少しずつ、時間を置きながら拝読させていただきました。
理由は単純で、いっぺんに読み切るにはあまりにも残酷だと思われたからです。
明らかに罪人としか思えない父親の言動や、周囲の人々の無理解、それに伴う著者様の苦闘など、それがはっきりと明瞭に描かれています。
純粋に文章構成が秀でている、と述べることもできますが、その読みやすさに乗って読者に叩きつけられる『現実』の重さが尋常ではありません。
こんな事案が発生するのは、現代に限った話ではないでしょう。
しかし、一つ一つの事案を見ていけば、事態のおぞましさもまた見えてきます。時代でうんぬん、と片づけられるような問題では決してありません。
幸いにも、僕は『普通の』生活を送ることができていますが、虐待や貧困で追い詰められている若い方々の話はよく耳にします。世の中を構成するのは難しく、家庭内だとさらに隠蔽されてしまう度合いが酷い。
安直に「法的な手段を!」などと言うには、あまりにも。
これが現実社会なのだと思い知りつつ、勇気をもって『知る』ことの重要性を伝えてくれる、貴重な作品だと感じました。
まずは、エッセイのタイトルが衝撃的だった。
性的虐待……、その意味をわたしは知っている。それでも、読み進めるのに、身体は震えた。
父親が、娘にする虐待の中では、もっとも最低なものだと思っている。
娘の尊厳は、父親によって蹂躙され、拒めば誰かが犠牲になると、脅迫され、恫喝される。
年端も行かぬ娘が、その行為の本当の意味も理解できずにいるのをいいことに、秘匿する様に唆す。卑劣にも程がある。
そんな日常の中、この著者さまは、よく耐えきったと思う。がんばってきたと思う。
こんな経験などない、わたしの言葉は軽いかもしれないけれど……。その分、これから、もっと幸せになってほしいと願ってしまう。
この、重いテーマのエッセイ、皆さまにも読んでほしいとは思う。
著者さまのあらすじにもあるように、身近でも起こりうる話。そして、どこかで、声も上げられず、唇を噛んで屈辱に耐えている女の子がいるかもしれない……という話だからだ。
だからこそ、皆さまの責任と覚悟の上で、読むかどうかは決めてほしい。決して、気持ちのいい話ではないのだから……。
わたしは、この父親は絶対に許さない……。
とにかく重いテーマであり、そして分かりやすい文章。
現実にあるんだと思い、そして不謹慎ながら脳内で作った妄想ストーリーかなとも思ってしまう。
だが、この話が本当の話ならば作者さんは壮絶な経験をされたのだと心が痛くなります。
打ってる途中にも泣きそうになりながら書いてるのかと想像できます。
鮮明に書かれているのが、また素晴らしい。
ユーザーネームにも意味があったのですね。
カクヨムに登録する前に全話読んだので2017年頃です。無料で読めることにも感動を覚えます。
私の小説の過去編にも性虐待を取り扱うので参考にはなります。とにかく、私の小説も重い話です。いじめやら自殺やら。
わたしが産まれる前から重い精神障害だった実母から、精神的虐待を受けて育った者です。家族全員が母の罵声と暴力に怯え、完全に支配されている家庭でした。
私の実母の激情的な暴れ方にもかなり近い上、強い支配関係などそっくりですが、性的虐待はありませんでした。
もし私が置かれていたあの状況に、あなたが体験したような性暴力があったらと想像するととても私は生き延びることはできなかったと思います。
アウシュビッツ収容所での体験を書いた『夜と霧』を書いた精神科医フランクルは、
自分の身に起こる出来事は選べないが、起きた出来事に対してどう反応するかを選択する自由が、人間に最後に残された自由だと言いました。
あなたのような体験をして、自分自身を見捨ててもっと悲惨なその後を生きている人はいるだろうと思います。
しかし、あなたは幸せを諦めていないように、拝読させていただいて感じました。勇気づけて頂きありがとうございます。書くことは人を救います。
あなたにとっての人生とはどういうものなのか、人間に降りかかる不条理というものに対するとらえかた、それでもなお生きることを選択することが出来るのは何故なのかということに焦点を当てたものを読んでみたく思いました。
それらの問いは私の生涯のテーマでもあります。
最近、性的虐待を娘に続けてきた父親が無罪判決になる裁判が頻発しているというニュース記事を読み、「本当に抵抗できなかったのか」という疑問を投げかけれるこの被害者の女性達は、果たして実際にはどのような状況だったんだろう、と調べていた時にこの小説を見つけました。見ていて不快になるし、暗い気持ちにもなる内容でしたが、それでも「知りたい」「知らなければならない」と思いながら全て読みました。ここまで詳しく書いてくださった事に驚きと敬意を表します。壮絶な体験を書き起こすこの作業は本当に辛いものだったと思います。本当にお疲れ様でした。
世間の色んな人が知らなきゃいけない事実だと思います。本当に理不尽な事だと憤りを感じました。
これからのMiyuさんの人生が、少しでも穏やかで、そして温かい家庭の幸せで溢れるものであるよう心から祈っています。
全人類が識って、向き合う必要のある問題。
虐待が、どれだけの痛手を受けさせるのか。いかほどの損傷を負わせてしまうのか。
大人は自分自身に刻み込まなければならない。
そして、平易な言葉で、幼子たちに説かなければならない。
あなたの からだで おしっこをするところ、そこに ちかいところは、おしっこや うんちが ついてしまって よごれたときに ふいて きれいにするためなら、ふれさせても いいけれど、あなたではない だれかが たのしむためには さわらせてはいけない。
もしも さわられたら、すぐに ほかの だれかに おはなししてね。
おとなになるまで、そこは、かんたんに さわっては いけない。たいせつな
いのちを つくる ところだから。
おとうさんでも、おかあさんでも、さわりたいなんて いってはいけないのだよ。
どうか、もう、ただ被害者で ありつづけないで。
苦しく、悲しい辛さとともにあっても、胸一杯の幸せを、あなたにと願うから。
この、勇気なくして語れない現実を、多くの方に受けとめてほしい。
そして、考えてください。
自分に何が できるのか。
被虐待児が、一刻も早く救援を求めることができる社会を目指して。
語ることを躊躇しなくてもいいように。
そうすれば、きっと虐待を抑止することに繋がると信じたい。
そして、きっと書き手の皆さんの多くが思うでしょう。
孤立無援の少女が生きるのに支えとした、少年の物語。そんな作品を生み出したい。
私も、その1人です。
いつか……。
かなり衝撃でした。同時に性犯罪の加害者に強い怒りを通りこしました。今物事が上手く行かない全ての人生つまずいたり、道が開けない、全ての人生を奪う加害者は、ノウノウと生きてる。私も性犯罪の被害者です。いつ終わるのか⁉居場所がない、家とはくつろげる場所、そんな環境がなく育ちました。今でも色々な対人関係、仕事が続かない、いっその事アル中なんです。私の人生返してくれ、出来ないならば、せめて慰謝料として、払ってくれても良いはず。1日1日、ぼーっと過ごす。辛い。生きる意味を教えてほしい。好きな人にも迷惑かける、好きかキライかもわからないようになった。人生でつきまとう課題です。ずっとずっと苦しまなくてはいけない。なんで私だったのか⁉怖くて怖くて、私の人権を無視した人間たち。私も小説を書こうと思いました。事実として、忘れてはならない、なかった事はできない、私達被害者です。まだ性を知らなかった被害者です。私達は普通に生きる意味をいつか知れたら、だからこそ私も立ち上がります。恥ずかしい事は何一つありません。被害者が報われない、家とは何か?家族とは何か?母になるとは?父とは何。幸せがわからないなれない、私から全てを奪った。苦しみってわからないよね⁉加害者に二度と会いたくない。辛かったねと作者に言いたいけど、辛かったでは済まされない、辛いどころの乗り越えれない現実を戦わなければいけない現実。普通の事ができないようになるわけです。簡単に辛かったでは癒されないんです。
これは、性的虐待が現実に起こっているという事実をありのままに記したものです。万人はこの事実を知り、虐待を予防し、阻止することに努めなければなりません。
読者のあなたは、事実を知るよう努力しますか?それとも見て見ぬフリをしますか?事実を知ることで、あなた自身とあなたの愛する人たちを守ることができるかもしれません。
どうか見て見ぬフリをすることがないよう......
作者様へ。
決して当事者でなければ理解できない痛みを抱えながら、それでも今まで生きて、そして現在筆を取り事実を書かれた勇気に感謝の言葉しかありません。
生きててくださってありがとうございます。私たちに事実を知るチャンスを与えてくださってありがとうございます。
これからの人生にたくさんの幸せがあることを願っております。
この一ヶ月、毎日更新を追い掛けながらどんなレビューを書こうか考えていました。
今日物語としてのこの作品は一度ピリオドを打たれたわけですが、作者様の人生はまだまだ続きます。それはとても喜ばしいことですけど、あとがきに書かれていたように、作者様はこの作品で記憶を供養したかったわけではない、これからもなかったことにしないためにこの一連の出来事を抱えて生きていかれるんだろうな、と思うと……
最近スマホでネットサーフィンをしていると虐待をネタにした漫画の広告画像が出てきますが、これがフィクションであったらどんなによかったことか。現実はこういうことなんです。
結局一読者である私にうまい言葉は思いつかず、ただただ書いてくださってありがとうございますとしか書けそうにありません。
本当に、ありがとうございました。
これからの日々が今後もずっと幸せなままであることを祈ります。