第2話 恋心?

             ステッサ・ザースター


 肌に触れる冷たい感触。その冷たさが私の火照った体には心地よかった。意識が覚醒していく。ゆっくりと、夢の世界から現実へと連れ戻される感覚がよみがえってきた。



「う、うぅ……」



 私は木漏れ日の光に誘わるようにして閉じていた瞼を開いた。真っ暗だった世界に光が戻る。真っ先に目に入ってきたには、あの金色の髪をした少年の顔だった。



「あ、起きましたか? 気分はどうですか? どこか痛みますか?」



 少年は川の水で冷やした布で私の顔を拭いてくれていた。随分と顔が近い。イスブルク王国では『赤き鬼神』と恐れられた私にここまで顔を近づけた男など親以外ではこの少年が初めてだ。柄にもなく心臓がドキリと跳ね上がった。何だ、この感情は。いや、まさか、そんなはずはない。


 私が顔を赤くして呆然としていると、少年は眉根を寄せて心配そうにさらに顔を近づけてきた。それはまずい! さすがにそれ以上は私としても抵抗せざるを得ないぞ!


 しかし、私の体は気持ちとは裏腹にまったく動いてはくれなかった。少年の顔が視界いっぱいにまで広がってくる。もうだめだ。心臓が張り裂ける。


 ぴたり、と私のおでこと少年のおでこがくっついた。



「う~ん、熱はないみたいですね。でも、まだもう少し休んでいたほうがいいと思いますよ」


「あ、ああ」



 私が言えたことはそれだけだった。あまりにもいつもの調子とは違っているので、本当に体のどこかおかしくなってしまったのではないか。そう思って私は自分の体を確認してみる。すると、とんでもないことに気づいた。



「んなっ!」



 よく見ると私は鎧と衣服を脱がされて薄い布一枚になっているではないか。もちろん、布の下は裸である。確かに汗もかいて遠くイスブルク王国からここまでやってきたのでかなり体は汚れていたとは思うのだが、さすがにこれは恥ずかしすぎる! やりすぎではないか!?


 服はどこだと探してみると、きれいに洗濯されてシミひとつない衣服が木の枝に干してあった。きっと少年が善意でやってくれたというのはわかるのだが、これは顔から火が出るほど恥ずかしい。裸を見られたのだ。もうお嫁にいけない!



「お、お、お前っ! 自分が何をやったのかわかってるのか!」


「はい? ええ、まあ、一応」


「な、何!? で、では、これはどういうことだ! どう責任をとるつもりなんだ!」


「責任、ですか」



 少年は少し考えるそぶりを見せると、すぐにその太陽のような笑顔を私に向けてきた。ああ、その笑顔がまぶしい。



「では、こうさせてください。ボクはあなたについていきます」


「つ、ついてくるだと!? この私にか!?」


「はい」


「そ、それが、お前の責任の取り方、なんだな……」


「それしか方法はないと思いますので」



 何ということだ。裸を見た責任として私に一生ついてくるとは、これはいわゆるプロポーズというものではないのか? 確かに夫婦になれば裸を見られても問題はない。この問題もすんなり解決する。いや、だが、しかし……!



「わ、私たちはまだ名前も知らない仲ではないか」


「ああ、そういえば自己紹介が遅れてましたね。ボクの名前はルイといいます」


「私の名前はステッサ。ステッサ・ザースターだ」


「ザースターさんですね」


「い、いや。できればステッサと呼んでくれないだろうか」



 な、何を言っているんだ、私は。初対面の少年にプロポーズされたからといって、いきなりファーストネームで呼んでくれとは……。これではまるで先ほどのプロポーズを受け入れたみたいではないか。


 いや、しかし、これまでの人生十八年間。私は姫さまを守るため剣のみに生きてきた。だからといって恋愛に興味がなかったわけではない。むしろこんな私だからこそ、人一倍恋愛には興味があったのだ!


 それなのに剣に打ち込めば打ち込むほど、人は私のことを『赤き鬼神』などと呼び、恐れ避けていった。当然ながら異性との接点などほとんどない。とても恋愛ができるような環境ではなかったのだ。


 しかし、まさかイスブルク王国が滅亡したこの状況になって初めて恋のチャンスが訪れるとは。恋愛の神は私を見捨てなかったということか。


 うむ。だから変ではない。いきなりファーストネームで呼んでくれと言うことは決して変なことではないのだ。



「え~と、ステッサさんですか?」


「いや、ここはもう一声。呼び捨てで頼む」


「はい。では、ステッサ」


「はうっ!」



 な、なんだこの胸のトキメキは。心臓が爆発しそうなほど踊り狂っているぞ。これが恋。これが恋なのか。恋とは、恐ろしいものだ。




                ルイ


 目の前の騎士さん――ステッサって言えばいいのかな。そう言えって言われたし。そのステッサはなぜか悶絶していた。どうしたんだろう。まだどこか調子悪いのかな。


 でもさっきはちょっと驚いたな。訓練のために戦うはずだったゴブリンをボクが追いはらっちゃったんだもんなぁ。確かに今考えれば悪いことをしたかもしれない。でも、その責任として訓練が終わるまでボクも協力してついていくことにしたし、ステッサも納得してくれたみたいだ。でも、訓練ってどんなことをするんだろう? それにステッサはどこの国の騎士さんなのかな。



「ステッサ」


「は、はひっ!」



 ステッサはなぜか素っ頓狂な声を出してボクのほうを振り向いた。今までどこを見てたんだろう。大丈夫かな、この人。



「ステッサの目的って何? どうしてこの森に来たの?」


「……はっ、そうだった。大事なことを忘れていた」


「大事なことって?」


「姫さまだ! ゴブリンたちに姫さまをさらわれてしまったのだ。早く姫さまを助け出さなければ!」



 この人、そんな大事なことを今まで忘れてたのか。新人の騎士さんにしても頼りなさすぎるでしょう。この人の国、人材不足なの?


 それに姫さまをさらわれたって言ってたけど、さらったモンスターがゴブリンだといまいち緊張感に欠ける。だってゴブリンだもの。子供でも倒せるほどの弱小モンスターなんて、いくら姫さまでも簡単に自力で脱出できるんじゃないかな。


 いや、待てよ。そうか。そういうことか。これはきっと新人騎士であるステッサを鍛えるためのお芝居なんだ。きっと姫さまってのも偽物で。ステッサが偽物の姫さまをしっかり助けられるかどうかが訓練の内容なんだね。なるほど、そう考えればつじつまが合うぞ。


 そうとわかればボクがやることは一つだ。ステッサの訓練の邪魔をしてしまった責任を取らないといけないからね。全力でステッサのサポートに回ろう。



「姫さまがさらわれたなんて大変だ。すぐに助けに行かないと」


「ああ、ルイ。力を貸してくれないか」


「もちろん。そろそろ服も乾いたころだろうし、すぐに着替えて出発しよう」



 そう言ってボクは木の枝に干してあったステッサの衣服のもとに走った。ここは日差しもよかったし、風もあったからすぐに乾いたみたいだ。太陽の匂いが衣服から立ち上ってくる。



「うん、いい匂いだ」


「ええっ!? 私の服、そんなに匂いがするのか!? 恥ずかしいからあまり匂いを嗅がないでくれ!」



 なぜかステッサは慌てた様子でボクのほうを見ていた。顔は真っ赤に染まり、なぜそんなに驚いているのかはわからない。そんな変なこと言ったかな、ボク。ステッサの顔が赤いってことは、まだ体調がよくないのかもしれないな。



「ステッサ、大丈夫? まだ体調がよくないならもう少し休むけど」


「い、いや。大丈夫だ。早く姫さまを助けに行かないといけない」



 う~ん。姫さまのことが心配なのはわかるけど、今は自分の心配をしたほうがいいと思うんだけどなぁ。姫さまだって本物ってわけじゃないんだし、いざとなれば自力で脱出できるでしょう。だって相手はゴブリンだもの。



「ル、ルイ。早くその、私の服をこちらに渡してくれないだろうか。さすがにこの格好のままだと恥ずかしい……」


「ああ、ごめん」



 ボクは木の枝に干してあった衣服を回収すると、ステッサに渡した。ステッサは顔をうつむきがちにしながらボクの手から衣服を受け取る。やけに仰々しい所作だなとボクは思った。



「あ、ありがとう」


「うん、じゃあボクは少し離れたところにいるから着替え終わったら声をかけてね」


「わ、わかった」



 ステッサは相変わらず口調がしどろもどろだ。この調子で大丈夫なのかな。ボクは今まで騎士さんに出会ったことがないけど、物語の中で登場する騎士さんはもっと勇敢でかっこよかった。今のステッサとは大違いだ。でも、まだ騎士になりたてのステッサと物語のような騎士を比べるのはちょっと不公平かな。今回も戦う相手はあのゴブリンなんだし、きっと大丈夫だよね。ボクはそんなことを思いながらステッサに背を向けて、少しだけ森の中へと入っていくのだった。

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