文明開化が起こり人々の暮らしが徐々に変わっていた明治の時代。本作はそんな時代を舞台にしたホラー小説だ。
風土病で母を亡くした「私」は大学で6年間医学を学ぶと、師の高倉先生と共に故郷に戻り、村に蔓延する死病を調査しようとする。しかし、調査をするうちにこれが通常の病気ではないと明らかになり、やがて「私」と先生は村に言い伝えられる神との対決を余儀なくされる……。
非常に雰囲気作りが上手い作品で、近代的な考えを村に持ち込もうとする「私」や先生、古い因習から逃れられぬ村人たち、そして『私』や先生とは全く別の視点から病の正体を探る男、馬渕。この3つの視点を通じて、古き因習が科学によって塗り替えられようとする時代を上手く描き出している。
また本作はクトゥルフ神話に登場する怪異を和風ホラーにアレンジしたものなのだが、別にクトゥルフを知らなくても和風ホラーとして楽しむことができる一方で、クトゥルフ神話の知識があれば作中で描かれる怪異の正体に察しがつくなど、クトゥルフ神話の要素を巧みに作品へ落とし込む手つきにも注目したい。
(「カクヨムで読める冒涜的なクトゥルフ特集」4選/文=柿崎 憲)
明治の文明開化と共にもたらされた医学知識を武器に、奇怪な病に立ち向かう医師たち。当時の医学知識をふんだんに盛り込み、読者を明治二十三年の日本に送り出します。
科学的視点から事態を考察する姿勢、怪異の正体を見極めるための行動力、そして事態の真相と、その解決。これらは本家ラヴクラフトの作風における魅力的部分を非常によく表しています。
これは日本版ダンウィッチの怪でしょうか? かの先生はさしずめアーミティッジ教授でしょうか? いえ、そのように比較するのは野暮というもの。既存のクトゥルフ神話は調味料程度におさえ、オリジナルの要素を盛り込みつつ、作品全体としては明治日本の雰囲気を崩さない。あるいは、本家の雰囲気と日本の雰囲気が見事に調和していると言うべきかもしれません。本作を読む間の印象は、日本であると同時にラヴクラフトの作品のそれでもあったのです。
クトゥルフ神話の一角を成すにふさわしい、素晴らしい作品でした。