3. ホワイトデー
多分料理はおいしいのだと思う。昼休みに必死になって調べた飲食店レビューサイトで★4.5だったから、結構いい店のはずだ。
雰囲気もお洒落過ぎずださ過ぎず、「ちょっと入ってみた店」を装うのに丁度いい感じ。氷室さんもさっきからにこにこしていて、「この店、当たりでしたね。水谷さん凄いです」なんて言っている。
でも、俺は緊張で味なんか一切分からない。
ホワイトデーに、氷室さんと一緒に食事。
ホワイトデーに、氷室さんと一緒に食事。
夢か幻か異世界か。部長、ありがとう。本当にありがとう。なんで急に俺の肩を叩いて笑いながら直帰でいいとか言い出したのか分からないけれど、取り敢えずこれからはもっとちゃんと息子自慢の相槌を打ちます。
✨✨
取引先を辞去した後、俺は勇気を振り絞って、けれどもそれを氷室さんに気づかれないよう極力感情を表さないようにして、「どうせならこの辺で夕飯食べていかない?」なんて言ってみた。
あの誘い方、愛想なかったかな。計算が透けて見えていなかったかな。わざとらしくなかったかな。氷室さんはぱっと花が開くような笑顔を見せて、「行きますー」と言ってくれたが、「チッ、コイツと夕飯かよ、まあしょうがないか上長だし、夕飯代浮くと割り切ってつきあってやるか」なんて……さすがにそこまで思うような人じゃないと思うけれど、でもちょこっとは「面倒だなあ」とか思っていないかな。俺話すのあんまり上手くないから、変に気を遣わせていないかな。実はダイエット中だったりしていないかな。そんな必要ないよ今のままで充分可愛いよ。ああどうしよう、ほら喋れよ俺。氷室さんが微妙な沈黙に困ってこっちを見ているじゃないか。取り敢えず少し笑ってみて、その笑顔の意味不明さにいたたまれなくなって俯いて、もう一回顔を上げて「ごめん。何か他に頼みたいものある?」なんて言ってみて、もういい加減食べまくってお腹いっぱいなのに気がついて、そして、そして、そして……。
✨✨
そして、気が付くと食後のコーヒーに移っていた。
「そうだ。お礼が遅くなったけど、バレンタインの時のチョコ、おいしかったよ、ありがとう」
俺のだけ大きいので申し訳ない、あれ高かったでしょう、一日一粒ずつじっくりじっくり食べたよ、というセリフを心の中で葬り去る。
氷室さんは俺の言葉に、少し不安げな表情を見せた。
「そうでしたか……? 私、あのお店のチョコレートが好きなんですけれど、甘すぎませんでしたか?」
「ううん、確かに甘かったけれど、俺チョコは甘い方が好きなんだよね。特にあれはミルクの風味が印象的だった」
甘いチョコが好きなんて、格好悪いかなあ、とも思ったが、本当なんだからしょうがない。氷室さんは俺の言葉を受けて、ふわっと笑顔を浮かべた後、俯き、「よかったぁ……」と呟いた。
「実は私も、チョコレートは甘いのが好きなんです。だから有名なお店のものより、……あれ、うちの近所のお店のものなんですけれど、あれが一番おいしいって。でも、水谷さんのお口に合うかなあって、ずっと不安で……」
うわぁ、なんだそれ。
嬉しいぞ、嬉しいにも程があるぞ。
ブランドで選んだんじゃなく、自分の好きな店のものをくれたんだ。自分のおいしいと思うものをくれたんだ。そして俺がおいしいと思うか不安だったんだ。なんだその可愛さは。
氷室さんは顔を上げ、少し上目遣いにこちらを見た。
「だって、水谷さんってクールだし、大人な感じだから、ああいうの食べないかもって……」
……クール!
……大人!
ちょっとちょっと聞きましたか奥さん!?
「大人」に関しては、単純に歳を食っているからいいとして、「クール」ってどうよ。なんでそう思われたんだろう。
ああそうか、俺、氷室さんと話す時はあんまり感情を出さないようにしているからか。あれ別にクールとかじゃなくって「うおぉ可愛いなぁもう」の感情が溢れて顔がにやにやしないようにしているだけなんだが。
いや、ちょっと待て。もしかしたら「不愛想なオヤジ」の言い換えなのかも知れない。だとしたら過剰反応は禁物だ。俺は少しだけ笑って「本当においしかったよ」と言うにとどめておいた。
✨✨
今が一番いいタイミングだろうか。俺はさりげなくプレゼントを取り出そうとして、思った。
これ、さっき前田が義理返しを渡した時に、一緒に渡すという手もあったんだな。
そうするとなんかいかにも「自分だけ大きいチョコをもらったからって、差のつく振る舞いをして抜け駆けする感じ悪い奴」みたいに見られるか。でもこうやって誰も見ていない状況で渡すと、無駄に特別感が出やしないか。どっちの方がよかったんだろう。
いや、それ以前に、氷室さんの目の前で、紙袋とプレゼントを鞄の中から取りだして詰め直して渡すのって、格好悪くないか。
うーんどうしよう、ラッピングされているから、そのまま渡すか。でも氷室さんのバッグの中に入るかなあ。そんなことを考えていると、氷室さんがこちらを見ているのに気が付いた。
彼女が口を開いた。
俺を見ている。
真っ直ぐに。
「私、あのチョコレート、他の皆さんには差し上げなかったんです」
ああ、そうだったよな。他の人には誰もが知っている高級ブランドのチョコをあげていた。俺は軽く頷いた。
「あのお店のチョコレートは、私の中で一番で、だから、水谷さんに、差し上げたいなって……」
……え?
今、氷室さんの口から発せられた言葉の意味を咀嚼する。
これは、どういう意味だ。
まさか。
……まさか。
「私の中で一番のチョコレートだから、水谷さんだけに、差し上げたいな……って……」
✨✨
氷室さんの言葉の最後の方は、殆ど聞き取れない、呟きのようになっていた。話している途中から、彼女の頬がみるみるうちに染まってゆく。そして言い終わると、肩をすぼめて俯いた。
待って。それは、どういう意味だ。
俺が今、思ってしまったのと同じ意味でいいのか。
教えてくれ。顔を上げて。
声を掛けたいが、彼女は俯いてしまっている。俺は彼女の顔が見たくて、無意識というか反射的に彼女の顎に手を掛け、顔を引き上げた。
「……みずたに、さ……」
……うわあぁぁぁ!!
何してくれるんじゃ俺の右手の親指人差し指!!
俺なのに、俺のくせに、俺の分際で、何やっているんだ俺。でもどうしよう、いきなり手を引っ込めるのもどうなんだ。取り敢えずひとこと言うまで持っておくか。あああったかいな氷室さんの顎。
でも今何言おう、「ごめん」も変か。まずはチョコだ。今の言葉にどう思ったか。今の言葉を聞いて、何を伝えたいか、えーと嬉しかったのを言おう、今の気持ちは。
「ありがとう。嬉しい」
よし、そろそろ顎から手を離すか。どうやって離すんだ。少しずつか。ずるずると後退する感じでいってみるか。
……あれぇ、これ、なんか顎を撫でているみたいになってしまった。
ごめん氷室さん。気持ち悪いかな。
氷室さん、顔を真っ赤にして泣く間際みたいに目が潤んでいる。そうか、いたたまれないのか。そうだよな。じゃあ締めのセリフと同時に手を離そう。
今の俺の気持ち。俺だけ特別なチョコをもらって嬉しい。他の奴と分けてくれて嬉しい。俺だけがあの味を知っていたい。
「俺も、氷室さんにとっての一番は、誰にも渡したくない」
俺がそう言うと、氷室さんの潤んだ両目にみるみるうちに涙が溜まった。
唇が僅かに震えている。
俺、今何かまずい事を言ったか。言葉が足りなかったか。意味、通じたか。
顎から手を離し、彼女の顔を見つめる。氷室さんは唇を僅かに開き、じっと俺の方を見ている。
俺も視線を返す。そしてこの一か月間の自分の愚かさにうんざりする。
彼女にとって、チョコの「大きさ」は、問題ではなかったんだ。
「あの店のチョコ」であることに、意味があったんだ。
「あの店のチョコ」を、「俺だけに」渡すことに。
✨✨
言ってしまって、いいんだろうか。
俺の気持ち。
口から出た言葉は消せない。
俺の考える、彼女の気持ち。もし、とんでもない俺の誤解だったら、明日から気まずいことこの上ない。
でも、彼女がここまで言ってくれたんだ。少なくとも俺の事が嫌いでないのは分かった。なら言ってもいいじゃないか。
今だ。
言え、俺。
彼女を見て。
勇気を振り絞って。
玉砕したらその時はその時だ。誤魔化すなり流すなり、策は後で考えよう。
「氷室さん」
言え。
今だ。
「好きだ」
✨✨
俺が魂を全て吐き出す様にそう言うと、氷室さんの右目から、ころりと涙が一粒零れた。
それを合図に、つぎつぎと涙が溢れ出す。
「そんな……どうしよう、嬉しい……」
口元に手を当て泣き出す氷室さんを見て、俺まで泣きたくなった。
まさか、
こんな事があるとは。
こんな事になろうとは。
「嬉しい」の感情が振りきれて、どうしたらいいのか分からない。
とにかく、泣きたいくらい、嬉しい。
「水谷さん……私もです……」
氷室さんは泣き止まない。店にいる他の客たちがちらちらとこちらを見ているのが分かる。
俺は泣き出したい自分の感情をぐっと抑えて、彼女を落ち着かせようとした。
肩を軽く叩く。少しだけ顔を上げた氷室さんを見て微笑んでみる。
あ、駄目だった、却って涙が止まらなくなったらしい。
どうしよう、えーとどうしよう。そうだ涙。拭いてあげた方がいいのか。そう思い、ハンカチを出そうとして手が止まる。
そうだ、この店に来てすぐの時トイレで手を拭いたんだ。ハンカチ、微妙に湿っていて嫌な感じだ。これは駄目だ。彼女がまた顔を上げる。微笑んで誤魔化してみる。どうしよう、と思っていた時、彼女が自分のハンカチを取り出した。ああよかった。
✨✨
彼女が落ち着いたので、俺は漸くプレゼントを渡すことが出来た。
氷室さんのバッグが大きかったおかげで、紙袋なしで大丈夫だった。彼女は紅茶缶を見た途端に「わあ!」と小さく叫んで笑顔を見せた。
「凄い! ここの紅茶、一度飲んでみたかったんです!」
やっぱりこれ、有名なものだったのか。彼女は満面の笑みで何度もお礼を言った。あんまり喜んで何度もお礼を言うものだから、どう対応していいのか分からず、曖昧に笑って「喜んでもらえてよかった」と言うことしか出来なかった。
でもなあ。
彼女は自分の「おいしい」と思ったものを俺にくれた。でも、俺はこの紅茶の味を知らない。
というか、正直、紅茶の味の差の事など気にしたことがない。
「でも、俺、紅茶の味ってよく分からないんだ」
うっかり言った後、しまったと思った。これじゃあ折角チョコの好みが一緒だというのに、なんだか帳消しになってしまいそうだ。
さあなんて言おう、そうだ、「今は出来ませんがこれから勉強します」みたいな言い回しがあるな、面接とかで。あれでいくか。
「コーヒーばかり飲んでいて、紅茶を飲む機会があまりなかったから。だから氷室さんが、教えてくれるかな」
受け身過ぎたか、今の言い方。あ、そうだ、それにこの紅茶、なんだか特別なものっぽいんだ。なのに訳も分からずあげたんだ。それに氷室さんも飲んだことないんだ。
じゃあこの紅茶に関してはスタートラインが一緒だから、一緒に味を知ってみたいな。じゃあ、そう言おう。
「この紅茶を、氷室さんと二人で飲みたいんだ」
俺がそう言うと、今までにこにこしていた氷室さんが、急に驚いたような顔をして固まった。
え、どうしたんだ。
俺、何か変なこと言ったか。
「…………じゃあ、この缶、今は開けないでおきます」
俯いて紅茶缶をいじりながら、呟くように言う。
「何度も開けると、香りが飛んじゃうから。だから……」
顔を上げ、微笑み、頬を染めて、言葉を続けた。
「水谷さんが、うちに来てくれた時に、開けますね」
…………あっ!
そういう意味に取れるか!
✨✨
外に出ると、途端に冷たい夜の風が頬を切った。
まだ、寒い日は暫く続くのだろう。
氷室さんは軽く身震いをしたあと、俺を見て微笑んだ。
愛おしさが、全身を駆け巡る。
「手、つないでいいかな」
頃合いをみてさり気なく手をつなぐというスキルは、俺にはない。それに、「頃合い」まで、待てない。
氷室さんは微笑んで俺を見、控えめに左手を差し出した。その手を軽く握る。
冷たい。白くて柔らかい氷室さんの小さな手は、驚くほど冷たかった。
冷え性なのか。これじゃこの夜風はつらいだろう。俺は自分の掌の温かさを全て氷室さんの手に移すように、大きく包み込んで強く握った。
氷室さんがまた、驚いたような顔をして俺を見る。そして俯く。
この手を、絶対に離したくない。
そう思って俺は彼女に微笑みかけ、駅に向かった。
ホワイトデーの夜。
初めて握った彼女の左手の感触を、俺は一生忘れない。
そして。
二年後、
その彼女の左手の薬指に、
俺は指輪を嵌める事になるのだが、
その話は、また別の機会に。
彼女のくれたチョコが、他の人のより大きかった 玖珂李奈 @mami_y
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