5 似ているところ、違うところ

「リユラ、カップ寄越せ」

 食後、ザナトはリユラのブリキのカップを出させると、持参したスキットルから蒸留酒を注ぐ。自分のカップときっちり半分に分け、リユラに渡した。

「ありがとうございます。わー、すてき」

 リユラは星の瞬き始めた夜空を見上げながら、満足そうにため息をついた。

「完璧な一日でしたね! 山道は楽しかったし、面白い雪も見られたし、美味しいものも食べられたし夕焼けも夜空もきれい。最高の休暇です!」


「あれ、そういえばあんた、ルクルの件の参考に水の精霊に会うとか言ってなかったか?」

 ハッと思い出してザナトは言ったが、リユラは軽くうなずいた。

「ええ……。最初は、夏でも雪が溶け残るその場所の力を、ルクルに再現できたらなって思ったんです。少しでも二つの場所の条件が似ていれば、それを材料にルクルの水の精霊を説得して、夏の間ずっと水を残してくれないかなって。何とかなるかなと思ったけど、実際に雪渓に立ってみて雰囲気を感じてみたら、やっぱり違うみたい。ここはここで特別だって、それがわかったから」

「ふーん。じゃあ、空振りか」

 ザナトは酒を一口飲み、そして続ける。

始祖語オリジンガが今もあればな。直接、ルクルの水の精霊に聞けるんだが。何で夏の一時期だけいなくなるのか」


「ザナトは、始祖語の研究をしてるんですってね。ルスランが言ってました」

 リユラが彼を見て首を傾げるので、少々不意をつかれたザナトは「お、おう。そうだ」と答える。

「そっか、それが仕事への熱意になってるんだ」

 リユラもカップを傾ける。

 そして、言った。

「でも、そもそも始祖語がどうして存在したのかって、不思議ですよね」

「ん?」

「だって、人間と精霊って、全然違うじゃないですか。生態が」

 どこか淡々と、リユラは言って夜空を見上げる。

「言語って、つまり文化でしょう? 人間と精霊が同じ言語を話してたなら、同じ文化を持ってたことになりますよね。こんなに違う存在が同じ言葉を使ってたなんて、不思議」


「…………」

 ザナトは考えを巡らせながら、黙り込む。


 リユラは自分でそう思ったらしいが、研究者の間では、人間と精霊を結びつけるものが言語以外にもあったのではないか、という説がすでに存在する。人間は死んだら精霊になる、もしくは精霊が何かの条件で人間に生まれ変わる、という説まであるくらいだ。


 やがて、ザナトは口を開く。

「何かが同じか、似ていたんだろうな。人間と精霊は。それが、始祖語を理解する鍵になるんだろ、たぶん。俺はそれを知りたい」

「どうして?」

 小屋から届くかすかなランプの明かりに、ザナトを見つめるリユラの瞳が光っている。

「違うところを認め合っていて、仲良くできていれば、それでいいじゃないですか」


 ザナトは意外に思った。リユラは精霊と触れ合うのが好きなようだから、精霊のことをもっと知りたい、もっと仲良くしたいと言うかと思ったのだ。


「違うところを認め合うなら、似ている所も認め合いたくないか?」

 ザナトは答える。

「人間と人間だって、そうだろ。初めて出会って、会話して、お互いに共通点があるとわかったらもっと親密になれる。そういうもんじゃないか? 精霊ももしかしたら、人間のことをもっと知りたいと思ってるかもしれないぞ」


「……」

 短い間があったが、リユラはいつものようににこりと微笑んだ。

「そっか……そうですね」


 ザナトはふと、思った。リユラはどんな風に、人間関係を築いてきたのだろう、と。

 ナジュアは彼女からリユラに話しかけたと言っていたし、ルスランも彼の方からリユラに興味を持った。ザナトとリユラは仕事上の出会いだ。リユラ自身は、自分から誰かに近づくことはあるのだろうか。


「あ」

 不意に、リユラの声の調子が変わった。

「ねえ、ザナト。人は、赤い雪を恐れて避けてますよね。怖いから。人間と精霊と、似ているところがあるとして……精霊もルクルで、怖かったり嫌だったりで避けているものがあるとしたら」

「怖い?」

 ザナトは目を細める。

「もしかして、遺跡の肝試しのことを言ってんのか?」

「だって、夏の一時期だけなんでしょ? 繊細なルスランが近寄らないくらい、怖いんでしょ? ルクルの遺跡、どんな演出をしてるのかな」

「なるほど……」

 水の精霊がいなくなるというのだから、その土地の自然に何か問題があるのだと、関係者は考えていた。

 しかし、自然には全く影響がないようなことが、精霊に影響を与えている可能性もある――そうリユラは指摘したのだ。

 ふと、居酒屋での出来事がザナトの脳裏をよぎる。あの時はリユラの思いつきがうまく行ったが、基本的に電気の明かりを嫌がる光の精霊。水の精霊にも、人間の営みの中で苦手なものがあるとしたら……

「わー、気になる。今から帰ってルクルに」

「あほ」

 立ち上がりかけたリユラを、ザナトは腕をつかんで座りなおさせる。

「夜の山でまた骨折したいか? 別に緊急の用ってわけじゃないだろ」

「あー。そうでした」

「いいから飲め。全く、結局仕事の話になったな」

「でも楽しいですよ」

 リユラが笑うので、ザナトもつい、釣られて笑ってしまった。


 そのまま二人は、カップが空になるまで、満天の星空の下で語らい……


「おいこら。ちゃんと小屋の中で寝ろ」

「……へい」

「へいって」

 ザナトはふわふわしているリユラの腕をつかみ、立ち上がらせる。

「ん、あれ」

 リユラはぼーっと、自分の手を見た。

「色が……帰ったら描き直さなきゃ……」

「あ?」

 ザナトが見ると、いつも手の甲から手首にかけて描かれている茶色の模様が、一部掠れている。

「これもこだわりなのかね」

 独り言のように言いながら、ザナトは彼女を山小屋まで連れて行った。

 疲れているのだろう、リユラは最低限の寝支度を終えると、すぐに眠ってしまう。


(全く警戒されないのも、男として微妙だな)

 ザナトはリユラから少し離れた敷き布の上であぐらをかき、何となく彼女を見つめた。天井から吊されたランプの明かりが、ぼんやりとリユラの横顔を浮かび上がらせる。

 いつも笑顔のリユラが、静かな表情で眠っているその様子は、彼女を落ち着いた大人の女性に見せていた。

「……寝るか」

 リユラから視線を外したとたん、ザナトはハッとなってあたりを見回した。


 周囲の空気から、地面の下から、気配がする。

 この山に存在する様々な精霊たちの意識が、今、この山小屋を取り巻いていた。


(なんか……注目浴びちゃってんな)

 気配を探りながらゆっくりと視線を巡らせたザナトは、ふとリユラに視線を戻した。

(リユラか?)

 精霊たちは、リユラを見つめている。

 人間の彼女に、興味を持っている……

 

 リユラの呼吸が、妙に静かに思えた。ザナトは思わず、彼女の手をつかむ。

「んー」

 まるで息を吹き返したかのように、リユラは目を閉じたまま軽く顎を上げた。そして、ザナトの手を握り返す。


 ザナトは何となくほっとして、自分も横になった。

 手は、翌朝リユラより先に目覚めるまで、そのままにしていた。 



 トデに帰還後のザナトとリユラは別行動になり、それぞれの休暇を楽しんで日々は過ぎた。  


《ザ・ワンド》の職員たち皆の休暇が終わるころ、ルスランはリユラの編成した呪文譜スペルピースを持ってルクルに向かった。

 彼女が編成したのは、ルクルを離れている水の精霊の呼び戻しを中心に、水の精霊が好む要素を取り込んだ呪文譜。先代センター長の構築した主呪文メインスペルを元にした、ごく普通のものだ。


 仕事を終えて戻ってきたルスランは、ザナトにこう報告した。

「もう、ルクルの肝試しイベント期間は終わってたんだけどさ。俺、泉で呪文譜を詠唱する前に、町の人たちに肝試しの演出をどんな風にやるのか、実際に遺跡でやってもらったんだ」

《ザ・ワンド》の詠唱師といえば、尊敬と憧れの対象だ。仕事に必要だと言えば、人々は協力的である。

「昔の戦いで亡くなった人々が、遺跡の中に現れて戦い出すっていう演出で、電気の赤い光がビカビカしたり、白い光をすーっと動かしたりするんだ。その時、同時にリユラの呪文譜を詠唱して水の精霊を呼んでみた。全然、戻って来なかったよ。お前やリユラの言ってた通りだ、水の精霊は怖くてルクルを離れたんだね」

 そこでルスランは翌日、町の中央の泉で呪文譜を詠唱してどうにか水の精霊を呼び戻した後、町の人々に水が枯れる原因と思われることを説明した。

「まあ、もう二十年以上続いてきたイベントだから、すっぱりやめるのも色々と難しいみたいだけど。来年は演出を変えるなり、町からもっと離れた森の中でやるなりの工夫をしてみると約束してくれたよ」

「そうか。じゃあ、もしかしたら来年の夏は、ルクルの水は枯れないかもしれないな」

「俺たち《ザ・ワンド》がやったのは、今年も同じ呪文を使うことだけだったんだけどね」

 ルスランはそう言って笑っていた。


(そう。結局、例年通りの仕事をしただけだから、リユラの評価も上がらないってわけだ。気がついたのは彼女なのにな)

 釈然としないザナトは、その日の仕事の終わりに、編成師の作業小屋に足を向けた。せめてリユラに「あんたの言った通りだったぞ」と教えてやろうと思ったのだ。

「全く、もっと要領よく、見た目にアピールできる仕事もすりゃあいいものを……」

 ぶつくさいいながら小屋に向かいつつ、彼は心の中で続けた。

(でも、それはもう少ししてからでいい。……俺の専属になってからで)


 ザナトは今回の件で、心を決めていた。

 秋の正職員採用試験を受けよう、と。


(俺の研究には、リユラが必要だ。彼女を、部長から奪ってやる。インターンのテオドールも彼女に興味を持ってたから、あいつが手を出してくる前にな。さあて、どうすっか)

 腹黒い笑みを浮かべながら小屋の前まで来ると――


 戸口が開いていて中から声が聞こえる。


 野太い男の声が、言った。

「やだあリユラちゃん、何これコワイー」

 対照的に、高くふわふわしたリユラの声。

「イズキちゃんってば、説明したじゃない、藻だから大丈夫!」

「…………」

 ザナトが恐る恐るのぞくと――


 小屋の中に、赤い雪がちらちらと舞っていた。


 そして、その中央で、長い金髪の人物とリユラが立っていた。リユラは、手に赤い雪の入った瓶を持っている。

「イズキちゃん、これ、素材屋さんに置く?」

「リユラちゃんはいつも珍しいものをうちに提供してくれるから、助かってはいるけどぉ」

 語尾をのばした女性的なしゃべり方をする金髪頭は、見た目は男性であり、《ザ・ワンド》出入りの伝統ある素材屋の跡継ぎ、イズキだった。

「でも、赤い雪なんて何の役に立つのよぉ。この藻を食べる生き物がいるとか、そういうやつー?」

「そうね、でも、単に面白いじゃない! 面白がる精霊も絶対いるよ! 私、今度呪文譜に使ってみようっと!」

 キャッキャしているイズキとリユラに何となくげっそりしたザナトは、きびすを返す。


「だから、『面白い素材』ありきで仕事しようとすんの、やめろって……」

 もしや、彼女は精霊を遊び相手とでも考えているのだろうか? だから仕事とプライベートが一緒くたなのだろうか?


 色々と疑いつつ、彼女を部長から奪うのはもう一度考え直そうと思う、ザナトだった。



【CASE・2 おしまい】

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