この作品もいいですね。過不足のない言葉が明るい庭越しの練達のピアノのように心地よく聴こえてきます。軍鶏鍋のうまさを語るより、どんなものを食ってくれないかを挙げ、卵料理ならひと匙ふた匙というところまで丁寧に書いているのがいい。女性のじれったさがそこに出てる。文字数制限があるようで、言い足りていないというか、泣く泣く削られた言葉や文がありそうですが欠落とは感じられなかった。いいですよ、やっぱり。前回拝見した「斎藤一……」はたまたま気に入ったとか相性がよかったわけではありません。そこらはちゃんと読んでますからご安心を。ただ……私は鶏だけは苦手なんですけどね(笑)。
京都、新撰組屯所。肺を病んだ沖田総司のために。
花乃は必死で、食べてもらえそうな料理を作る。
沖田は史実の人物なので、労咳(結核)にかかったこと、その後の運命も、ご存知の方は多いと思います。
花乃さんは、創作の人物。
作者様の長編『幕末レクイエム―誠心誠意、咲きて散れ―』からの二人です。
……コンテスト参加作品としては、この短編だけで味わうべきなのでしょうが。
もう、長編での二人の出会いから物語の結末までが、ぶわぁーっと脳裏に甦ってきて。
お嬢さん育ちで家事が拙いのが悔しいとか、返り血と病の血とか。
あの頃の花乃さん、こんなことを考えていたのか。
(長編は、斎藤と沖田視点でしたし。)
別離以降の花乃さん、どんな人生を送ったんだろう。
とか思うと、冷静にレビューを書けないのですよ……。
みなさま。
未読でしたら、是非とも長編『幕末レクイエム』の花乃さんにも会ってきてください。
(その後『京都チョコレート協奏曲』へ行くと、ちょっとほっとします。)
全然『いけず』のレビューになってなくて、すみません。
新撰組の沖田総司と言えば、その剣の腕と後年病に倒れたことは有名な話だ。
この方の作品を拝見するといつも思うのだが、何かしら透明な、痛いほどの静けさが今作にも漂っている。
この作品は、病床に在る沖田と花乃という女性の交わりを綴ったもの。
花乃は15歳だけれど、この頃の15歳は今の25歳よりも人間的に余程成熟していると私は考えるので、女性という呼称を使わせていただく。
花乃は言わば被害者だ。
原因の一端は新撰組であったから、沖田は加害者となろう。
そのふたりが出逢い、花乃は沖田の世話をするようになる。
沖田はどんな思いで笑っていたのか。
花乃はどんな思いで叱っていたのか。
花乃については作中触れられているが、沖田の思いは想像の域を出ない。
病が影を落とすなかで、紡ぎ出される美しい情景。
花乃の想いと、それを見つめる沖田の瞳。
丹精を込めた軍鶏鍋と、不意にかけられた言葉。
最後に花乃が呟く「いけず」という一言に、すべてが籠められている気がした。