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「……過剰な肉体疲労、そして過度のストレスによって、腫瘍ができ始めているようですね。……お気の毒ですが、余命は2年半以下だと……」
目の焦点が合わない。
医師の白衣、病院の壁の白。清潔な白が、すべて、真っ黒な絶望で塗り潰されて、視界を真っ暗闇に染めていく。
嘘だ嘘だと逃げるほどに、深みに嵌っていくようだ。
真っ暗闇に、吸い込まれていくようだ。
「息子であるあなたに負担をかけまいと、時間の合間を縫って、しかもあなたには内緒で、アルバイトを3軒も掛け持ちしていたみたいですね」
僕が、悪い。
なんでこんなになるまで気付けなかったんだ。あの金髪が殴ったのなんか、ほんの些細なキッカケにすぎない。
親と息子の関係、その毒がじわじわと母さんを追い詰めて、やがて殺す。どんどん広がっていく亀裂を放っておいた僕を嘲るように、金髪が、どこぞに潜む悪魔が、その亀裂を叩いて母さんを壊した。
まっすぐに医師の目を見て、フレイヤ・アイを発動させるが、嘘なんてついているわけがない。嗚咽と過呼吸が混じり合って、苦しすぎた。
「ざっと見た感じですが……脳の重要な部分に覆いかぶさるような腫瘍、たいへん厄介なものです。
…………ええ、失礼ですが、そちらの家庭状況には借金のキズが……はい、おそらく治療費は全額負担、2000万円と…………」
再び、谷底に突き落とされた。
ここがどん底だと思っていたところから、さらに下の奈落へと、無慈悲で無表情な言葉に突き落とされた。
目の端から落ちて、頬を伝って、顎を超えて流れる涙は、止まらない。
ずっと、止まらなかった。
#
世葉国際総合病院から出たところには、相も変わらず銀行員のような格好の座敷童子と、みすぼらしい格好の金髪が並んで立って待っていた。
座敷童子は振り返って僕の顔を見るなり、下唇を噛んで目を伏せた。
「……お母さまの、……は」
言うのが辛くてごまかしたのか、動揺でちゃんと発音できなかったのか。
「…………脳に、腫瘍が。余命2年半……治療費は、保険下りない、2000万」
「……………………!!」
僕の言葉も、出てみれば、ひどく途切れ途切れになっていた。
9月上旬だっていうのに、胸の奥が、隙間風でも吹いているかのように寒かった。
「……金髪」
「は、はいぃぃ!!」
ひたすらことあるごとに脅しつけて、僕たちの代わりにカネを払わせたあと、金髪はやたらと僕を怖がるようになった。
借金からも解放され、やっとひと段落ついたという時に、母さんがいつもよりしんどそうにしていることに気付いて、病院に来た。
……一発だった。
入院はその場で決まり、最悪の診断結果が僕に伝えられたのだ。
金髪は僕の目の前まで来ると、頭を下げて言った。
「な……なんでしょうか」
「お前、散々ストレス解消のために僕を殴ったよな……」
胸倉を掴んで、揺さぶる。
恐怖する顔が、ガクガクと前後に揺れた。
「ヒィィッ!?」
「……ちょっと、そこの路地に来い」
「そ、それは、許してください……!!」
「僕の『許してください』には全く耳を傾けなかったクセに、ずいぶんとムシがいいな、奴隷のくせに? あ?」
「…………!!」
「いいから来いクズ」
項垂れて抵抗しなくなった金髪を引きずって、すぐそこの角を曲がったところ、人目につかない裏路地へ行こうとする。
しかし、裏路地に少し入ったところで、それを座敷童子が止めた。前に立ちふさがって、大の字になって。
「やめろ。……誰の利益にもならない」
「僕のストレスを解消できる」
「お前まで、こんなクズと同然に成り下がってどうする!? イライラを人にぶつけて利益を得た気になるなんて、そんなのは畜生のすることだ!」
涙目で訴える座敷童子を見て、僕も涙をこらえきれなくなった。
目を大きく見開いて、唇を噛んで、子供のように泣く。
「八つ当たりするしかないだろ……酷い……こいつらがしつこく追い回したせいで、母さんはこんなことになってるんだ! こいつさえいなければ……!!」
「ひ、ヒィヤァァァ!! ごめんなさい、ごめんなさいィ!!」
「金毘羅! やめろ!」
そうだ、八つ当たりだ。
母さんの脳腫瘍が僕のせいだと思っているからこそ、どうしても、こいつらのせいにしたくなる。どうしても、否定したくなる。
弱い自分が首を絞めるのが痛くて、僕は金髪の胸倉から手を放した。
その場にうずくまって、丸くなる。
「酷いよ……やっと、解放されたのに……! 努力してお金を稼いで、必死で僕を守ろうとしてくれたお母さんが、こんなオチなんて……!!」
「……2年半で2000万円だ」
座敷童子の言葉に、思わず顔を上げた。
……なぜそんな当たり前のことを復唱する? 僕をさらに絶望させようとでもいうのだろうか。
しかし座敷童子は、いつぞやのように、僕に手を伸ばしてくれた。
「稼ぐんだよ……お前が」
「またそれか。……無理だよ、このクズ1人を服従させたのだって、ほとんどマグレみたいなもんなのに……」
「無理、とは笑わせるな。無理でもやるんだよ」
「……根性論か?」
「まさか。実にビジネス的な、理にかなった論説。理論だよ」
座敷童子は無理のある笑みを浮かべながらこう続けた。
「たしかに、今のままではどう考えても無理だ。成し遂げられる可能性0%だ」
「……………………お前を殴ればいいのか?」
「あ、阿呆、話を聞け! ……1か月後までとかならまだしも、タイムリミットは1年半だ。それまでに、お前が成長し続ければ……できないことをどんどんとできるようになって、ひとつの仕事で稼げる金額が増えれば……その時初めて、可能性が生まれるかもしれない」
「……成長…………」
「協力者を作り、自らもビジネスのスキルを学び、会社を大きくすれば……年収2000万を超えることなど、造作もない」
……今なんて言った。
「会社……?」
「エビス商店を、企業化するのだよ。ひとつの店で、薬も食品も雑貨も一通り揃う。そんなチェーン店を全国区に展開すれば、上手くマーケティングできれば、融資ぶんを差し引いても2000万円はすぐに稼げる」
たしかに、うちの品ぞろえはとてもいい。今日学校に持っていくための消しゴムとか、明日の朝に食べるためのパンだとか、普遍的な需要ならだいたいは満たせる。品物の種類が多様なぶん、仕入れは大変だけど。
たしかに、近くにそんな店があれば、とても便利だろう。
たしかに、都会にほど需要があるような性質の店だろう。
……だけど。
「だけど、なんだ? やらない理由ばかりスラスラと上がるな」
「……思考を読むなって言ったはずだけど」
「今は可能性がなくても、進歩を続ければ道は開かれる。なのに、なぜ動こうとしない? なぜ留まる理由ばかりを探す?」
「うるさい黙れ! いま可能性がないのに、今後可能性が生まれるかもなんて、なんでそんな無責任なことが言えるんだ!? 最期の時まで母さんと一緒に過ごした方がずっと幸せだ!」
そこまで言い切って、もうまともに喋れなくなった。
自分で言った言葉にひどく傷付く。『さいご』という言葉を、自分は間違いなく『最期』というニュアンスで使った。
人の臨終を意味するその漢字が、母さんの笑顔、いくつもの優しい言葉といっしょに、混沌とした頭の中を駆け巡る。
涙の粒があまりにも大きくて、もはや、何も見えない。
「現状維持が一番幸せな場合だってあるはずだ! なんでそんなに変えたがる!? なんでそんなに、変わることが正義だと決めつける!?」
座敷童子の前に膝まづいて、滑稽なほどに泣き喚いた。
「……そう決めたいなら、そう決めればいい」
「…………っ!!」
僕の頭の上に、座敷童子の小さい手のひらが乗る。
押さえつけられているように感じた。疎まれているように感じた。慰められているように感じた。怖がられているように感じた。愛されているように感じた。
自分の中のすべての自分が、座敷童子と触れ合った気がした。
「現状維持が最善だと思うなら、そう決めればいい。……それで後悔しないのなら」
「……………………また、僕の頭を覗いたな」
「ふふ。お前の思考など、覗き見るまでもなく分かるさ」
「…………」
「とはいえ……ここは一応、見ておいてやるか」
頭へ置いていた手が、涙をそっとすくい取るように、するすると頬を伝って、僕の顎へと降りてくる。そのまま、人差し指で持ち上げられて、無様に泣きはらした顔が、目が、座敷童子の正面に相対する。
「見せてもらおうか、お前の『望み』を」
……僕の望み。
見てもらうまでもない。自分の口で言ってやる。
「…………僕が望むものは」
壁に支えられながら立ち上がって、生意気な座敷童子に倣い、僕も不敵に笑って見せた。
「……母さんを、苦しみから解放してあげることだ!!」
#
「はい、バッテン金融です」
「……単刀直入に言おう。貴社の有り金、全部頂きたい」
「…………はァ?」
煙草の匂いが染みついた高級な椅子を回転させて、バッテン金融の社長、
その映像が映っているパソコンの画面を見ながら、スマホのマイクを手で覆い、金髪に話しかける。
「上出来だぞ金髪」
「へ、へえ、ありがとうございやす!!」
「……金毘羅にやられてからというもの、すっかり小物に成り下がったな、こいつ」
座敷童子は、呆れて金髪を見下す。
そう……今日やることは、手始めに資金を得ること。
昨日、病院から帰ったあと、少ない資金で買った隠しカメラといくらかの工具を金髪に渡し、社長室に工作を行うよう頼んだのだ。
「映像越しでも相手の思考を読めるの?」と座敷童子に聞いてみたところ、「リアルタイムの映像でなら問題はない、だが効力は、画質などによって変わってしまう」という返答を得た。まさか、フレイヤ・アイの効力が画質に左右されるとは。
見つかったら殺される、と言って泣いて拒んでいたが、僕がUSBメモリを押し付けながら「これが露見したらどのみち100%殺されるぞ?」と言うと、僕の手から隠しカメラと工作セットをひったくり、「やったらぁぁぁぁぁ!!」と叫びながら走り去っていった。
大丈夫かな、殺されたらせっかくの手駒がなくなっちゃうな、と心配していたのだが、無事にシゴトを完了させて戻ってきてくれたようだ。
北条社長は、画面の向こう側で、何やら首筋に手を当てて黙っている。
僕が北条社長との通話に戻ると、反対側の耳に、座敷童子が囁く。
「今回使ったのは、画質よりも、『バレない』ことに重点を置いた、プロトタイプ的なカメラだ。おおかた、社長机の上に置いてある何かに仕掛けたんだろうが……なにか、上下に揺れているようだな」
……たしかに、さっきから映像は、縦にカメラを揺らしながら撮っているような感じだ。
そのせいで、たまに画面から社長の目が外れる。
これでは、せっかくフレイヤ・アイを使えるように盗撮中継した意味がないじゃないか……。
「金髪、お前、何にカメラを仕掛けたんだ?」
「昨日会社に忍び込んだら、社長に『このオモチャの修理を頼む』って言われたんスよ! いっつも社長室の机に飾ってるやつだから、こりゃラッキーやって思いまして、ソッコーでカメラ仕掛けましてん! ええ、いっつも無茶ぶり振られてるのがこんなトコで役に立った言いますか、こんなクソガキ相手にしてやられてどん底やったけど自分もまだまだ捨てたモンやないなー思いまし」
ムカつくので肘鉄を鼻に突っ込んで黙らせた。この期に及んで僕のことをクソガキ呼ばわりとは……こいつ立場分かってんのか? 相当のバカなんじゃないか?
ともかく、今はビデオ通話――と言っても、向こうからはこちらの映像が見えていないので、一方的なものだが――に集中せねば。
画質も悪いし、その上画面が揺れているから、フレイヤ・アイも使いにくいだろうしな……一度試しに、質問なしで使ってみるか。
「………………」
以前黙ったままの北条社長に向けて、フレイヤ・アイを集中する。
【エんだ…啞…@? ilkjdnsど673qrfe*ら 邊ているdfvbe℉ る】
……マズい、全然読み取れないぞ……!
金髪め、テキトーな仕事しやがって……。こんなに画質の悪いモノじゃなかったはずなのに、取り付け段階でどこかしら故障させたな……?
座敷童子も苦い顔をしている。
「……これは、少し厳しいな……」
「なにか対策は取れないかな」
「質問をしたり、強烈に感情を揺さぶられる何かが起きると、普通よりもより強く思考が浮き出る。……通常時に思考を読み取るのは諦めて、何か決定的なアクションが起こった瞬間を狙え」
ううん……。まだこの力を使い慣れてないのに、えらく微妙な線引きを要求される場面だな。
「……だんまりか」
向こうがとうとう口を開いた。
……こっちは相手方の『元客』なワケだし、正体がバレると面倒だ。僕は声をできるだけ低くし、一人称を私に変えて、劇場型っぽい喋り方に変える。僕ではない、別の誰かを演じろ。
「……心外だな。『はァ?』というレスポンスに対して、私に何を返せというのか」
「ふん……私からのレスポンスは1つ、『ふざけるな』、だ」
「またも心外だな。私は至って大真面目だ」
「真っ当な金融業者に対して、『有り金すべて頂く』などと……。社の電話は全て録音設定になっている、このテープを持って警察沙汰にしてやってもいいんだぞ」
……落ち着いて応答を考えよう。
たしかにこちらは、相手が、『バッテン金融が真っ当な金融業者ではない証拠』など、1つも持ち合わせていない。
違法な取り立てと暴行の証拠は1つも残っていないし……そもそも、自分たちが違法な事業を行っていることを自覚しているのなら、そう簡単に証拠など残さないだろう。
つまり……。
そう、北条社長は、『ハッタリを言っている』。
いくらこっちが先に無礼な物言いをしたとはいえ、自分の会社を『真っ当な企業』だとあくまでも言い張るのなら、物腰だけは柔らかに応対するとか、すぐに切るとかするはずだ。
もしここで僕が、脅迫に怖気づいて電話を切ったなら、それは北条社長からすれば、面倒がなくていいことだろう。
対抗手段として適しているのは……。
そう、『こちらもハッタリを使う』だ。
「……間違いが2つあるな。まず1つ、今どきはテープなんて言わない、データと言え。そしてもう1つ……あなた方は真っ当な金融業者などではない」
こう言ったところで、向こうはおそらく反応してこないハズだ。
おそらく、僕の最初のセリフから、社長はこの電話をなんとか事無く終わらせたいと思っている。『自分の企業が真っ当である』ことの証明をしてくるとは思えないし、それに意味はないのだろう。
「ふうん……まあ、どうでもいいがな」
よし……まだ対等な交渉のレベルに達している感じはしないけど、一応、第一関門は開かれた。
入口さえ開けば……あとは口先で、信頼で、恐喝で、全てで押し通す。
「では話を続けさせてもらおう。金を私にくれないか?」
「クク、交渉というものは自分の目的をできるだけ隠して行うもの……お前のような未熟者にやるくらいなら、燃やした方がまだ価値があるというもの」
「いいや違うな。交渉とは、互いが望んでいるものを、互いが供給しあうという約束を交わすまでの、譲歩の段階だ。あなたが金と引き換えに何かを需要するというのなら、こちらも出せる範囲で供給を惜しまない」
「…………よく言う。お前、何かウチについて知っているな?」
……まぁ、こんな悪徳企業に、自信満々で電話をかけて開口一番「カネ寄越せ」と言ったんだから、そう思われて当たり前か。
おそらく、僕は今、北条社長から『バッテン金融の弱みを握って意気揚々と
画面の向こうの社長は、いまだダルそうに眉根に皺を寄せて、首筋を撫でるばかりだ。
「勘違いしないでもらいたい。私はユスリ屋などではないし、ただ貴社と取引がしたいだけの、いちビジネスマンだ」
「いちビジネスマンは電話で開口一番『金をくれ』などと言わない」
「それな」
座敷童子が僕の後頭部を平手で叩いた。
いけないいけない……ちゃんと、変なキャラを演じ切らないと。
「あなたとて……私が何の準備もなく電話をかけてきているとは思っていないのだろう? 何か、『社のやましいこと』に心当たりがあるのではないか……?」
「……………………」
フレイヤ・アイ……発動。
【やはり何か知っていたか……社のやましいこと、と言っているが、言い方からしてアレのことは知らないのだろうか……?】
うまくカメラが北条社長の目を映した状態で、なおかつ質問をして反応を起こさせた状態なので、思考の表層を読むことができた。
それによると、目的の情報である『社長は僕の握っている弱みの正体にある程度気付いている』という事実とは別に、興味深いことがひとつ分かった。
それは……。
そう。
北条社長には、社に関わることとは別に、何か知られては困る『弱み』がある。
その弱みさえ突ければ、早くも膠着状態に入りそうなこの交渉状況を、数歩前に進めることができるかもしれない。
「社のやましいこと……さあ、心当たりがあるような、ないような……というところか」
「フフ、心当たりが多すぎて分からないか?」
「図に乗るなよ……。しかし、たしかにお前が何のことを言っているのかハッキリさせておきたい。お前が握っているこちらの『弱み』、言ってみろ」
「……それが望みなら、こちらからも対価を要求していいか?」
「寝言は寝て言え。こちらはいつ電話を切ってやってもいいんだ、初っ端から金を要求してくる強盗まがいの自称ビジネスマンにわざわざ時間を割いてやっている、そのことがすでに対価だとは思わんか?」
……取引を続けるには、無条件で要求を飲めということか。
選択肢はない、ここは従っておくしかなさそうだ。
「仕方がないな。……『取引先』、『反社会団体』。これで分かるか?」
「……なるほど、ユスリには十分だな」
「ならば……」
「なんて言うと思ったかクソガキ」
……北条を相手取った交渉は、一筋縄ではいかなそうだった。
●未後悔コメンタリー●
コード〇アスのパクリやんけ。
この主人公が地味にけっこう気に入ってたので後悔しました。
連載作になれなかったボツ作集 OOP(場違い) @bachigai
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