第一章

第1話 ゴブリンは強いのか弱いのか

                 ルイ


 さて、さっそくザワメキの森に来てみたんだけど、やっぱり『クリーンハーブ』は奥に行かないとないみたいだ。日当たりがよすぎると育たないみたいだし、もっと木々が生い茂ってじめじめしてる森の奥に繁殖しているんだよね。そのへんがちょっと厄介だ。


 ボクは『勇者の剣』を腰に携えて森の奥へと足を進めていく。たまにモンスターに出くわしたけど、モンスターのほうから人間を怖がって逃げていった。やっぱりこの辺のモンスターは弱い。こちらからちょっかいを出さない限り襲われることはないだろう。安心して森の奥へと進めそうだね。


 少しザワメキの森の中に入ったところで、ボクはある変化に気づいた。声が聞こえる。悲鳴かな? モンスターに襲われてるのかもしれない。一瞬助けに行くべきかとも思ったけど、この辺のモンスター相手に助けなんていらないか。たぶん急にモンスターが現れて驚いただけだろう。木の棒でも振り回していれば追い払えるはずだ。


 ちょっと悪い気もしたけど、ボクも『クリーンハーブ』を探すのに忙しい。たぶん大丈夫だから、ごめんね。



「クリーンハーブ、クリーンハーブっと」



 ボクはそろそろ『クリーンハーブ』の一つくらいは見つかるだろうと思って地面に視線を向けて歩き出す。この辺にあるとしたら木の下の陰とか見つかりづらいところだから大変だ。集中して下を見ていないといけない。



「見つからないなぁ、クリーンハーブ」




              ステッサ・ザースター


 くっ、このままではまずい。モンスターに囲まれてしまったようだ。国は滅び、一緒に逃げ出してきた近衛騎士団も今は私一人になってしまった。このままでは姫さまを守り切れるかどうか――。



「きゃぁあああっ!」


「姫さまっ!」



 そんなことを考えていると、姫さまがモンスターに囚われてしまった。私が目を離した隙に、なんたる不覚! このままでは死んでも死にきれない。


 姫さまを捕えたモンスターはゴブリンだった。小鬼とも形容させる薄汚れた緑色の肌を持ち、その大きさは子供のようなモンスターだ。群れで行動し、リーダーとなるべきゴブリンがいる。通常ならばとるに足らないザコモンスターなのだが、このゴブリンたちは普通ではない。今世界中で猛威を振るっている魔王の恩恵を授かったゴブリンたちなのだ。普通のゴブリンとは一味も二味も違う。そんなゴブリンたちに姫さまを捕えられてしまったのだ。何としてもすぐに救出しなければ。



「お前たち、姫さまを放せっ!」



 私はイスブルク近衛騎士団長の名誉をかけて剣を振るった。次々とゴブリンたちを血煙にあげる。たとえ魔王の恩恵を受けていようとも、ゴブリンごときに遅れをとる私ではない。


 しかし、ゴブリンたちは巧みな連携で私を攪乱してきた。このような連携も普通のゴブリンには見られない特徴である。やはり魔王の恩恵を受けたモンスターというのは強い。


 私がゴブリンたちに手間取っていると、姫さまを捕えた灰色の肌をしたゴブリンが森の奥へと走っていった。まずい。このままでは姫さまを見失ってしまう。



「ステッサ、ステッサぁぁぁぁぁっ!」


「姫さまぁぁぁぁぁっ!」



 私は一か八か捨て身になって姫さまを捕えている灰色のゴブリンに突撃した。私の剣が灰色のゴブリンの背後に迫る。だが、しかし――



「がはっ!」



 後頭部に強烈な一撃をもらった。私の動きにすぐさま対応したゴブリンの一匹が私の頭をこん棒で殴ったのだ。視界が揺れる。姫さまの姿が豆粒のように小さくなっていった。



「ひ、姫さま……」



 私は腕を伸ばしたが、その手は姫さまに届くことはなかった。虚しくつかんだのは何もない空間だ。


 ゴブリンたちが私のまわりに集まってくる。私はもう立ち上がることすらできない。こうなってしまえばあとは死を待つばかりだ。不甲斐ない。不甲斐ない。不甲斐ない……!


 何もできなかった。イスブルク王国がモンスターの大軍に襲われ、姫さまとともにここまで逃げてきたというのに、私は何もできずに終わるというのか。あまりの不甲斐なさに涙が止まらなかった。



「キシシシッ」



 ゴブリンたちが不気味な笑い声をあげる。もうその声を聞くことすらいやだった。殺すなら早く殺してくれ。姫さま一人守れない私の命など好きにすればいいのだ。覚悟はもうできている。



「キシシシッ……。キシャァ!」



 ゴブリンたちが一斉にとびかかってきた。そうだ、それでいい。私の人生はこれで終わるのだ。私の頭の中に走馬灯が駆け巡る。姫さまと一緒に育ち、家族以上に家族だった。私が近衛騎士団に入団したときには自分のことのように喜んでいただけた。私の誕生日には盛大なパーティも開いてくれた。そんな心優しい姫さまを、私は守ることができなかったのだ。まったく、つまらない人生だったな。



「……?」



 なぜだろう。先ほどの奇声からだいぶ経ったというのに、ゴブリンたちが襲い掛かってきた様子はない。私はまだ生きているし、体に新しい痛みも来なかった。なぜだ。確かにゴブリンたちは私にとびかかってきたはずなのに。私は痛む体に鞭を打ち、上体を起こす。そこで見た光景は――



「えーと、クリーンハーブ、クリーンハーブっと」



 私を守るようにゴブリンたちの群れの前を横切っている、金色の髪を持つ少年だった。





                 ルイ


 もうそろそろ『クリーンハーブ』があってもおかしくないんだけどなぁ。見つからない。おかしいなぁ。最近誰かがこの辺の『クリーンハーブ』を摘んでいっちゃったのかな。そうなるともう少し森の奥に行かないと見つからないのかもしれない。



「ギャッ、ギャッ」



 なんか周りもうるさくなってきたな。モンスターでも集まってきたのかもしれない。でも、どうせいつもの弱いモンスターばかりだろうから無視しても問題ないよね。



「お、おい。キミ!」


「はい?」



 誰かに呼ばれた。美しい。けれども力強く心に響く声だった。ボクは声のするほうを振り返る。そこには燃えるような長くて赤い髪の女性がいた。その長くて赤い髪を後ろで束ねている。確か、ポニーテールっていう結び方だったよね。瞳の色も赤。雪のような真っ白な鎧がその赤さを引き立てていた。


 きれいだ。おとぎ話に出てくるお姫さまみたい。でも、鎧を着ているってことはどちらかといえば姫騎士かな。どちらにしても美人であることには変わりなかった。



「キミ、なぜこんなところにいる。周りをよく見てみろ!」


「周りですか?」



 ボクは騎士さんの言う通りに視線を周りに向けてみた。そこには十匹ほどのゴブリンたちがいた。ボクたちを囲んでいるのがよく見える。


 なんだ、ゴブリンか。こいつらがボクの言っていた弱いモンスターの筆頭だ。見た目も子供なら力も子供以下。頭も悪いし臆病だ。誰だってこんなモンスターに勝てる。もし負けるような人がいるなら見てみたいくらいだよ。



「あー、ゴブリンが集まってきてますね」



 普通はこんなにもゴブリンが集まることはないんだけどな。もしかして、この人がゴブリンたちを刺激するようなことをしちゃったのかな。ゴブリンたちの大事なものを奪ってしまったとか。



「どうしたんですか、これ」


「こいつらは、私……くっ、大事なものを、奪って……」


「あー、やっぱりそうですか」



 ところどころ聞き取りづらかったけど、だいたいボクの思っていた通りだった。この人もなかなか無茶するな。いくらおとなしくて弱いゴブリンだからって、さすがに大事なものを奪われたら怒るよ。ボクだって怒る。それで逃げてる間に足を滑らせてケガでもしたのかな。こういうのをなんていうんだっけ? 自業自得?


 でも、さすがに見捨てるわけにはいかないよね。かといってゴブリンたちを傷つけるのも可哀そうだし、少し脅かして散らしてしまおう。



「わかりました。ここはボクに任せてください」


「だ、大丈夫なのか? このゴブリンたちは――」


「大丈夫です。見ていてください」



 ボクは『勇者の剣』を鞘から抜いた。神々しいまでの光がザワメキの森全体を覆いつくす。その『勇者の剣』を握っているボクはさぞかし本物の勇者に見えたことだろう。



「ギャギャギャ!?」



 ゴブリンたちは『勇者の剣』を見ただけで後ずさりを始めた。それはそうだろう。こいつらは基本的に臆病なモンスターだ。素手ならまだしも、武器を持っている人間に襲い掛かってくるはずがない。それがたとえ攻撃力皆無な『勇者の剣』でもだ。あとはちょっと凄みをきかせて――



「散るんだ!」



 ボクは『勇者の剣』を振りぬいた。まばゆい光が閃光となってゴブリンたちに襲い掛かる。それはただの目くらましなのだが、そんなことでもゴブリンたちにとっては驚異的な攻撃に思えるのだろう。



「ギャギャギャギャギャ!」



 ゴブリンたちは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。やっぱり基本的には臆病なモンスターだよね。こんな攻撃力のない『勇者の剣』におびえるんだから。



「す、すごい……」



 騎士さんは呆然と逃げていくゴブリンたちを見つめていた。その顔はとても冗談でやっているとは思えない。もしかして、この騎士さんは入隊したばかりの新人さんなのかな? ゴブリンの性質も知らなかったみたいだし、きっと訓練のためにこの森にやってきたんだね。この森のモンスター、特に弱いからなぁ。



「これで、姫さまを――うっ……!」



 緊張の糸が切れたのか、騎士さんはその場に倒れこんでしまった。真っ赤な長い髪が血のように流れている。



「騎士さん!?」



 気絶している。相当怖かったんだろうな。無理もないよね。初めてモンスターと出会ったときのボクもそうだったから。



「放っておくわけにはいかない、か」



 ボクは騎士さんを背負い、きれいな水が流れている小川のほうへと足を向けていったのだった。

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