嗚呼、勘違い……

人間、生きていれば、誰しも勘違いのひとつやふたつはするものです。子供のときに得た誤認識を持ったまま大きくなって、後々学校や社会で赤っ恥をかいた、という話はよく聞くものでございます。

“加齢臭とは体からカレーの匂いがすることだと勘違いしていた”

“帰国子女とは女子のみをさすものだと勘違いしていた”

“高野連を宗教団体だと勘違いしていた”

“ニュースで取り上げられる汚職事件をお食事券だと勘違いしていた”

等々。まァ、世間には体からカレーの匂いがする人もいるでしょうし、そもそも子は娘のこともさすだろォと言いたくなりますし、高野山にはお寺がいっぱいありますし、偉い人に賄賂としてお食事券をプレゼントすることはありそうですから勘違いしてもしょ~がないとは思うのですけどねぇ。いやはや日本語というものは難しいものです。

ちなみに私は子供のころ、“血統書付きの犬”のことを強い犬のことだと勘違いしていました。“決闘書”とは、その犬が持つ華々しい戦歴のようなものだと思っていたんですね。いやはや、恥ずかしい〜(笑)




個々の錯綜する“勘違い”で構築されている本作品。そう聞くとなんとなく単純なギャグ小説っぽいものを想像してしまいそうですが、あらすじに書かれている人物以外の視点も加わるため、物語は意外と(失礼)心象的な意味では深みがあったりします。なんツーか、この小説、対人関係の駆け引きに妙なリアリティがあるわけですね。

仕事より男を選ぶあたりにイヤ〜んな生々しさを感じるものですが、人間誰しも自分の幸せを優先したいのは至って当然のこと。他者を出し抜いてでも勝者となりたいのは人が持つ生殖……いいえ生存本能のあらわれと言えるでしょう。愛は理性を超える、と言ってしまえばカッコよいのですが、おのが欲望に忠実な人たちのありのままの姿を描写しているのが実に興味深い。本作品ではそういった人間が持つエゴの本質のようなものを見事についています。

そして、この小説の面白いところは最初から最後まで“勘違い”で成り立っていること。やたらめったら思い込みの激しいキャラクターたちは基本的に目の前のことがらを自分の思うがままに解釈し行動するのですが、それがときに功を奏し、ときにトラブルを生みながらも話はなぜかまとまっていく。勘違いはさらなる勘違いを生んで最終的にはめっちゃカオスになりそうなものですが、本作品は辻褄部分が練りに練って練り上げられているらしく、不思議さはあっても不自然さはなかったりします。つまりキャラ数人分の勘違いが整合の根本になる、という今までになかった新しい読書感覚を我々にもたらしてくれるのです。いやぁ、よくこんなの考えついたもんだ。

とはいえ、肩肘はらずにあっさり完読できる小説ですので、最近おうち時間が増えてヒマしてる方はぜひ読んでみてください。おまけ付きというプレミアム感が付随するのも斬新(?)ですよ〜!