2 迷鳥を救え

 春にザナトがリユラのところに持ち込み、リユラが「秋にやりましょ!」と言った案件。そして「時間がかかるなら、とろい君に向いてるな」と、エルドス部長が快くハンコをついた案件。

 それは、『渡り鳥を呼ぶ』ものだった。


 イルダリア王国の北西に、ズルフィヤ湖沼地帯と呼ばれる場所がある。そこはキーテスという渡り鳥の繁殖地で、鳥たちは春夏をそこで過ごす。一方、南西のネナダ湿地帯と呼ばれる場所は、キーテスの越冬地だった。

 ところがこの春、ネナダ湿地帯からズルフィヤ湖沼地帯に渡ろうとしたキーテスたちが、途中で大量に迷子に――迷鳥めいちょうになった。保護されて湖沼地帯に送られた鳥もいたが、迷ったまま行方不明の鳥も多い。

《ザ・ワンド》への依頼は、渡り鳥の研究者たちからのものである。次にキーテスの群れが越冬のためにズルフィヤからネナダに渡るとき、再び迷鳥が大量に発生する恐れがある。できるだけ多くのキーテスを迷わせずに、湿地帯に導いてほしいというのだ。


「申請書を出したのは、春でした」

 おっとりした中年女性が、口を開く。彼女は渡り鳥の研究者であり、ネナダ湿地帯の管理事務所の所長だ。

 所長とリユラは、事務所にしているという木造小屋にいた。窓の外には草地が広がり、その向こうに湿地帯がうっすら見えている。


 茶をテーブルに出してから椅子に腰かけ、所長は率直に話し始めた。

「てっきりすぐに、キーテスが迷鳥になった原因を探りに《ザ・ワンド》からどなたかが派遣されてくると思っていましたが、秋になってから……というお返事でしたね。どうしてなのか、お聞きしてもいいかしら?」

 リユラはうなずく。

「申請書には、キーテスの渡りのルートを添付して下さってましたね」

 渡り鳥がなぜ目的地まで飛べるのかについては、太陽の位置で方角を理解しているとか、海岸線などの地形を覚えているとか様々な説があるが、未だ謎の部分も多い。

 しかし、《ザ・ワンド》は精霊に関する専門家集団である。世界中の地殻変動や異常気象などを把握しており、リユラも仕事上把握する情報から、迷鳥発生の原因を推測していた。

 編成師の制服――臙脂色の立ち襟のシャツに、前が合わせになっている長い黒エプロン――姿のリユラは、続ける。

「キーテスのルートを見て、たぶん火山が原因かな、と」

「火山」

「ちょうど春の渡りの季節の前に、渡りのルートから少し離れた沖合の無人島で、火山が噴火しました。溶岩には磁気を持った鉱物が含まれていて、冷えて固まると永久磁石みたいになってしまうと、以前学びました。キーテスが迷子になったのは、磁場が乱れたせいなんじゃないかと思ったんです」


 人類の暮らすこの世界は、一つの巨大な磁石のように、北の果てと南の果てを繋ぐ磁場が発生していると言われていた。そして、渡り鳥が夜間でも正確な方向に飛ぶことができるのは、この磁場を感知できるためだ、とも。

 この知覚能力を、火山が狂わせたのではないか。リユラはそう説明したのだ。


 研究者の女性は微笑んでうなずいた。

「私たちの見立てと同じだわ」

「そういう場合、精霊が頑固なので、呼びかけても磁場は変えられません。島ごと動かすわけにもいかないし。他にできることは秋の渡りの時しかないと思ったので……」

「よくわかりました。ごめんなさい、このお仕事は後回しにされてしまったんじゃないかと思って、どんな方がいらしたのか試させてもらったの。気を悪くなさらないでね」

「そんなこと、ちっとも」

 本当に全く気にしていないリユラである。所長は窺うように言った。

「どうにか、できますかしら……」

「大丈夫だと思います」

 リユラはにっこりと笑った。

「磁場より強く、大きく、鳥たちを呼びますね。そのために私は、この季節にここに来たんです」


 一人で草地に立ったリユラは、ネナダ湿地帯を見渡した。

 秋も深まり、茶色に枯れ始めた草地から、地面は急勾配で下っている。その先に水がたまり、所々にある茂みがまるで小さな島のようだ。さらに向こうに土手があり、越えた先に海がある。海の向こうは隣国だ。


 腰に下げた皮ケースから鈴のような音が鳴り、リユラはピーラと杖を取り出した。水晶板を杖で軽く叩くと表面が白く光り、声だけが聞こえてくる。

『着いたか、リユラ』

 ザナトの声だ。

「着きましたよー。まだキーテスたちは一羽も見あたらないです」

『そうか。まあ、編成はゆっくりやればいい、時間はあるんだ。夜はちゃんと町に戻れよ』

「はーい」

 水晶板は、すーっと透明に戻った。


 リユラはちょっと板を見つめ、ケースに戻しながらつぶやいた。

「夜もここにいたら、ダメかなぁ」

 彼女は、斜めがけにしたショルダーバッグから、ザナトの作った呪文譜スペルピースの第一稿を取り出した。岩の上に広げる。

 さらに、黒い糸巻きのはまったシャトルを取り出し、杖で糸を導きながら呪文譜の上を滑らせる。何周か滑らせたら、救い上げるように空中へ。

 糸は呪文譜の文字や記号を絡めとりながら上り、宙に円となって浮かんだ。

 出発前に《ザ・ワンド》にあるネナダ湿地帯の資料を読み込み、二人で改稿はしてきたものの、やはり現場に立って初めてわかることもあった。空を眺め、湿地を眺め、呪文譜を眺めて、リユラはまたつぶやく。

「うん、やっぱり、今夜はここに泊まろうっと」

 ザナトが何を言っても、マイペースに物事を決めるリユラである。


 湿地の近くは虫が多い。彼女は呪文譜をいったんしまうと、やや離れた草地に移動し、ぽつんぽつんと生えた低木と岩の陰にテントを張ることにした。

 ショルダーバッグを下ろし、さらに背中にしょっていたリュックも下ろすと、彼女は小さな木槌でペグを打ち、慣れた動きでせっせと小さなテントを張る。

「それと、潔斎の儀式の準備ね……結婚の予定はないけど、精霊たちと触れ合う前にはいい儀式かも」

 張り終わったテントの中に入ると、リユラは荷物から素焼きの壷を取り出した。壷には、上だけでなく横にも穴が開いている。

 壷の中に小さな蝋燭を入れ、火をつけてから、リユラは壷の上に小さな皿を置いた。その上に儀式用のドライハーブを乗せる。しばらくすると、皿の上のハーブが熱せられ、テントの中に清涼な香りが満ちた。


 良き伴侶を見つけるための儀式、とザナトには簡単に説明したが、元々は結婚適齢期に達した女性が身体の調子を整える――つまり、結婚後すぐに子どもができるようにする、という合理的な意味合いの強い儀式なのだった。デトックス、と言い換えてもいいかもしれない。

 しばらくの間、俗世を離れ、自然のリズムに合わせて生活するその儀式。仕事とプライベートがいっしょくたのリユラにとっては、今回のような仕事と儀式を一緒にやることにも全く抵抗がない。


 テントの入り口を閉じると、蝋燭の明かりがぼんやりと中を照らした。

 あぐらをかいて座ったリユラは、手を自然な形で下ろして身体の力を抜き、目を閉じた。彼女の部族に伝わる祝詞を唱える。

「……私は世界の一部になる。火とともに踊り、地とともに支え、風とともに飛び、水とともに流れる……」


 瞼の裏に、懐かしい故郷の景色が映った。




 リユラの故郷は、イルダリア王国から北西へ出て、いくつかの国を越えたその先の小さな国だ。

 緑は豊かだが、国土のほとんどが山地で移動に時間がかかるため、人の行き来が少なく変化に乏しい。その代わり、人々はゆったりと生活していた。


 そんな山奥の集落で疫病が発生し、原因を探るために国際魔法センター《ザ・ワンド》の職員がやってきたのは、リユラが七歳の時だった。

 構築師、編成師、詠唱師の三人で一チームの彼らは、しばらく彼女の集落に滞在した。そして、隣国の山火事が原因でこちらに逃げてきた動物が疫病の発生源であることをつきとめ、呪文譜を作って様々な対策を行った。

 リユラは彼らの仕事に興味を持った。元々、精霊の存在を感じることに長けていた彼女は、それに気づいた構築師に「素質がある」と言われ、ますますその仕事に惹かれた。

 そして彼女は、仕事の合間に三人と言葉を交わすうちに、彼らが世界の様々な地域出身であることを知る。

 自分にもこんな未来があるかもしれない――リユラの中の憧れが、具体的になった瞬間だった。


 彼らが去った後、リユラは両親に申し出た。

「町で勉強がしたい。そしていつか、《ザ・ワンド》で働きたい」

 両親は反対したが、頑固なリユラは考えを曲げない。両親は彼女を、集落の長老のところに連れて行った。長老ならリユラを説得できると思ったのだろう。

 ところが、長老は逆に両親にこう言った。

「リユラは世界に出て、広く様々な精霊と触れ合うべき子だ」

 その後、彼女のいないところでどんな話し合いが持たれたのか、リユラは知らない。しかし結局、長老は両親の方を説得し、リユラは町の学校の寄宿舎に入ることになった。


 それから入学までの間、リユラは長老から、ある紋様の描き方を教わった。植物から取った染料を使って繰り返し練習し、額と手の甲に美しく描けるようになると、長老は彼女に言い聞かせた。

「これを、水浴びの時以外はいつも、身体に描いておくように。この紋様のないお前は裸と同じ、身を守るものが何一つない状態であると心得なさい。数日それを怠れば、私にはわかる。その時はお前を集落に呼び戻すよ」

「はい」

 リユラはその掟を、深く心に刻み込んだ。

 すると、長老は微笑んでリユラの頬に触れた。

「元気で。お前の力が、人と精霊を結ぶものであることを、いつも祈っていますよ。そして、それだけで終わることも祈っています」

「……長老さま、それはどういう意味ですか?」

 聞いてみたのだが、長老は微笑むばかりで、リユラの質問には答えなかった――




 ――目を開けると、蝋燭の炎は消えかかっていた。

 リユラはテントから出ると、立ち上がって「うーんっ」と伸びをした。


 雲の隙間に滲むように夕日の色が覗き、反対側の空は晴れて、夜の色へと変化しつつある。始まりの儀式を終えたリユラには、心なしか、いつもより空気が澄んで世界が鮮やかに見えるような気がした。

「私は自分から故郷を飛び出したから、世界がとても綺麗に見える。帰る場所もちゃんとある。でも、鳥たちは迷わされて道を外れてしまう……怖い思いをさせないように、助けてあげなくちゃ」

 リユラはつぶやく。

「さあ、今回の呪文譜の色を探そう」

 岩に上ったリユラは、仰向けに寝そべると、まずは空の様子を観察し始めた。

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