最終話 みどりをかさねて

みどりをかさねて

 二日降り続いた雨はようやく止んで、私は叔父と共に公園を歩いていた。

 病院での検査の結果は何もおかしいところはなく、軽い貧血か何かだろうとお医者の先生に言われる。妙な薬を飲まされる事にならなくて、本当に良かったと思う。


 少し寄り道を頼んで、公園の中を通る事にした。濡れた木の葉の色が宝石の様で、私は自分の名前を思い出す。私はみどり翡翠ひすいの翠。


 その辺りの水溜りを、子供の様にしげしげと覗き込んでいる叔父の袖を引っ張り、春の初めに花見をした辺りに辿たどり着いた。思えば、あの時叔父と不思議な人々を見たのが全ての始まりだった様に思う。実際は、もっと前から怪異には遭遇していた訳だけれど。


 右手の指が、ぴりぴりと痛んだ。何かに引っ張られている様な気がして、そちらを見る。


 公園の桜の木の下に、うんと小さな大きさの人が数人、何やら話をしながらクスクスと笑っていた。私は黙って、そのまま指でその人達の方を指し示す。叔父がそちらを見て少しぎょっとした顔をした。


「見ない方が良い物じゃないかな、あれは」

「もう見てしまったわ」

「目を合わせない様に」


 私はその言葉に従い、自分の指を下ろして、しげしげと見た。


「なんだか呼ばれた気がしたの」


 これまでとはどこか違う感覚だった。巻き込まれた訳ではない、私自身が引かれて見つけた、様な。


「矢張りなあ、残ってしまうんだな。後遺症の様な物が」


 叔父は嘆かわしそうに眉をひそめて言う。


「僕や菱田君と同じだ」

「叔父さんも?」

「僕のは大した事は無いよ。役立つ事も無い。一寸ちょっと迷惑なだけさ」


 菱田さんの、と言うのはあの目だろう。便利と言えば便利だけれど、余計な物が見えると言うのは辛そうでもある。そうして、私にも似た何かが宿ってしまった、と言う事になる。


「君の人生には少しだけ波風が立つかも知れないね。頑張って乗りこなしなさい。いつでも僕らが一緒に居られる訳では無いのだからね」


 私は実感の無いままに頷いた。それから、目を細めて木の葉越しの青い空を眺めた。


「叔父さん、私、つづり方が少し出来そうな気がしてきた」

「そうかい」


 私は、まず最初にあの花見の日の事を書こうと、そう思い始めていた。初めて叔父と怪異に遭遇した時の事だ。あの日何を感じていたのか、何があったのか、何を思ったのか、全て思い出して書いていこう。


 もし私の生に波乱があるのなら、一連の出来事を全て書き記す事が何か助けになる様な気がしていたのだ。

 私の傍にはずっと叔父が居てくれた。だから、叔父との出来事から書き出すのがきっと良い。そうに決まっている。


 誰に見せるでもないけれど、誰かに見られても良いように、文字を綴ろう。語るように文を書こう。叔父には少し見て貰っても良いし、それから、もし菱田さんに見せたら……等と少しだけ思ってしまい、さっさとそれを追い払う。兎に角、それは書けたらの話だ。


 私は叔父と並んで、ゆっくりと葉桜の公園を歩いた。


 時は、薄い葉を一枚一枚重ねるように降り積もっていく。私はそこに挟まった小さな石の欠片を、そのままにして残す事に決めた。


 いつの日か、この年を振り返る時に、何よりの目印に——しおりの代わりになるのではないかと、そう思ったからだ。

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帝都つくもかさね 佐々木匙 @sasasa3396

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