左目の力は、発動している間は呼吸が止まる代わりに、目を見た相手の『思考の表層』を読み取ることができる能力……『フレイヤ・アイ』。

 右目の力は、2秒間だけ思考スピードを加速させ、最大で体感時間にして18秒間のシンキングタイムを作り出せる能力……『ベルダンディ・アイ』。


「……っていう理解で、いいんだよね?」

「分かりきったことだ。フレイヤ・アイで答えを尋ねてみるがいい」

「苦しいから嫌なんだけどな……」


 とはいえ、こうでもしないと答えを得ることはできなさそうだ。

 僕は左目に力を込める準備をして……もう一度、質問をぶつけた。


「思考を読むフレイヤ・アイ、考える時間を伸ばせるベルダンディ・アイ。そういう認識でいいんだよね?」

「………………」


 今だ!

 左目を大きく見開いた瞬間、鼓動が高鳴り、呼吸が止まる。

 あまりの苦しさと圧迫感に狭まる視界の中に、正面に座る座敷童子の姿と、その頭上に浮かぶ文字が見えた。


【そうだ。当然ながらフレイヤ・アイの方は強力すぎるから、それ相応の苦しみを伴う】


 よし、読み取れた!

 …………だが。


「…………ぶはぁっ!!」


 ただの数秒が限界で、僕は苦しさが限界になり、ぜえぜえはあはあと呼吸を荒げる。

 フレイヤ・アイは解除され、座敷童子の頭上から文字が消え去った。

 座敷童子は顎に手を当て、眉根を寄せる。


「眼の適応は上手くいっているようだが……いかんせん、お前の肺活量が貧弱すぎるな。ものの3秒ほども持続できていないではないか」

「む……無茶言わないでよ……。これ、肺が締め付けられる感じで、めちゃくちゃキツいんだけど……」

「今後の成長に期待しておこう」

「…………」


 この子は、僕の肺に何の期待をしてるんだろう……。


「フレイヤ・アイは、目を見た相手の思考の表層だけを読み取ることができる。つまり、あらかじめ知りたい情報に目星を付けて、それを引き出すための質問をした状態で使用すれば、より効率的に情報を得られるだろう」

「……こんな力を僕に与えた目的は、何なんだ?」


 疲れた体、もとい肺にむち打って、フレイヤ・アイを発動する。

 が、座敷童子の顔がそっぽを向いているせいか、頭上に文字が浮かぶことはなく、無駄に息を切らすだけの結果となってしまった。


「言ったろう、思考を読み取るだけだと。相手が話に応じていない時や電話の時には、フレイヤ・アイの力は使えない」

「うぐぐ……」

「というか、目的はさっき言った……というか、読ませたばかりだろう? お前への恩返しがしたいだけだよ」

「僕、別に他人の思考を見たりしたくはないんだけど……」

「何も、この力自体がプレゼントだというわけではない。お前がこの力を使って、理不尽な運命を退けること。その手助けをすることが、私の恩返しだ」

「理不尽な運命を退ける?」


 さっきも言っていた、このままこの辛い暮らしを続けていれば、僕が死んでしまうかもしれないという、あれのことか。


「丁度いい、ここでお前に質問だ。ベルダンディ・アイを使ってじっくりと考えてみるといい」

「2秒を18秒に感じられる能力……だよね」

「18秒もあれば答えは出せるはずだ。……よく考えてみろ、今お前が苦しいと思っていることの中で、どれをクリアすれば、死を回避できる?」



 右目を瞬きさせると、視界が灰色に染まった。

 ……どうやら、これが『体感時間9倍の世界』のようだ。


 さて、座敷童子の質問は、今僕の生活の中で、どの悪条件が消滅すれば、僕は一番ラクになるか……というものだ。

 悪条件として思いつくのは、『金貸し』『成績不振』『店の手伝い』だ。

 この中のどれが無くなれば、僕は一番嬉しいだろうか……。


 答えは。



 ベルダンディ・アイの効果が切れ、視界が鮮やかな色に染まる。


「金貸しの追跡と暴力……それさえ無くなれば、勉強だって手伝いだって、上手くいくはずだよ」

「そうだ。……少し心配だったが、ちゃんと自己分析はできているらしいな」

「……まぁ、ちょっとネガティブになってはいるんだけどね。金貸しがいるから上手くいかないっていうのは、ただの言い訳なんじゃないか。僕はもともと勉強も何もできないんじゃないか……って」

「阿呆。見極める前から諦めてどうする。妥協ではなく納得がいくまで見極めて、それでもできないと判断すれば投資を打ち切ればいい話だ」

「投資…………?」

「自己への投資だよ。自分は勉強が苦手でスポーツが得意だとハッキリ分かっているなら、勉強への投資の一切を打ち切って、スポーツへ投資すればいい」


 ……なんか、ハウツー本みたいなこと言うな。たしかにそうだとは思うんだけど、実践するとなると難しい、そんな話だ。

 長いこと僕と話してのどが渇いたのか、座敷童子は母さんの出してくれた番茶を、音をたてずに上品にすすった。

 そして、いい加減痺れてきたのか、しかめっ面で正座の足を崩しながら、物珍しそうに、僕の住むエビス商店の奥部屋をじろじろと見回す。


「……ところどころあるキズは、最近できたものだな」


 畳を汚す薄赤のシミ、何度も僕の体を力強くぶつけているせいか壁紙が剥げてきている柱。そのほかいろいろ、ひとつひとつは大したことないが、全体として部屋の景観を損なう汚れやキズが多数。

 恐怖の感情が思い出されてくるのを、どうにか見て見ぬフリをし、やりすごす。

 あれを汚しているのはあのとき口から出した血だ。学校のテストの暗記は上手くいかないくせに、忘れたい痛みだけは、いつまでも覚えている。

 座敷童子から見えないように、震える右腕を、左手で握って止めた。


「……私に隠し事は無意味だ、無理をするな」

「そ、そっか。座敷さんもフレイヤ・アイ使えるんだよね」

「座敷さんという呼び方は、『座敷』が名字で『童子』が名前だという安直な考えに基づくものだな? ……と、このようにな」

「その割には、質問とか呼吸止めたりとかしなくても常に見れてるっぽいけど」

「力を与える側が制限に縛られてちゃ、カッコつかないだろう? 見ようと思えばいつでも見れる。お前のものと同じく、表層しか見られないがな」


 思考の表層……。

 簡単に言えば、『人がいまその時に考えていること』のこと。

 例えば、殺人事件の犯人から、犯行の動機について聞きたいとしても、相手が今それを考えていなければ、読み取ることはできない。

 だから知りたい情報を得るためには、予め「犯行の動機は何だ?」と質問する。そうすることで相手は、思考の表層に、『犯行の動機』という情報を浮かべるから、そこを掬い取るように読み取る……。

 座敷童子によれば、それがフレイヤ・アイの有効な使い方らしかった。


「フレイヤ・アイの能力は、コーヒーの上に浮かんでくる膜だけをなぞるようなものだ。さじ加減を弁えれば強力な武器となり得るが、過信はお前の身を亡ぼすぞ」


 あくまでも万能ではないのだ。思考の表層だけを読み取って相手を手玉に取ったつもりでいるのは、人の表面だけを見て全てを理解した気になっているのと変わらないぞ。

 座敷童子は僕に何度もそう注意すると、また茶を飲んだ。和風美人って感じの顔立ちに、湯呑はよく似合っている。


「さて、長々と脱線したな。ここまでの説明を聞いて、私はこの力を、お前にどう活用してほしいと思っているか……ここまでの話の流れとともに、答えてみろ」

「この力を、どう活用するか……か」

「これもまた練習だ。制限時間は私の時間で7秒とする」


 ベルダンディ・アイを使って考えろ、ということか。


「始め」


 右目を集中。時の流れが緩慢になる。



 色々な話が出てきた、簡単に整理しよう。

 まず、座敷童子は僕に何の話をしたか……。

 そう、『能力の説明』をした。ひとつは目を合わせた相手の思考を僅かに読み取る能力、もうひとつはこのように、思考時間を延ばすことができる能力。


 そして次に出てきた話は……。

 そう、『僕が苦しんでいること』だ。

 こんな生活が続けば、間違いなく僕は死ぬ。そしてその死を回避するためには、あるひとつの苦しみをクリアすればいいんだったよな。



 ここで一度、ベルダンディ・アイの能力が解除される。

 ベルダンディ・アイの一回あたりの持続時間は、現実時間にして2秒、体感時間にしてその9倍である18秒。すかさずもう一度発動し、続きを考える。



 僕が死を回避するためにクリアすべき、『苦しみ』が1つあると、座敷童子は言った。そして、それがクリアされれば、全ての苦しみも解決すると。

 そしてその苦しみとは……。

 そう、『金貸しの追跡と暴力』だ。これさえ無くなれば、疲労や心労のほとんどが解消され、勉学にも手伝いにも全力で励む余裕が生まれることだろう。


 つまり、座敷童子が、この目の力を使って僕にさせたいことは……。



 右目の力を抜き、9倍の時間を解除する。


「7秒経過。では答えてもらおうか、質問の答えを」

「えっと……それは、『金貸しを退けるため』、かな」

「ビジネスの場ではもっとハキハキと自信を持って答えるものだ」

「ご、ごめん」

「まあいい、説明を続けろ」


「……まず、話の流れとして、座敷さんによる『能力の説明』のあと、『僕が苦しんでいること』についての話になった。そして能力の説明の際、自分の目的は、僕がその能力を使って理不尽な運命を退けることなのだとも言った。

 理不尽な運命っていうのは、僕が死ぬことで。そしてそれを避けるためにクリアすべき苦しみは、金貸し。

 つまり、座敷さんは、僕がこの目の能力を使って金貸しを退けることを望んでいるってこと……だよね?」


「その通り。まぁこの程度、ベルダンディ・アイを使わずともスラスラと説明してもらいたいものだが」

「答えだけじゃなく、その答えについての説明を考えるには時間がかかるよ……」

「筋道立ててものごとを説明すると、相手に好印象をもたらす。今回は単純な内容だったが、少し入り組んだ内容の説明などをする場合には、この能力は大いに役立つだろう」


 そうか。こんな風に、どうでもいいところでいちいち目の能力を使わせるのは、僕が金貸したちに対抗するための……いわば、『チュートリアル』なのだろう。

 偉そうな女の子だなぁと思っていたが、どうやら本当に有能な人らしい。

 めっちゃ偉そうだけど。


「……思考の表層は、常に見ようと思えば見られることを忘れるなよ?」

「うかつなこと考えらんないなぁ……座敷さんって、見るのもイヤってくらい嫌いなモノとかないの?」

「なに……しまった!?」

「今だ!」


 フレイヤ・アイ発動。


 座敷童子の頭上には、【虫全般】と浮かんでいる。

 さらに、僕の質問を聞いてイメージしてしまったのか、毛虫とかの画像がぽつぽつと浮かんでくる。

 なるほど、フレイヤ・アイでは視覚情報も読み取れるのか。


「……実は僕、虫が大好きでさ。ちょっとした時に虫のイメージが頭に浮かんできちゃうんだよねー。だからあんまり僕の思考は読まない方がいいかも、っていうかぁ」

「そ、それは脅しか? 目の力を与えた恩人になんという……」

「取引だよ、取引。僕だって、勝手に考えてることを除かれるのは困るからさ」

「ぐ……取引というなら仕方ない……」


 座敷童子はぶつぶつと何か文句を言いながら肩を落とした。

 やっとこの子相手に1勝できた気がする。


「お茶のおかわり、いる?」

「ああ、お母さま。お気を遣わせてしまってすいません」


 母さんが、差し出された湯呑に、ポットからお茶を注ぐ。

 座敷童子は、僕と話す時とはコロッと態度を変えて、母さんに対してはやけに恭しくふるまう。

 まあ、母さんに対しても偉そうな言葉を使うんなら、そっちのが問題なんだけど。


「それにしても、あの高名な座敷童子さんが、うちに来てくれるだなんてねぇ。うちを幸せにしてくれるの?」

「幸せになれるかどうかは……彼次第ですよ」

「…………」

「そっか……コンちゃん次第、か……」


 ……僕の幸せが母さんの、ひいてはこの店の幸せだとでも言うのか。

 まあたしかに、言っていた通りに金貸しを退けることができたのだとしたら、それは間違いなく店にとっての幸せだろうけど。

 いつもなら、勉強に必死についていこうと、睡魔と闘いながら授業にかじりついているような時間だ。座敷童子付きだが、金貸しにおびえることもなく、母さんと一緒にゆっくりお茶を飲んで過ごせるのは、久々の幸せだった。


 幸せは、僕がそれを感じた瞬間に崩れ去った。


「よう、邪魔するでェ」


 金貸しの下っ端……関西弁の金髪男が、これ見よがしに店の品物に唾を吐きかけながら、勝手知ったるふりでこちらまで上がってきた。

 20代後半くらいの、やっすいスーツ姿の、無精ひげの。とにかく、『しょうもないワル』って感じのヤツ。

 ……うしろからいつもの『兄貴』が来る様子はない。1人で来たのか?


「昨日は兄貴に止められたせいで存分に殴れんかったからなァ、ちょっとストレス解消させてくれや……なぁ?」

「き、昨日の今日では、お金は……」

「あぁ? 話聞いとったんかオバハン。今日はカネ払ってもらいに来たんやない、カネ待ったる代償を払ってもらいに来たんや」


 代償とかカッコつけたこと言って、結局ただ『殴りに来た』ってだけじゃないか。

 最近では、こいつらが家に上がり込んできたときに感じる絶望感さえも、徐々に薄れてきた。僕はいつ殴られてもいいように、唇を結ぶ。


「……何のために力をやったと思っている?」

「…………」

「今が反逆の時だ、機会を逃すな」

「分かってる……」

「あァ?」


 座敷童子の姿が、金髪男の目に留まる。

 その瞬間、ものすごい不機嫌そうな顔でこちらを睨みながら近づいてきた。


「……クソガキ。お前自分の立場分かっとンか?」

「え?」

「こんな借金こしらえるクズの家に住んで、払わず払わず責任のないクズの子供で、殴られるしか能がないクセに……一人前にオンナ連れこんどるンか?」

「いや、この子は別に」

「口答えすンなや! イチャイチャこそこそ喋くりよって、独り身になった俺への当てつけか!? あァ!?」

「そ、それは関係ないでしょう……」


 しまった。思わずツッコんでしまった。

 金髪の眉がピクッと動き、距離を一気に詰められると同時に拳が飛んでくる。

 とてつもない踏み込みの速さとパンチの鋭さ。よく知っている、何度も味わったパンチを、僕は避けることを半ば諦めながら喰らった。

 骨を抉るような、不快な重い音が響く。


 だが……痛みを感じなかった。


 恐怖に瞑った目を開いてみると、僕の足元に、母さんが倒れていた。

 ……え? 母さん? ……なんで?

 ……事実を受け止めきれず、思考が追い付かず、僕は呆然と、足元に転がって苦しそうに悶える母親の姿を眺めた。

 やがて、口元から一筋の血が、両目から、二筋の涙が流れた。


「ごめんね……コンちゃん……」

「か、母さん! なんで……」

「殴られるのって……こんなに痛いのに……いままで、全部、コンちゃんはこれ以上にひどいことやられてきたんだよね……。ごめんね……」

「あ、ああ……ああああっ……!!」


 涙がぼろぼろと零れた。しゃがみこんで、倒れた母さんの体を支える。

 座敷童子は言った、今が反逆の時だ、機会を逃すなと。

 機会を逃したせいなのか? 早く実行に移さなかったから、こんなことになってしまったのか……一番守りたかった母親を、傷つけることになったのか?


「ごめんね……」

「謝らないでよ! 僕、こんな母さん見るくらいなら、殴られてた方が何千倍もマシだよ……!」

「…………」


 母さんは、ただ泣くばかりだった。

 見たところ、幸い、大きな怪我にはならなさそうだ……。


「おいコラ、なに家族ごっこやっとンねん? 借りたカネも返さんクズの親子が、ドラマの真似事かァ?」

「………………」


 こいつだけは……許さない。


 今が反逆の時だ。機会を逃すな。


「何ニラんでンねん、殺すぞ!!」


 ……来る。

 金髪が殴るモーションに入る瞬間、ベルダンディ・アイを発動させる。



 ゆっくりと、金髪が体と拳を送ってくる。

 ……踏み込んで、右フックのような形で殴るつもりだな。


 18秒の時間を感じられるのは脳だけで、体を相手よりも速く動かすようなことはできない。

 だが、軌道とタイミングさえ分かれば、あとの回避は容易だ。



 勢いよくこちらへ突進するように右フックを放った金髪は、僕の冷静なスウェーによって、勢いあまって前の壁に激突するように倒れ込んだ。


「なッ……んやとォォッ!?」


 起き上がってすぐ、怒る……というよりは、純粋な驚きの表情で、金髪は僕の方を向いた。


 今だ。


「お前ェェ、クソガキィィィィ!!」


「見せてもらおうか、お前の『弱み』を!!」


「ハァ!?」


 ……こいつは、またすぐに殴りかかってくるな。

 ならば……一度やってみようか。さっき説明を聞いた時に試し忘れていたことを、一か八か。


 フレイヤ・アイとベルダンディ・アイの、同時発動!



 灰色の世界で、こちらに向かって殴りかかってくる金髪の頭上に文字が浮かぶ。


 【なんで弱みなんて聞くんや、このガキ……】

 【まさか……この間タン吐いて吐き捨てた借用書の束、見られたか!?】

 【いや、ないやろな……ほとんど白紙やったし、あのあと店の前でチラチラ様子伺ってる時に、捨てるところ見たし】


 ……なるほど。

 ようするに、昨日僕の上に投げ捨てられた借用書の中に、何か『見られてはマズいもの』が含まれていたということか。


 辛くならないうちにフレイヤ・アイを解除し、パンチの回避に専念する。

 今度は、上から下へと叩き付けるような左ストレート……!!



「無駄だ」

「ッ……!? 2回も、こんなガキに……!?」


 さて、どうすべきだろう。

 ハッタリをかますべきか、確実に証拠を押さえてから追い詰めるべきか。


 もう一度ベルダンディ・アイを発動し、考えることにする。



 金髪の思考を読んだ感じだと……あの借用書が、この部屋よりも手前、店の方に設置されているゴミ箱の中にあることは知っているはずだ。

 そして、さっきの質問で警戒されてしまったみたいだから、そこへ向かおうとすれば必ず阻止しようとしてくるはず……。


 証拠を押さえるルートでは、かなりの危険が伴うだろう。

 なにかリスクを抑えた作戦はないだろうか……。


 そうだ、座敷童子に協力してもらえば、僕が金髪の注意を引き付けている間に、借用書を回収してくれるかもしれない。

 だが、口頭で頼むヒマはないし……そもそも金髪にバレるだろう。


 それなら……。



 僕は座敷童子に見えるように、頬をトントンと叩いてみせた。合図のつもりだ。

 どうやら無事に伝わったようで、頷きが返ってくる。


 【ゴミ箱にある借用書がこいつの弱みだ】

 【回収求む】


 その2つだけを頭の中で反芻する。……そう、『思考の表層』に浮かび上がり続けるように。

 座敷童子は見事に僕の意図を読み取ってくれたようで、今度はもう一度、強い頷きを返した。もう少し金髪の注意を引ければ、回収に向かえるはずだ。


「来いよ金髪。僕を殴ってストレス解消するんだろ?」

「……ナメとんかガキィィッ!!」


 ベルダンディ・アイを使って回避……は、しない。


 ここはあえて、喰らっておくことにする。

 あらかじめ食いしばっていたものの、右頬にマトモにパンチを受け、僕はその場に仰向けに倒れた。

 狙い通り……金髪は、そんな状態の僕に馬乗りになってきた。

 そのままボコスカと僕の顔から喉から何から、手の届く場所ならどこでもいいと言うふうに、僕の上半身を滅多打ちに殴りつけた。


「鬱陶しいんじゃボケッ!! ここでくたばりたいか!? あァ!?」

「や……やめて……!」


 母さんが悲痛に訴える声が、僕にとっては、とても悲しかった。

 そんな苦しみも、悲しみも、今日限りだ……脅しだろうがなんだろうが、どんな手を使ってでも金貸しの呪縛から逃れてみせる。

 今まで暴力を甘んじて受けるという形で、僕たちはずっと、犠牲を払い続けてきたんだ……今だって、好きで殴られているわけじゃない。


 等価交換だ。今まで殴った分、キッチリと払ってもらう……!


「そこまでだ」


 座敷童子は、右手に借用書の束を掲げて、こちらへと歩いてきた。

 それを見た金髪は驚愕し、僕に馬乗りになるのをやめ、立ち上がった。


「お前……! このクソガキ、やっぱり見てたンかッ!!」

「『見られては困るもの』……いましがた、しっかりと見させてもらった」

「……クゥゥゥゥゥッソォォォォォォォォォォォッ!!」


 僕もこのタイミングで立ち上がる。金髪の正面に立ち、フレイヤ・アイを発動させた。


【あの束の中には、『お得意先』のメモが入っとる……】

【『組』に、俺が情報バラしたことがバレたら……終わりや!!】

【『ヤバイ奴ら』に……やられる!!】


 ベルダンディ・アイを使うまでもない。僕は今まで手に入れた情報と、今読み取った情報を繋ぎ合わせて、この金髪を服従させるための『最大の脅し文句』を練った。


「『組』……。こんな悪徳な金貸し商売やってるあなたたちのことだ、やっぱりそういう人たちとの繋がりがあったんですね」

「ハァッ…………ハァッ…………!!」


 自分の身に危機が迫っていることを悟り、金髪は呼吸を荒くする。危ない薬でもやっているかのように、目の焦点が合っていない。


「何故あなたがそんなに動揺しているのか……それは、このままだと、容赦なく殺しでもやってのけるような人間を、敵に回してしまうからだ」

「ハァッ……ハァッ……ハァッ……!!」

「あなたたちの『お得意先』である『ヤバイ奴ら』。彼らは、あなたが他人に自分たちの情報を渡したとなれば、容赦なくあなたを殺すだろう。だから、あなたはそんなにも慌てている」

「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ……!!」


 何か危機感を感じ、ベルダンディ・アイを発動する。



 …………!

 金髪は、懐からサバイバルナイフを取り出そうとしている……!



「死ねやァァァァッ!!」


 だが、落ち着いて回避手段を見分けたら、避けることは容易い。

 会心の一撃を外してよろめいた金髪の腕を、跳ね上げる。ナイフはクルクルと回転して舞い上がると、ちょうど借用書を捨てたゴミ箱の中へゴールした。


「うあああああああああああああッ!?」

「言い返そうか。?」

「生意気なんじゃ……クソァァァァァッ!!」

「言っておくが、僕を殺しても無駄だ。借用書は写真で撮影して、データを3つのクラウドに分けて、それぞれロックをかけて保存してある」

「は…………!?」


 これはハッタリだが……上手く決まったらしい。

 すっかり悪役気分で、口角を釣り上げて脅し文句をまくし立てる。


「一目見て、これはヤバイ情報だと思ったからな。数人の友達と写真を共有させてもらった」

「クソガキィィィィィィ…………ッ!!」

「僕が死んだら、友達がロックを解除して、その写真をSNS上で公開することになっている。知ってるか? 現代じゃ、スーパーハッカーじゃなくても、情報ひとつで相手を殺すことができるんだぜ」

「…………………………………………う、うう」

「……どのみち、このことが『兄貴』に知られても、全部終わりだろう? もうお前に逃げ道はないんだよ」

「うううう、うう、うううううううううううううううう!!」


 こいつで……トドメだ。


「選べ。ここで僕を殺すか、僕の下僕になるかをな」


 金髪の心が、砕けた。


「うううああああああああああああああああああああああッ!!」


 泡を吹き、白目を剥いて倒れる金髪を冷たい目で見下して、僕はいつぞやにこいつにされたように、痰を吐き捨てた。


「座敷さん、今のうちに借用書の該当ページを写真に撮って、クラウド上に保存しておいてくれ。嘘を本当にしておかないとな」

「了解。……なんだ、やればできるじゃないか」

「ふふっ。どうせこいつは、僕が暴露したら人生終わりなんだ。手始めにこの家の借金を肩代わりしてもらって、それからボロ雑巾のようにこき使って、掃き溜めに捨ててやるさ」

「……やれやれ、いざ覚悟を決めて追い詰めだしたら、人が変わったようだな。ユスリを本職にしたらいいんじゃないか?」

「…………いいや」


 僕は、疲れたのか気を失ってしまった母さんを、抱き起して適当な壁にもたれさせてから、言った。

 誰に言った言葉なのかも、分からぬままに。


「僕がやる仕事は、このお店のためだけだよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る