3 訪問者の誘い

 リユラが湿地帯のそばで野営を始めて、数日が経った。


 儀式の期間に食べるものについては、いくつかの決まりがある。期間中はなるべく殺生をしないことになっているので、肉や魚はその前に乾物になったもののみ。逆に野菜や果物などは、なるべく新鮮なものを食べることになっていた。

 リユラは、持参した乾物以外は近くの森の中で食べられるものを摘み、湿地の中から食用の球根や芋を堀り出し、火をおこして調理するという生活を送っていた。


『そんなんで足りるのかよ』

 一日に一度は連絡をよこすザナトの声が、ピーラから聞こえる。

 石を並べて作ったかまどの火加減を見ながら、リユラは脇に置いたピーラに向かって話しかけた。

「足りますよー? むしろ調子がいいくらいです。今夜は町でゆっくりしようと思ってますし、心配しないで下さい」

『ふーん。……編成はどうだ』

「今、こっちの材料で染料を作っているところですけど、余裕で間に合うと思います」

 リユラは鍋の上で、軽く杖を振った。精霊たちが集まってきて、彼女の作っている染料の色をより鮮やかにしてくれる。


 植物から作る染料は、花や葉などの素材を何日も乾燥させたり、時には半年も発酵させたりと時間がかかるものも多い。その植物の精霊が無口だったり繊細だったりして対話ができないと、他の方法で発色を促さなくてはならないからだ。一方で、精霊が協力的で、葉を煮るだけで色を取り出せる草木もある。今回はこちらだけで事足りそうだった。

 色を長持ちさせようと思うと、さらに作業と時間が必要だが、リユラが必要とする色は呪文譜スペルピース用である。呪文譜にしてしまえば、その呪文譜が保存されている間、譜面上の色は消えることも変色することもない。


「そうだザナト、呪文スペル、少し変えたいところがあるんですけど」

『おう、どこだ』

 二人はしばらく打ち合わせをする。ふと、リユラは付け加えた。

「詠唱の時、ザナトもこっちに来れたらいいのに。でも、転移譜が使えないし」

『…………』

「あ、すみません、ちょっと言ってみただけ」

『まあ、行けるもんなら俺も行きたいけどな。ああ、詠唱師はルスランに決まったから安心しろ』

「わーい! ルスランが来るならザナトはいいです!」

『お前なぁ!』

 ひでえ、とか何とかつぶやく声が聞こえ、ザナトからの通信は切れる。

 リユラは、ザナトの構築した主呪文メインスペルを素晴らしい形で編成できそうだったので、構築した本人に見せられたらいいなと思ったのだった。

「でも、ルスランが来るなら、後でザナトに話してくれるよね」

 ひとりごとやら鼻歌やらをお供に、リユラは機嫌良く作業を続けた。


 鍋の中の染料に糸を何度か浸し、引き上げたらよく洗う。輪にした糸を木の枝で作った物干しに干し、輪を引っ張るようにして何度か伸ばす。

「そろそろお昼ご飯にしようかな」

 リユラが振り向いた、その時。


 荒野の真ん中に、ぽつん、と人影があるのが目に入った。


「へ?」

 驚いて固まっていると、その人影はゆっくりと彼女の方に近づいてくる。茶色のマントからのぞく褐色の肌と黒髪、灰色のつり目。

 その男性は、目を細めて微笑んだ。

「リユラさん、こんにちは」

「あ! えっと、王都の図書館で会った……こんにちは!」

 見覚えはあるものの、名前を覚えていなかったリユラは、とりあえず挨拶する。相手は近寄ってきながらうなずいた。

「はい、テオドールです。お仕事中、すみません」


 インターンとして《ザ・ワンド》で働いていたテオドールは、構築師志望。図書館書庫の一件の際、ザナトが構築してリユラが編成した呪文譜をルスランが詠唱したのだが、テオドールはそれを見学にきたのだ。


「テオドール、こんなところでどうしたんですか?」

 リユラが首を傾げながら聞くと、彼はテントやら竈やらを眺めながら答える。

「僕、《ザ・ワンド》の正職員になるので、その前にちょっとあちこち見て回ろうと思って。リユラさんがここで仕事だと聞いてはいて、たまたま近くまで来たので寄らせてもらいました」

「そうなんだ、遠くまですごい。あっ、試験に受かったってことだよね、おめでとう!」

「ありがとうございます」

「お茶でもどう?」

「いただきます。あ、お水、要りますよね」

 テオドールは自分のピーラを取り出すと、杖を使って呪文を引き出し、水の精霊に呼びかけた。慣れた動作だ。

 すぐにリユラの壷に水が貯まる。

「ありがとう」

 リユラは壷を火にかけた。


「仕事じゃないなら、ここに来るのに転移譜は使ってないんでしょ?」

「ええ。僕、旅が好きだからいいんです」

 火のそばに座り込んだテオドールと、ちらほらと世間話を交わす。

「休職されたって、聞いて、びっくりしました。何か悪いことでもあったのかと」

「違うの。私の民族、エトリハ族っていうんだけど、そこの儀式みたいなものの期間なんだ。仕事場からは離れなきゃいけなくて。でも、研究ならいいかなーと思って色々好きなことやってます」

「それなら、安心しました。いつ《ザ・ワンド》に戻るんです?」

「えーっと」

 壷にハーブを入れたリユラが返事をしかけた時、ふと脳裏にザナトの言葉が浮かんだ。


『お前、いつ復帰するかは、誰にも言うなよ』


 リユラは壷から木のカップにハーブティを注ぎつつ、答えた。

「ええと、私にもはっきりとはわからないんだ。そういうものなの。とにかく、もうしばらくは」

「そうですか。うーん、もうすぐ申請出さないといけないんですよね」

 つぶやくように言ったテオドールは、リユラオリジナルハーブティを一口飲んで、顔をしかめた。しかし、それについては何も言わず、カップをテーブル代わりの石の上に置く。

 そして彼は、自分のショルダーバッグの中から折り畳んだ紙を取り出した。

「よかったら、見てもらえませんか。僕が構築した呪文譜。休暇明けに上司に出すんです」

「うん?」

 リユラはそれを受け取り、開いてみた。


 新人研修の課題のようだ。大雨で川が増水し、堤防が決壊寸前であることを想定して構築された、主呪文の第一稿である。

 テオドールの呪文は、川の水、堤防の土、そして堤防を補強する木の精霊にバランスよく呼びかけて構築されていた。


「わあ、すごい上手。精霊に負担がかかりにくい呪文だね。編成師もとっても楽だと思う。私でも、今ここにある手持ちの材料で編成できそう」 

 リユラが褒めながら顔を上げると、テオドールはリユラをじっと見つめていた。

「僕、専属の編成師はリユラさんがいいなと思ってたんです。図書館書庫の呪文譜、あの調和……素晴らしかったので」


 リユラは呪文譜をたたみながら、ニコリと笑った。

「ありがとう。私にもいるんだ、組んでお仕事したい構築師さんが」


 テオドールは、軽く目を見開いて絶句した。しかし、リユラが呪文譜を差し出すと、苦笑しながら受け取る。

「そっか……じゃあ元々、僕の入る隙はなかったですね。残念です。もし何かの機会があったら、一緒にやらせて下さい」

「うん、もちろん」

「お仕事の見学も、またさせて下さいね」

「うん、もちろん」

「今度、食事に誘ってもいいですか?」

「うん、もちろん。……へ?」

 つい勢いで答えてしまったリユラは、またもや首を傾げたが、テオドールは微笑んだ。

「よかった。じゃあ、僕はそろそろ失礼しますね」

 彼は立ち上がる。

「こんな場所でおひとりなんですから、気をつけて」

「あ、はい。ありがとう」

 リユラは、草を踏みながら立ち去るテオドールの背中を、少々ぼーっとしながら見送った。


「……何だったのかな? 今の」

 つぶやいたとたん、鈴の音が響きわたった。

 驚いて一瞬飛び上がったリユラは、急いで岩の上に置いていたピーラを手に取る。

『おい、リユラ』

 昼前に連絡してきたばかりの、ザナトだった。声が少し、急いている。

「はい、どうしたんです?」

『そっち、変わったことなかったか?』

「それがね、テオドールが来て。びっくりしました」

『やっぱりかよ! まだいるのか?』

「いいえ? お茶だけして帰って行きました。本採用の前の旅行で立ち寄ったみたいですよ。どうかしましたか?」

『大した知り合いでもないのに、普通そんなとこまで行かないだろ……。あいつがナジュアにリユラの行き先を聞きに来たって聞いて、何だか嫌な予感がしたんだ』

「別におかしいことは何もなかったですよ? テオドールの呪文譜は見せてもらいましたけど。なんて言うか、新人らしからぬ? 上手さですね、彼の呪文譜」

 そして、リユラは付け加えた。

「あのね、私と組みたいって」

 ピーラが沈黙する。

「ザナト?」

『……何て答えたんだよ』

「私も組みたい人がいるって言いましたよ。だって、私はザナトのものなんでしょ?」

 もう一度、ピーラが沈黙する。

「ザナト?」

『お、おう。お前がそれでいいならいい』

 咳払いの音が何度か聞こえ、ザナトは続けた。

『その、何だ、お前も一応女なんだからな。仕事上のつきあいだけじゃなく、相手が自分にどんな気持ちを向けてるかとか、よく考えろよ? 危機感も持てよ?』

 ザナトがそんな風に言うので、リユラは少し不思議に思った。ザナトは、テオドールがリユラに恋愛上の特別な気持ちを持っているのでは、と考えているのだろうか。

 しかし、食事に誘われたくらいでそんな風には判断できない。リユラはただ「はーい、気をつけます」とだけ答える。

『やっぱり俺もそっちに行けりゃあなぁ』

 ザナトがぶつくさ言うのが聞こえ、『じゃあな』と連絡は切れた。


 リユラはつぶやいた。

「二人とも、変なの」

 彼女にしてみたら、ザナトと組むことはとっくに決定事項で、迷いがない。今は落ち着いて、じっくりと仕事、というか研究に没頭しているだけだ。

 そんな中、ザナトとテオドールが妙な接触の仕方をしてくるというこの状況が、とても不思議なのだった。

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