勇者コンフュージョン

前田薫八

プロローグ

冒険の始まり?

                  ルイ


 小さな村の小さな広場。そののどかな雰囲気は時間の流れを半分にしているかのように錯覚させるほどだ。そんなこの世界ではどこにでもある田舎の村に、珍しく人だかりができていた。一〇〇人もいない村なのに、朝早いこの時間でも三〇人くらい集まっているんじゃないのかな。


 近づいてみると、このモリモト村で唯一の掲示板に新しい掲示物が掲載されていた。確かに変化のないこの村にとっては一大事だ。それにしても今回はちょっと大げさな気がするなぁ。


 ボクは興味を惹かれて掲示板へと近づこうとした。しかし、人の壁が邪魔をして接近することができない。老若男女。村で起きている人全員がここに集まっているのではないかと思えるほどの人数だ。ボクは仕方なく周りの声に耳を傾けることにする。



「まさかこんな小さな村にねぇ。志願する人なんているのかしら」


「まず若者が少ねえからな、この村は。じいさんやばあさんどもじゃ足手まといになるだけだろうよ」


「んだんだ。おらたちはおとなしく畑仕事でもしていたほうが世界のためってもんだべ」


「ちげえねえ」



 どうやら新しい仕事の話のようだった。しかし、村のみんなは消極的だ。それほど条件が厳しい仕事ということなのだろう。しかし、条件が厳しければ給金がいいのが世の中の仕組みというものだ。ボクとしては少しでも家を楽にさせてあげたいので、もしボクにできそうなことならやってみようかと思った。できれば掃除洗濯のような家事スキルが使えるものがいいな。ボク、家事得意だし。


 そんなことをボクが考えていると、次第に人の壁がなくなってきた。早くも新しい掲示物への興味が失せてきたのか、家事や畑仕事に戻る人が大半だった。とても掲示されているような新しい仕事をしようなどという奇特な人はいないだろう。でも、これでようやく背の低いボクでも文字が読めるほどに近づけるぞ。



「え~と、なになに……。勇者募集中?」



 掲示物の内容はこうだ。今、世界中で復活した魔王がモンスターを率いて暴れまわっている。その被害は日に日に増し、小さな国程度ならすでにいくつも滅ぼされていた。このままでは他の国も危ない。そこで世界中の国が協力し、魔王を倒すための勇者を集めているというのだ。


 ボクはガッカリした。勇者ということはモンスターと戦う人のことだ。この辺のモンスターは子供でも倒せるほど弱いけど、世界は広い。きっとボクが勝てないモンスターもいっぱいいることだろう。単純に強い攻撃をしてくるモンスターもいれば、毒などの厄介な攻撃をしてくるモンスターもいる。そんなモンスターたちと戦うことになれば、命がいくつあっても足りない。さすがにそんな危険な仕事をしたいとは思えなかった。村の人たちが言っていた通りである。



「でも、これ――」



 もう掲示物の内容には興味なかったが、ボクはしきりに首をひねった。なぜだかわからないが、数ある掲示物の中でこの『勇者募集中』の掲示だけが異様に輝いて見えたのである。ボクは勇者になるつもりはこれっぽっちもないはずなのに、不思議なことだ。


 ボクは理由を考えてみる。自然と眼つきが鋭くなった。たいしたことではないはずなのに、不思議なことがあると真剣に考えずにはいられない。あまりにも集中しすぎて周りの声も聞こえなくなったが、今のボクにはそんなことどうでもいいことだ。


 その甲斐があってか、ボクはその謎を解くことができた。原因は紙だ。この『勇者募集中』の掲示物だけ、他の紙と違った良質な紙を使っているのだ。太陽の光を大量に反射し、そのままの意味で輝いているのだ。さすがはモリモト村の誰かが掲示したものではなく、世界中から勇者を集めようとする国家規模の掲示物である。すでに材質の時点で気合が違った。



「なるほど、そういうことかぁ」



 ボクは納得して何度もうなずいた。やはりわからないものをそのままにしておくというのは気持ちが悪い。こうして小さなことでも真剣に考えるというのは大事なことだと思う。そのために周りが見えなくなるということがよくあるのだが、それはそれで仕方がないと思っていた。



「ああ、いけない。そろそろ家に帰って掃除しないと。その前に買い出しか。ええっと、今日買うものは――」



 ボクは『勇者募集中』の掲示物のことなどあっという間に頭の中から追い出し、今はお使いの途中だったということを思い出した。ボクの家は武器屋をやっていて、朝一で買い物をしないと店が開けないのだ。まあ、こんな小さな村で武器を買う人なんてめったにいないからそれでも別にいいんだけどね。


 それでも早く買い物して帰らないと父さんに怒られる。今日も忙しい一日になりそうだぞ。




                  防具屋ホゼ


 ふむ。村のみんなが掲示板を見ているので何かと思ったが、まさか『勇者募集中』とはな。確かに刺激の少ないこの村にとっては大きな出来事だろう。しかし、こんな小さな村に勇者になろうというやつなんているのだろうか。世界中でモンスターが暴れまわってるって話だが、この村の周りにいるモンスターなんてたかが知れてる。下手したら子供でも倒せるほど弱っちいやつらばかりだ。世界の危機なんて言われてもピンとこないやつらがほとんどだろう。こんな辺鄙な村にまでチラシを貼りに来たやつはご苦労さんだな。きっと無駄骨になるに違いないぜ。


 オレがそう思ってあけてきた店に戻ろうとしたとき、視線の先に見知った人物を見つけた。いや、この小さな村なら全員が全員のことを知ってるだろうが、俺が特に知ってるやつというべきか、とにかく近くにいたら声をかけるくらいのことをしたいやつを見つけたのだ。オレは特に考えもなしにそいつに話しかけた。



「おっ、ルイじゃねえか。親父は元気か? つってもまあ、今朝も店を出る前に会ったから元気なのは知ってんだけどな。がははははっ」



 オレが見つけたのはこの村じゃ珍しい金髪の少年ルイだった。麻の布で作られた服とズボン、手編みのベルトといったこの村では実にスタンダードな服装をしている。その目印になる金色の髪がなければ一目じゃ誰だかわからないかもしれないな。確か、今年で十五歳になったはずだ。実年齢以上に幼い顔つきをしてるからまだまだ子供にしか見えない。


 防具屋であるオレはルイの親父である武器屋のルーカスと仲がいい。そのためその息子であるルイのこともよく知っているのだが――こいつ、なんでオレが呼びかけたのに反応がないんだ? オレがすぐ横にまで近づいても反応がない。じっと鋭い目つきで『勇者募集中』のチラシを凝視していた。



「お、おい。まさかお前、この勇者ってのになるつもりか!?」



 ルイは小さくつぶやいてうなずいた。何を言ったのかは声が小さすぎてわからなかったが、確かに首を縦に振ったのだった。間違いない。これは肯定の合図だ。



「は!? わ、わかってんのか、お前。勇者になるってことは、おっかないモンスターどもと戦わないといけないんだぞ。お前にその覚悟があるのか!?」



 ルイは再び首肯する。なんてことだ。ここまでの覚悟があるやつにオレがこれ以上言うことは何もない。下手に何か言えばオレが男を下げちまうからな。



「そうか。お前がそこまで真剣に考えてたなんて知らなかったぜ。こいつはお前の親父に一刻も早く知らせてやらねえとな」



 オレはまだまっすぐな目で『勇者募集中』のチラシを見ているルイを置いて、モリモト村唯一の武器屋に走った。赤ん坊のころから知ってるルイがここまでの決意をしてるんだ。お前の親父を説得するのはオレに任せときな。この防具屋ホゼ、男のためには男を見せるぜ!




               武器屋ルーカス


 開店の準備もあらかた終わり、あとは客が来るのを待つだけになった。ルイがまだ帰ってきていないのが気になるが、まあ、あいつなら心配しなくても大丈夫だろう。勝手に帰ってきて勝手に自分の仕事をやってくれるさ。


 店の壁やカウンターにはオレが自作した自慢の武器が所せましと並んでいた。どれも丹精を込めて作った一級品だ。一家に一つでもあったらその家の景色が華やぐってもんだろう。まあ、見た目を重視しすぎてるから攻撃力はないに等しいんだがな。だが、この辺のモンスターならそれでも十分だ。うむ、問題ない!


 そんなことを考えていると、店に客が入ってきたことを知らせるベルが鳴った。カランカランという金属音がオレの店に響きわたる。さあ、今日一番の客は誰だ。



「らっしゃい!」


「ルーカス、大変だぞ!」



 そう言って入ってきたのは隣の防具屋のホゼだった。何だ、こいつか。こいつは客ではない。いつもオレの店に居座ってくだらない話ばかりして帰っていくとんでもないやつだ。オレの営業スマイルを返してほしいってもんだぜ。



「なんだ、ホゼか。どうしたんだよ、そんなに慌てて。モンスターの大軍でも攻めてきたか? それならこの剣がいいぞ。実に美しい。オレの作品の中でも五本の指に入るほどの傑作だ」


「お前の剣でモンスターが倒せるかよ! そうじゃなくてだな、お前の息子――ルイが勇者になりたがってるんだよ!」


「な、何!? ルイが勇者にだと!? どうしてそんなことがわかる!」



 思わず椅子からオレの腰が浮かび上がった。そのままの勢いでホゼにとびかかりそうになる。



「広場の掲示板は見てないのか? あそこに世界中の国が勇者を募集してるってチラシが貼り出されてるぜ。ルイはそのチラシを見て勇者になることを決意したらしい」


「なるほど、オレの息子が勇者にねぇ……」



 オレは浮かび上がっていた腰を椅子におろし、考えてみる。ルイが勇者になるメリットは何か。もし本当に勇者になって魔王を倒した場合、オレの武器屋は有名になるだろう。世界中から客が押し寄せてくるかもしれない。いや、絶対にそうだ。素晴らしい。文句はない。


 では、デメリットは何か。……特に思いつかない。せいぜいこの店の人手が一人減るくらいか。しかしまあ、この店は小さいからオレ一人でも十分やっていけるんだよな。オレの武器を買いに来る客もほとんどいないわけだし。ああ、自分で言って虚しくなってきた。



「なあ、ルーカス。そんな堅い顔するなって。お前の息子が勇者になりたいって言ってんだぞ。親としてここは応援してやるべきじゃないのか?」


「ふんっ、確かにな」



 もとからそのつもりだ。ホゼに言われるまでもない。しかし、もしルイが勇者になって魔王を倒したとしてもオレの功績が薄いな。ここはひとつルイのために何かやってやるべきか。オレは椅子から立ち上がり、店の奥へと向かった。



「お、おい。どこに行くんだよ」


「ルイが来るまでに仕上げておきたいものができた。お前はもう帰れ」


「よくわかんねえが、それはルイのためになることなんだよな?」


「当然だ」



 ホゼは一瞬驚いたような顔つきになったが、すぐに納得したように気持ち悪い笑みを見せてきた。こいつ、何を企んでやがる。オレは知ってるぞ。こいつがこんな顔をするときは何かとんでもないことを考えてるときだってな。まさか、こいつもルイを利用して防具屋の名をあげようってつもりなのか!? ちっ、そうはさせるか。こいつが何か手を打つ前にどうにかしてしまおう。


 オレはもうホゼのことは無視して店の奥へと走り出していた。確かあったはずだ、昔オレが作った究極最強のあの剣が――。




                 ルイ


「ただいまぁ」



 頼まれていた買い物はすべて終わらせた。重い荷物をカウンターの奥へと仕舞う。腐るようなものはないから別にここに置いても問題ないはずだ。あとは店番をしながら掃除をするのがボクの仕事なんだけど――



「あれ、父さん?」



 店の中には誰もいなかった。不用心だなぁ。でも、奥からはガタガタと騒がしい音が聞こえるからきっと父さんが何かやってるんだろうな。また新作の武器を作ってるのかな。だとしたら邪魔しちゃいけないよね。ボクはおとなしく店番をしていよう。ああ、それと今はお客さんもいないから掃除をしたほうがいいかな。


 ボクはカウンターの奥から雑巾を取り出した。あとは洗剤を使って汚れてるところを拭けば――



「あ、洗剤がきれてる」



 少し前までビンいっぱいに入っていたと思っていた洗剤は一滴残らずなくなっていた。ビンを振ってみても逆さまにしてみても何も出てこない。そういえば、前の掃除のときにこぼしちゃったのを忘れてた。この洗剤、店には売ってないんだよね。安物の洗剤は父さんが使うのを許さないし、どうしようか。



「考えるまでもないか。うん、やっぱり自分で調合しよう。確か、ザワメキの森の奥に洗剤の材料になる『クリーンハーブ』があったはずだから、それを採ってくればいいだけだしね」



 ザワメキの森にはモンスターが出るって話だけど、この辺のモンスターはすこぶる弱い。はっきり言って武器もいらないだろう。小柄なボクでも素手でどうにかなるレベルのモンスターたちばかりだ。今から行けば昼には戻ってくることができるかな。父さんに一言声をかけてから出かけよう。



「父さん、ちょっとボク、今から出かけようと思うんだけど」


「何、もう行くつもりなのか!?」



 父さんは慌てて店の奥から出てきた。手には今まできれいに磨いていたのか、見た目だけなら勇者のものに見える剣を持っている。確か、あれは父さんが昔作った『勇者の剣』だ。ものすごくそのまんまのネーミングだから覚えてる。まあ、実際は攻撃力なんてほとんどない見掛け倒しの剣なんだけどね。



「話は聞いている。ルイ、お前、行くんだな」


「あ、知ってたんだ。それなら話は早いね。うん、ボク行ってくるよ」


「そうか。止はしない。お前が決めたことだ。存分にやってくるといい」


「えっ? あ、う、うん」



 ただ近くの森に薬草を採りに行くだけなんだけどなぁ。大げさな。でもまあ、父親としてボクのことを心配してくれてるのかな。そう思うと悪い気はしない。



「餞別だ、これを持っていけ」



 父さんは見掛け倒しの『勇者の剣』を差し出した。窓から差し込む太陽の光に照らされて剣が神々しく光っている。ボクは目を丸くして驚いた。



「えっ。これ、売り物じゃないの?」


「いや、これはお前のものだ。お前にとって必要なものだろう」



 確かにこの辺のモンスターたちは素手でも倒せるけど、武器があればそれだけで安心感が違う。攻撃力がほとんどない剣でもないよりはマシなはずだ。



「まさか父さんからこんなプレゼントをもらえるなんて。ボク、うれしいよ」


「ふっ、気にするな。これも店のためだしな」


「……?」



 ボクにこの剣を譲るのがどうして店のためになるんだろう? ああ、もしかしてこの剣を使って武器の宣伝をしろってことかな。父さんの考えそうなことだ。でも、父さんの武器って実用性は皆無だからなぁ。芸術作品としてなら買い手はあるんだろうけど。



「うん。とにかくありがとう。じゃあ、ボクはもう行くね」


「ああ、絶対に帰ってくるんだぞ」


「えっ? う、うん。たぶん昼頃には帰ってくると思うけど」


「いくら何でも早すぎだろう!?」



 父さんは目玉が飛び出すほど驚いていた。先ほどまでの真剣な雰囲気が台無しだ。でも、そんなに驚くようなことかな。普通に森の中に入って、普通に『クリーンハーブ』を採取すればそのくらいの時間には帰って来られると思うんだけど。



「ふっ。きっとオレを安心させてくれるために冗談を言ってくれたんだろうな。ま、そのくらいのほうが確かに心強い」


「う、うん」



 なぜ感心されたのか。まあ、変な父さんのことは放っておいてそろそろ行こう。早くしないと本当に昼までに帰ってこられなくなっちゃうから。太陽はすでに朝日とは言えないほど高く昇っていた。



「じゃあ、父さん。行ってきます」



 カランカランと店のベルが鳴る。こうしてボクは旅立ったのだ。洗剤の原料となる薬草が生えている森――ザワメキの森へと。

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