単純なものでございました。

 今回は勝手ながらわたくし流のやりかたでやらせていただくことにいたしました。


 ただし、先ほどお姫さまに申し上げた通り、作ったばかりの糠床は野菜くずなどを捨て漬けにしながら二週間ほど過ごしませんと、美味しく漬かるようになりません。


 幸いにして、野菜くずは先日知り合った近所の方――あかねちゃんのお母さんにいただくことができましたので、本日はそれを漬けてお終いでございます。


 できることが少なく物足りなくお感じになったのか、


「もうお終い?」


 と、お姫さまは残念そうに仰っておりました。

 そのお顔は遊びを途中で切り上げさせられた子供のようで、少し可笑しく、そして微笑ましく感じてしまいました。


「はい。後は二週間ほど捨て漬けを繰り返していけば、お野菜を漬けられるようになりますよ」


「たのしみだねー」


 幼い声でそう返したのは、もちろんお姫さまではございません。

 小さな桶の中の糠を面白そうに眺めていたあかねちゃんでございます。


 野菜くずをいただきに参った時、何か新しいことをするらしいと興味を持ったあかねちゃんがついてきていたのです。

 お母さんはすっかり恐縮なさっておいででしたが、お姫さままでが勧めるものですから何も言うことができなくなり、はらはらしながら見送っておられました。


 娘が何か粗相をしてお姫さまのご機嫌を損ねやしないかと不安になっているのであろうお母さんのお気持ちを考えると、少々申し訳なくもなってしまいます。


 ところが、親の心子知らずと昔から言うように、お姫さまとあかねちゃんはなんとも無邪気に「楽しみだ楽しみだ」と言い合うばかりでございます。


「出来上がったら、最初にあかねちゃんに食べさせてあげるわね」


「うん。あかねが味見をしてあげるよ」


「まあ、怖いわ。なら、あかねちゃんに気に入ってもらえるように美味しいのを作らないといけないわね」


 お姫さまのお言葉に、あかねちゃんは少し首をかしげてしまいました。


「でもね、おいしいって言っちゃいけないんだって」


「え? どうして?」


「だって、『うまいなんて言ってあまやかしてたらためになんねえ』っておじいちゃんが言ってたよ」


 お祖父さんの口調を真似しているのでございましょう、精一杯しかつめらしい声をだすあかねちゃんの様子は微笑ましく、わたくしもお姫さまもつい頬が緩んでしまいました。


「そうなの。でも、わたしは美味しいって言ってもらえるほうが嬉しいわ。あかねちゃんはわたしが喜ぶのは嫌?」


「そんなことないよ! おねえちゃんが嬉しいとあかねも嬉しい」


「なら、もし本当に美味しかったら、美味しいって言ってもらえるかしら?」


 お姫さまのお言葉に、あかねちゃんは幼い顔を歪ませて考え込んでしまいました。


 彼女にしてみれば、お祖父さんの言葉を否定しろと言っているように聞こえてしまうのかもしれません。少し酷なことを訊いたかとお姫さまの顔に罪悪感が浮かびましたが、


「うん、わかった。ちゃんとおいしいって言う」


 あかねちゃんは幼いながらちゃんと自分の考えで答えを出したのでございます。


「だから、おねえちゃんもちゃんとおいしいって言ってね」


「まあ。あかねちゃんも何かごちそうしてくれるの?」


「うん。またごちそうするー」


「楽しみだわ。今度は何かしら?」


「それはね、ないしょ。『楽しみはとっておくもの』なんだって」


「それもお祖父さまのお言葉?」


 お姫さまの問いかけに、あかねちゃんは大層嬉しげな笑顔を浮かべると、


「おかあさんだよ!」


 そう言ったのでございました。


 なんとも他愛がないとしかいいようのないやりとりで、まさかあのようなことになるとは、このときは誰一人として考えていなかったのでございます。

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