奪われ、失うだけではないと信じたい

 「五体満足」という言葉がある。これは、「からだのどの部分にも欠け損じている部分がないこと」を意味する。
 「五体」とは、主に頭・両手・両足もしくは頭・首・胸・手・足を指す。これを額面通りに受け取ってしまうと、マルヴィンは「五体」自体は失っておらず、ある意味で「五体満足」と呼べてしまう。
 事実、作中でマルヴィンの家族は彼が「五体満足」で生還した、との報せを受けている。

 実際には、唯一にして替えがきかない、大切なものを失っていたにもかかわらず、だ。
 五体のいずれかを失い帰還した者達が英雄として扱われる一方で、マルヴィンがまるで「いないもの」であるかの如く扱われる様と併せて考えると、あまりにも皮肉がききすぎている。あまりにも残酷だ。

 その残酷過ぎる仕打ちに対して、マルヴィンは恨みを募らせるでもなく、怒りをぶつけるでもなく、あるがままを受け入れた。
 しかしながら、それは決して達観からくるものではない。彼が現状を受け入れるために諦めたものの大きさ、多さを考えると胸が苦しくなる。

 「たった一つ」を奪われたことで、マルヴィンは実に多くのものを失ってしまった。
 暗闇の中でうごめくだけの存在に自ら身を落とせざるを得なかった。

 本作はそんな、あまりにも多くのものを奪われ、失ってしまった男の、人生という名の長い物語における一幕を描いた作品だ。
 この短い、五千文字足らずの断片の中に、彼の失ってしまった今までと、彼がもがき苦しみ掴み取ろうとしているこれからを思わせる、実に様々なものが散りばめられている。

 失い、欠けてしまったものは決して取り戻せない。
 しかし、埋め合わせることは出来るかもしれない。互いに補い合うことも出来るかもしれない。

 「どうか彼らの人生が、奪われるだけのものではありませんように」

 そう願ってしまうほど感情移入させられてしまった。
 相変わらずの筆者の力量に完敗。

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