CASE・3 越冬する渡り鳥をネナダ湿地帯に導くこと、ならびに構築師ザナトが編成師リユラを休職させること

1 正職員採用シーズン到来

「最近ヒマそうね、リユラちゃん」

 話しかけられて、ドライハーブの束をより分けていたリユラは顔を上げた。


 国際魔法センター《ザ・ワンド》、主塔の南側にある編成師の作業小屋の中である。

 この小屋の主であるリユラは、植物や糸や紙や染料など様々なものを仕事で使うため、そういった素材を小屋の中に置けるだけ置いていた。素材は素材屋から買うことが多いが、自分で採集したり育てたりすることもある。珍しいものは逆に素材屋に売ることもあった。


「まあ、ヒマそうなのはリユラちゃんだけじゃないけど。この時期は編成師さんからの注文が減って、寂しいわ」

 ため息をつくのは、当の素材屋であるイズキだ。一本の三つ編みにした長い金髪が、筋肉で盛り上がったシャツの胸元に落ちている。は身体を鍛えるのが趣味なのだ。

 リユラはハーブの束を紐で結びながら笑った。

「《ザ・ワンド》がヒマってことは、精霊にお願いしなきゃいけないような案件がなくて世界が平和だってことだから、いいことのはずなんだけどね。私もちょっと寂しい」

「あら、リユラちゃんも?」

「そこらじゅうに精霊がいるのに、用がないと遊べないっていうか。本当はもっと触れ合ってたいのに」

「うふふ」

 イズキは両手を拳にして、口元に押し当てた。

「まるで片思いの恋ね」

「そうかなぁ? はいこれ、イズキちゃんのお店の分」

 リユラは、紐で束にしたドライハーブをイズキの方へ押しやった。彼女が個人的に外で採集してきたハーブを乾燥させたものだ。

 イズキは、爪を青く塗った手でハーブを受け取りながら言った。

「ありがとう、お代は次の注文から引いておくわね。で、リユラちゃんは精霊以外に、恋はしてるの?」

「恋?」

 リユラは首を傾げる。イズキは笑い声を漏らした。

「今はしてないのね、つまり。まぁ、しなきゃいけないものでもないけれど。ふふ、でもリユラちゃんが好きになるのってどんな人かしら」

「イズキちゃん、好きよ?」

「まあ嬉しい。じゃあ、よくここに来る、あの構築師君とだったらどっちが好き?」

 イズキのさらりとした問いかけを聞いたリユラは、不意に黙り込んだ。おや、と、イズキは興味深く見守る。

(考え込むほど、彼に複雑な気持ちを持っているの……?)

 直後、ぱっ、と顔を明るくしたリユラは手を打ち合わせた。

「思い出した、ザナトね!」

「名前を思い出そうとしてたんかい」

 思わず突っ込んだイズキは、笑い出してしまった。

「あはは、まあ、特定の人に執着しないのが、リユラちゃんのいいところと言えばいいところかしら。そういえば、そのザナト君も最近見かけないわ」

「うん。私も、ええと、一ヶ月以上は会ってないなぁ。主塔でも会わないし」

 リユラは少し、気が抜けたような声で窓の方をぼうっと見ると、つぶやいた。

「言われてみると、ちょっと……寂しいかも」


 その時、コンコンコン、とせわしいノックの音がした。

「はーい、どうぞ」

 リユラが答えると、すぐに扉が開き――噂の人物が現れた。

 リユラがぱっと笑顔になる。

「ザナト!」


「おう」

 軽く片手を上げたのは、シャツに黒のベスト姿のザナトだった。

 黒髪のボサボサっぷりにはますます拍車がかかり、どこかよろよろしている。


 そんなザナトは、ちらりとイズキに視線を投げた。 

「……何だ、素材屋か」

「あら、ご挨拶ね」

「悪気はねぇよ、他の構築師が来てて仕事中なのかと思ったんだ」

 肩をすくめるザナトに、作業台に手を突いたリユラが身を乗り出す。

「今はヒマですよ! ザナト、お仕事ですか?」

「リユラちゃん、このお兄さんが来て嬉しそうね」

 イズキがニヤニヤしながらリユラに流し目を送ると、リユラはすぐにうなずいた。

「ザナトが来ると嬉しい!」

「え」

 ザナトが軽く目を見張り、「そ、そうか?」などといいながら表情を隠そうと口元を片手で隠すなどしているところへ、リユラがニコニコと続ける。

「ザナトはいつも、面白いお仕事に誘ってくれるから!」

「あ……仕事。仕事な。はいはい」

 気が抜けた様子で一つため息をついたザナトに、イズキはケラケラと笑いながら「またねー」と小屋を出ていった。


「……久しぶり」

 作業台に近づいてきたザナトに、リユラは椅子を勧める。

「はい、お久しぶりです! 今日はどんなお仕事です?」

 するとザナトは、ストップをかけるように片手を上げた。


「あのな、リユラ。あんた、しばらく休職しろ」


 数秒間、沈黙が流れた。


 リユラが瞬きをする。

「はい? 今、なんて?」

「だから、仕事をしばらく休めって言ったんだ。休職届を出して」

「そんなことしませんよ。何を言ってるのか、全然わかりません」

 ぽかーんとしているリユラの前で、ザナトはびしっと人差し指を立てる。

「つまりだ。お前を俺のものにする計画の第一段階としてだ」

「私をザナトのものに?」

 リユラは首を傾げた。

「私、ザナトと結婚でもするんですか? 休職って、新婚旅行?」

「あー、うん、俺が悪かった。説明の順番が悪かった」

 ザナトは急いで、ベストの胸ポケットから折り畳んだ紙を取り出して広げ、作業台にバンと置いた。リユラがまた、首を傾げる。

「結婚誓約書かな?」

「違ぇよっ! よく見ろ」

 ザナトは紙を指さす。リユラが読み上げた。

「『国際魔法センター正職員試験 合格証明書 ザナト・ツキサエ』……」

「来月から、俺は《ザ・ワンド》の正職員になるっつーこと。つまり、専属の編成師を持てるんだ」

 ザナトは腕組みをして不敵に微笑んだ。


 今までは契約職員だったザナトだが、正職員試験を受けるために仕事を減らし、猛勉強していたのだ。荒れ地の町ルクルに水を呼ぶ一件以来、《ザ・ワンド》にあまり姿を見せずにいたのはそういうわけで、勉強疲れでヨレヨレしているのもそういうわけだった。


「お前を俺の専属にする時は近い。覚悟しとけ」

 久しぶりに見るリユラの顔に、ザナトは人差し指を突きつけた。彼女は不思議そうに彼を見つめ返す。

「私、エルドス部長の専属ですよ?」

「知っとるわ。その部長から奪ってやるって言ってんだよっ。まずは、お前が休職する」

「しませんって」

「話を聞け。形式上でもお前が休職すれば、エルドス部長の専属編成師が長期間いなくなる見込みになる。部長はお前を専属から外して、新しく選ばざるをえない。お前はフリーになる。しばらくしてお前が復職したら、俺がすかさず専属にもらうって寸法だ。俺と仕事すんの、好きなんだろ?」

「好きです。でも、休職は嫌」

 リユラはきっぱりと言った。

「何で」

「ただでさえ精霊と触れ合えないのに、お仕事を休んだら余計に、精霊を呼び出す理由がなくなってしまいます」


「ああ、なるほどな」

 リユラのことを徐々に理解しつつあるザナトは、切り札を出した。

「休職中も、精霊絡みの仕事ができりゃいいんだろ? 春から保留にしてたあの仕事、休職中に研究するっつって持ち帰れるように、手続きすればいい」

「あの仕事?」

 また首を傾げ、しばらく考えていたリユラは、軽く目を見開いた。

「あっ……。あの、辺境の」

「そうだ。お前が秋になってからやりたいと言ってた、アレだ。俺がキープしてある。仮の形ではあるが、主呪文メインスペルの第一稿も構築済みだ」

 ザナトは準備万端だ。

 リユラの表情が、雨上がりの空のように明るくなった。

「あのお仕事ができるなら、休職、します!」


「よっし、そう来ないとな」

 ザナトは腰だめに拳を握りしめた。

「じゃあまずは来週――朱の月の初めから無期限で休職届を出せ。理由は、そうだな……」

 リユラの額の模様をじろじろと見たザナトは、言った。

「お前の出身民族、この辺とは全然違う文化がありそうだよな。何か時間のかかる儀式みたいなもん、ないか?」

「ありますよー。良き伴侶が見つかるように、精進潔斎する期間があるんです。それのために休職することにしますね!」

「待て待て、その儀式、実際にはいつやるんだ」

「十六歳以降ならいつでもいいんですけど、私もう二十なのに、めんどくさくてやってなくて。えへ」

「やれよ……。つーか、その儀式やるときにも休めないと困るだろ」

「今回、ついでにやろうかな」

 あっけらかんと言うリユラに、ザナトは苦笑いしながら答えた。

「ついででできるもんなのかよ。まあいい、俺はその翌月、灰の月の初めから正職員に切り替わる。で、灰の月の終わりに専属編成師の希望を出すから、リユラはタイミングを合わせて復帰すればいい。それまでに例の仕事の編成を終わらせること。いいな?」

「了解しました!」


「あっと」

 ザナトは急いで、付け足した。

「お前、いつ復帰するかは、誰にも言うなよ。いつになるかわからないって言っとけ」

「いいですけど、どうしてです?」

「どうしても! 絶対言うなよ」

 ザナトは念を押しながら、心の中でつぶやいた。

(テオドールがインターンを終えて正職員になるのも、灰の月だ)


 図書館書庫の一件の際、インターンで構築師志望のテオドールがリユラに興味を持った様子を、彼は見ている。

 実はその少し後、編成師の作業小屋の近くをテオドールがちょいちょい通りかかるのを、ザナトは目撃していた。


(あいつ、リユラを待ち構えかねないからな)

 ザナトは一度、テオドールの構築した練習用の呪文譜スペルピースを見たことがある。余計な呪文スペルの入っていない、まっすぐに目的に向かって突き進むような、新人にしてはなかなか見事な呪文譜だった。

(俺と仕事をするのが好きだと、リユラは言ってるが、テオドールと仕事してみたらどう思うだろうな。その後でも、俺を選ぶだろうか。あー、何なんだっ、これじゃまるで)

「片思いの恋だっ」

 うっかり口に出すと、リユラはもう何度目になるか、不思議そうに首を傾げる。

「イズキちゃんと同じこと言ってる……」

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