陽の一章、陰の二章

本作『それでも火葬場は、廻っている』は、くさなぎそうし氏の代表作『花纏月千(かてんげっち)』に次ぐ“葬儀屋シリーズ”第二弾という位置づけだ。作者いわく「コミカルで読みやすさ重視」とのことだが、一章と二章では、おもむきが異なる構成になっている。

一章は……“陽”。もちろん、人の生き死にを扱った作品である以上、どこか悲哀の影がさすところも見られるが、誰がなんと言おうとこれは陽だ。とある暗い過去を持つ主人公、春田俊介は上昇志向が強く、勝ち得た職場で“葬儀の本質”へと歩んでゆくこととなる。進化するキャラクターであり、“大変なトラブル”を抱えた彼の視点で物語は進む。そこである“決断”をする……という内容。

対して、二章は“陰”だ。女僧、夏川菜月は“身近なある人”の死をきっかけに“劣化”していくのである。一章から登場する彼女はどこか凛とした雰囲気をたたえ、落ち着いた人物だったが、二章では一転、逡巡の中でもがく人、となる。

進化する陽性の男と劣化する陰性の女……両キャラクターの出会いが物語前半の骨組みとなっていることから、くさなぎ氏が対比をはかっていたのは明確だ。そういう意味では一、二章はセットと捉えて良いと思う。出会ったふたりが恋人となるのかどうかはまだわからないが、互いが刺激を受け合う関係となっている。今後の進展を見守りたい。

個人的には二章のほうが語る点を多く持つと思う。一章は決断の早い春田が主人公であるせいか、心理より展開が先行する内容となっている。彼は最終的に葬儀を自身の“使命”と認識し、結婚式場を職場としていた兄を超えることを誓う。結末は痛快と言ってよい。

二章は逆だ。菜月の心理に展開が付随する。彼女は親しい人の死を直視できず、火葬にいたってもなお未練を残し続ける。女僧である彼女は故人を見送るプロフェッショナルのはずだが、ドライになりきれない甘さが話の展開軸を作っている。やはり陰鬱なほうが評論の対象になりやすいということか? 私が勝手にそう思っているだけかもしれないが。

もうひとりの祖母……そう呼ぶ人物の唐突な死は“私がもう少し遅く行けば……”と自責するほどの苦悩を菜月に与えることになる。ここに至るまでの過程は心理描写に長けるくさなぎ氏らしく緻密で繊細かつ自然だ。周囲の助けもあって最終的に吹っ切ったようだが、余韻は残った。やはり二章は陰のストーリーだ。

そして、三章が開幕した。今度は陰陽どっちに舵をきるのか? 楽しみにしてますよ、くさなぎさん!

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